「金持ちであることなんて最終的には何の意味もない
贅沢なものを所有しなくたって自分がやりたいと思うことを、やりたいようにやって生きていく
その他に何を望む必要がありますか?
わたしは偉くはなりたくないの
人間って偉くなるとゴミがついちゃう人が多いんです
私はこれからも、学生にちょっと毛が生えたぐ
らいの感じで一生暮らして生きたいと思っています
ロンドンで暮らしていると、それが可能なんです
日本に住んでいたら、なかなか難しいでしょう
なんだかんだと持ち上げられたり、引っぱり出されたりする」
このようなことを語った人がいる
季刊誌 「考える人」 2005年春号での内田光子さんである
「 学生にちょっと毛が生えたぐ
らいの感じで一生暮らして生きたい」 というところは全く同感
彼女の言葉を読んだ時の率直な感想であった
このインタビューは最初のブログで取り上げている
「人は自分の知らない科学に入門してそれを深く究め、必要の際にはそれを改める
しかしもしも数カ月ないし数年かかるとすればどうか
必要なだけの時間をそこにかける
しかし一生涯でもたりなかったならば、何代もかかればいきつくところへいける
どんな哲学者にも今、哲学全体を立てる義務はない
こういうような言葉をわたしは哲学者に述べる
こういうような方法をわたしは哲学者に申し出る
この方法は、その哲学者の年が幾つになっていても、常にふたたび学生になる覚悟でいることを要求する」
(河野与一訳)
こう言った哲学者がいた
アンリ・ベルグソンである
「常にふたたび学生になる覚悟」 とは、初めから学び、それを哲学の発展に生かすというまさに覚悟だろう
わたしの場合は本物の学生になってしまったが、そのような覚悟とは無縁に見える
ただ、初めから学ぶという点だけは重なっている
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