mardi 29 avril 2014

学生のように生きるということ


「金持ちであることなんて最終的には何の意味もない

贅沢なものを所有しなくたって自分がやりたいと思うことを、やりたいようにやって生きていく

その他に何を望む必要がありますか?

わたしは偉くはなりたくないの

人間って偉くなるとゴミがついちゃう人が多いんです

私はこれからも、学生にちょっと毛が生えたぐ らいの感じで一生暮らして生きたいと思っています

 ロンドンで暮らしていると、それが可能なんです

日本に住んでいたら、なかなか難しいでしょう

なんだかんだと持ち上げられたり、引っぱり出されたりする」


このようなことを語った人がいる

季刊誌 「考える人」 2005年春号での内田光子さんである

「 学生にちょっと毛が生えたぐ らいの感じで一生暮らして生きたい」 というところは全く同感

彼女の言葉を読んだ時の率直な感想であった

このインタビューは最初のブログで取り上げている




「人は自分の知らない科学に入門してそれを深く究め、必要の際にはそれを改める

しかしもしも数カ月ないし数年かかるとすればどうか

必要なだけの時間をそこにかける

しかし一生涯でもたりなかったならば、何代もかかればいきつくところへいける

どんな哲学者にも今、哲学全体を立てる義務はない

こういうような言葉をわたしは哲学者に述べる

こういうような方法をわたしは哲学者に申し出る

この方法は、その哲学者の年が幾つになっていても、常にふたたび学生になる覚悟でいることを要求する」

(河野与一訳)


こう言った哲学者がいた


「常にふたたび学生になる覚悟」 とは、初めから学び、それを哲学の発展に生かすというまさに覚悟だろう

わたしの場合は本物の学生になってしまったが、そのような覚悟とは無縁に見える

ただ、初めから学ぶという点だけは重なっている




Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire