vendredi 17 août 2012

なぜ哲学するのか、リオタールさんの場合


 先日のリブレリーでこの本が目に入った

ジャン・フランソワ・リオタールさん (Jean-François Lyotard, 1924-1998)の本だ

初めての方になる

1964年のソルボンヌでの講演を集めた Pourquoi philosopher ? (PUF, 2012)

『なぜ哲学するのか?』

哲学とは何か、と問うよりは、なぜ哲学するのか、と疑問を発している

そこでこんなことを言っている

  統一性が失われ、一つでなくなった時、哲学が必要になる

一つである時にはすべてが決まりきったことのようで、意味を問う必要がないからだ

しかし、一つでなくなる時、人は意味を求めるようになる

そこに至るには哲学しか方法がないのだ


哲学は知を愛すること、欲すること

哲学の根には Eros があることを教える古代からの哲学の定義である

つまり、哲学は 「もの」 としてあるのではない

プラトンを引き、こんなことを言っている

何かが欠けている 「不在の存在」 (La présence de l'absence) がある時

生と死のような対立がある時

人は居心地の悪さ、抵抗を感じる

その時、何かを求める


哲学は知を持つことではない

それは、求めるものがあるだろう欠けている方向への精神的な運動である

さらに言えば、知への欲求ではなく、欲求の欲求こそが哲学である

この感覚が掴めると、おそらく最後まで行けるのだろう


一つのまとまりが壊れ、何かが欠けているように見える現代

それは哲学の時代以外の何物でもない

さらに言えば、人は完全な時などないこの世界に生きている

そうである以上、いつの時代でも欠けている方への欲求を欲するはずである




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