jeudi 30 août 2012

夢の世界とどう付き合うか

Ema (Nu sur un escalier)
1966
Gerhard Richter (1932-)


夢とともに目覚めることがある

実に興味深い夢なのだが、正確に思い出せないことが多い

すぐにそれを記述しようとするが、書いているうちにその姿が変形し、消えてゆく

夢とどう付き合うべきか

そんなことは考えたこともなかったが、今は考える余裕がある


われわれが認識していると思っている世界は、実は頭の中で作られたものである

それが現実だと思っているものは、錯覚にしか過ぎない

本当の世界など知り得ない

という立場がある


夢も同じようにこの脳から生まれている 

もしそうだとしたら、現実だと思っていた世界は本質的に夢と変わらないのではないか

夢の世界をあり得ない世界だとしてと捨ててしまうのはもったいない

 夢の世界を一つの現実として捕獲して、これこそ現実だと思っているものと同じ平面にもってきてはどうか

それはどんな世界になるのだろうか

過去に足を踏み入れると、そうやって生きた人もたくさんいそうな気がしてくる


いわゆる現実から離れると、こんな考えも自然に出てくるから不思議だ

世界が多面的に見えてくるとでも言うべきなのだろうか

意識の底にあり、現実とべったり生活している時には抑えられ、顧みられないものが浮き上がってくる

そんなものに意味はないとして捨て去り、急ぎ足で前に進む時には辿り着けない意識のレベル

海面近くでばたばたやっているのに対して、海の底深くにまで沈み、周りに生きるものを眺めている違い

そこから上のざわめきをはっきり見ることができるが、海面で忙しくしていると底の世界があることさえ想像できない

ひょっとすると、先日触れたアメリカとフランスの意識のレベルの違いとは、このあたりのことだったのかもしれない

まだまだ感じていることを表現できてはいないが、少しだけ進んだようにも見える




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一夜明けて目覚めると、やはり夢とともにあった

それは、昼間にまとめていたもののエッセンスが、日常の出来事として具体化されているものだった

それをそのまま文章の中に入れても全く違和感のないほどのものだったのである

上の記事を書いていなければ、気付かなかったかもしれない

夢を生み出している脳が昼間働いていた脳と繋がっていることがわかる

よく観察すると、両者の間にある垣根は意外に低いものなのかもしれない

そこに意識が向いていれば、こんな例は山ほどありそうだ





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