mercredi 23 avril 2014

朝日が昇る中で


今朝はある言葉とともに目覚める

窓を開けると朝日が昇るところだった

昇りたてを見るのは久しぶりだ

少しだけ気分がすっきりする

クラシックチャネル(Mostly Classical)を流し、朝日とともに暫しの間ぼんやりする


昨日のビブリオテークで、久しぶりに Scientific American を手したことが浮かんできた

その雑誌は、その昔手にしたものと別物に見える

重さもそうだが、中身も軽くなったように見える

タイトル・ページに芸術的な写真や絵を持ってきている

以前にもその傾向はあったが、それがさらに大胆になっている印象がある

タイトルの字体も踊っている

それから著者にサイエンスライターやジャーナリストが入ってきている

これも以前にはなかったように記憶している

専門性は保ちながらも周囲との壁を低くしようとしているように感じる

 今の視点から昔を見直すと、科学の高みから外に向けて語るという意識が強かったように映る

科学が与える側に鎮座していたとも言える

それが今では外の人が科学を語るようになり、日常と結びつくような表現が増えているようだ

現代人が以前にも増して専門性の中で生きざるを得ないため、他の領域との壁がより高くなっている

そして、専門外に割く時間も減っている可能性がある

そう考えると、このような変化は生き残るための必然とも映る

ダーウィン的に言えば、そのような適応が選択された結果を見ているのかもしれない




今朝のツイート

朝の無為の時間が何とも言えず良くなってから久しい

仕事をしていた時には想像もできない豊かな時間だ

そろそろ仕事を始めなければならない今、それは毒である

ただ、無為の時間においてのみ、省察とか瞑想と言われることが可能になるのだ

なぜ仕事を続けるのが良くないのかの理由が、ここにある




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