dimanche 23 novembre 2014

所替え、議論するもまたよし梅田界隈



本日は、数年来の友人と一献傾けるため大阪に足を延ばした

どこからともなく、アメリカのクリスマスソングが流れてくる

アメリカ時代の年末の景色と感情が浮かんでくる

不思議なものでフランスの感情が掻き消される

それを否定しようという気分はなく、寧ろアメリカンソングの中に身を委ねることを快と感じていたようだ


さて、夜は一献のはずがこのところ例のない三軒の梯子となった

最後はディスカッションが盛り上がり、周りのお客さんも聞き耳を立てる状態になった

久し振りのことである

関西の空気がそうさせたのだろうか




samedi 22 novembre 2014

解放感の中 『中谷宇吉郎随筆集』 を読み、「外への働きかけ」 を考える


今日は久し振りの解放感があり、吉祥寺方面へ

駅ビルがすっかり様変わりしている

全く別の駅になってしまった

こうやって、時の流れの中で 「もの・こと」 は過去へと消えていくのか

昔よく歩いた辺りを歩き回る

街の方はまだ変化が少ないようだ


公園近くの路上カフェに入る

前回この辺りに来た時も、上を見上げるとこの景色だった

これが日本なのだろう
 

先日、丸善で手に入れた 『中谷宇吉郎随筆集』 を2時間ほどぱらぱらとやる

中谷の師、寺田寅彦が出てくる

その繋がりで文学者が出てくる

昭和の風の中に明治の香りが匂う

ゆっくり考えている様子が窺える

穏やかな批判精神もある

こういうのんびりした時間にはうってつけの文章であった


エッセイを書いたり、科学の外に語り掛けたりする人は昔からいたことが分かる

その問題意識の基本は変わっていない

その後、科学と社会との関係に変化はあるのだろうか

見かけ上の変化はあるだろうが、本質的な部分ではあまり変わっていないのではないか

外に働きかけたからと言って大きな変化は見られないかもしれない

しかし、それは避けて通れない科学の仕事なのである


翻って、哲学はどうだろうか

外への働きかけはやられているのだろうか

それは哲学の仕事でもあるはずなのだが、、





vendredi 21 novembre 2014

第2回 PAWL 終わる


 本日、第2回の PAWL を開催した

この会では、生き方の哲学を考え、その哲学を生きた哲学者を取り上げ、語り合うことにしている

今回取り上げた哲学者は、古代ギリシャの幸福の哲学者とも言われるエピクロス

エピキュリアンという言葉は若い方には馴染みがないかもしれない

 しかし、われわれの世代では今でも使われているのではないだろうか

少なくとも、わたしは若い頃からお前はエピキュリアンではないかと言われた記憶がある

また、フランス語を始めてからも、フランス人に名指しされたことがある

彼らが、どのような意味で言ったのかはわからない

本来のエピキュリアンは一般に浸透している快楽主義者でない

その誤解が今夜解けたという方もおられた

 最近では、本来の意味でわたしはエピキュリアンではないかと思うようになっているのだが、、、
 


今夜のディスカッションは、これまでになくリラックスした雰囲気の中で行われた印象がある

懇親会でも実り多い話が進んでいたようである

今日は急遽欠席になった方が数名おられた

年末のお忙しいところを参加していただいた皆様には改めて感謝したい


これからもご理解のほど、よろしくお願いいたします





jeudi 20 novembre 2014

30年来の旧交を温める


本日は休息と明日のPAWLの準備に充てる

夜は雨の中、30年来の友人お二人と夕食をするために出掛ける

半年前に帰国した折にも声を掛けていただいたので、今年二度目になる

珍しいことである

前回もそうだったが、まだ現世の真っ只中に生きている様子が伝わってくる

額の皺の深さが半年前に比べ増している

おそらく、こちらもそうなっているのだろうが、自分では気づかない

 話を聞いていると、自らの置かれた状況が相当特殊であることが、改めてよく分かる

 それはそれとして、興味深い時間となった

 来年再びお会いしたいものである







mercredi 19 novembre 2014

東京理科大学 生命医科学研究所での講義とセミナー終わる

セミナー後、東京理科大学 生命医科学研究所の皆様とディネ


本日は東京理科大学の岩倉洋一郎先生のお世話で講義とセミナーが予定されていた

今回もまた寸前まで準備に追われた

講義は生命倫理のコースで、15年前に多田富雄先生のお考えで生まれたのだという

今から考えると、先見の明があったことが分かる

各論についてはすでにやられており、これからも予定されているとのこと

そのため、「考える」 ということについて、自らの経験から考えたことを中心に話した

 講義後、これからの参考にするために感想を書いてもらった

その中で、同様のコメントが複数の方から出ていたので、それらを以下に列挙したい

---------------------------------

  • これまで考えていると思ったことは、実は考えることではないことに気付いた
  • 実験に追われる生活の中で、考えるための時間を意識的に確保する必要があると思った
  • 考えることは、研究だけではなく、日常生活を豊かにするためにも大切ではないかと思った
  • 専門の知だけではなく、広い領域の知についても目を向けていく必要があると思った
  • 対象を客体化するという営みは、日本ではまだ弱いように感じた
  • 「自己とは記憶の総体である」 という言葉は、とても印象的だった
  • 哲学的で包括的な話を聞くことが少ないので、新鮮で、刺激的で、考えさせられた

---------------------------------

このようなコメントで見る限り、話す前に意図していた以上の効果があったように見える

われわれが哲学的な思考に疎いのは、興味がないのではなく、そこに誘われることがないためではないか

寧ろ、若い精神は哲学的思考に飢えていて、そこに開かれているのではないか

問題は、その扉をノックする人が少な過ぎるところにあるのではないか

それは教育の重点がどこに置かれているのかに関わり、哲学の領域にいる人間の問題にも繋がる

そんな感想が浮かんで来た


セミナーの方では、科学と哲学の関係についてわたしが感じてきたことを中心に話す

このブログで何度も書いてきたことが糧になっている

その後で、免疫について考えてきたことを話す

こちらはほんの入り口に立ったという状態に過ぎないが、専門家から貴重なコメントをいただいた

 これから前に進むエネルギーを貰ったように感じている


研究所は自然に溢れた広大な大学の敷地内にあり、想像していた姿とはかなり違った

良い意味で予想が裏切られた

セミナー終了後、岩倉、北村大介、後飯塚僚、海部知則の各先生と岩倉研若手のお二人と食事会

ざっくばらんなお話ができたように思う

 このような機会を作っていただいたことに感謝したい





mardi 18 novembre 2014

「科学における知の基盤を探る」 講演会を聴く

村上陽一郎氏


先日お知らせしたシンポジウを聴きに日仏会館へ


 3名の方から話を聞く

演題Ⅰ 

「科学思想の源泉としてのフランス─デカルトから啓蒙思想へ─」

村上 陽一郎氏(東京大学名誉教授)

演題Ⅱ 

「モノー 『偶然と必然』: 生物の生物らしさを分子から理解しようとする思索のあゆみ」

佐藤 直樹氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)

演題Ⅲ 

「新しい自然誌(Histoire naturelle)を求めて」

中村 桂子氏(JT生命誌研究館館長)


 科学に関する思想的側面をフランスを中心に歴史的に解析した村上先生

ジャック・モノーの思想を解析した佐藤先生

そして、新しい自然誌(Histoire naturelle)を求めている中村先生の三氏の話を聴く

この領域の話がこれまでよりも分かるようになっていることを確認

わたしの誤解が解けるような情報だけではなく、いくつかのヒントを得ることができた


主宰者の御子柴先生の言葉には、インパクト・ファクターに踊らされる浮ついた科学に対する嫌悪が見られた

科学本来の姿に戻すためには、科学の哲学や歴史を学ぶという姿勢が必要になるのではないか

今日のような会がもっと頻繁に持たれてもよいのではないか

日本では、科学の歴史についてはまだ抵抗が少ないように見える

しかし、哲学となるとどこか遠いところにある敷居の高いものという感覚を持っている人が多い印象がある

フランスから帰ったばかりなので、彼我の違いを実感せざるを得なかった


中村桂子氏





dimanche 16 novembre 2014

日曜の図書館にて


喫茶店に入り、パリのカフェにいるような気分を再現しようとするが、思うに任せない

昨日は図書館で過ごすことにした

今週予定されているいくつかのお話の準備のためである

毎回、出発前に終えておきたいと思っているのだが、締切り寸前にならなければその気にならない

優雅に行きたいのだが、悪い癖がついたものである
 

10時の開館前から列ができているのに、驚く

床に座って待っている若者もいる

殆どが、中高生に見える

これほど多くの日本の若者を間近に見るのは、本当に久し振りになる


開館すると皆さん席を確保しようとして早足で目的地に向かう

あっという間に席は埋まってしまった

 わたしはオープンの丸テーブルに落ち着いた

この空間が意外によく、パリでも珍しい5時間ほど集中できた

途中、近くのご老人が眠りに入り、ドサッという本を落とした音で目覚める

時に、遠くから堂々とした鼾の音楽が聞こえてくる

そして、真剣な眼差しで細かい事実を追っている若者の姿が目に入る

パリでは味わえないこれらの全体が、集中力を高めてくれたのではないだろうか

お陰様で、今朝は目が腫れぼったい





vendredi 14 novembre 2014

今朝のシンクロニシティ?


仙台のホテルは、朝日新聞がお持ち帰りになっている

今朝、その新聞を開いて、あれっと思うことが3つあった

その中の一つには、特に驚いた


今書いているエッセイでは、『古事記』と「地球外生命」について触れている

2面下の広告が池澤夏樹訳の『古事記』で、3面には彗星に欧州の探索機が着陸した記事がある

一番驚いたのは、2面の「ひと」で取り上げられているリチャード・フラナガン氏


昨日のこと

実はシンガポールのデービッドさんからもう一冊紹介されていたのだ

 タイトルは日本の古典から採られているとのことだったが、すぐにはピンと来なかった

調べて見ると、『奥の細道』のこと


この小説は、今年のブッカー賞受賞作

昨日の2作同様、これも第二次大戦の日本軍と関連する

いつ読むことになるのかは分からないが、昨日注文したところだった

そして、今朝新聞を捲るとそれが現れたのだ


これをユングのシンクロニシティと言うのだろうか

この手のことはわたしの身の回りでは頻繁に起こっている

ただ、小さなことに驚くだけの余裕がなければ、どうでもよいこととして時とともに消えていく







mercredi 12 novembre 2014

なぜか深い話題に自然に入って行く

Dr. Jukka Westermarck (U Turku, Finland), Dr. David Virshup (Duke-NUS, Singapore)


昨日はいろいろな方と深いお話ができた

これまで話すことがなかったような内容が多くなり、驚く

日本人の場合、われわれの年齢に近くならなければそのような話題が出てくることは稀である

ここ何年かでそのことを感じていた

それぞれ哲学する時期に入っているとどこかで思っているのだろうか

勿論、そんなことはどこ吹く風という方も多いのではないかと思うが、、、


それに比べて、欧米の方はいつでもどんな話題にも付いてくる

常に疑いを持っているのか

そのために考えることになるのか

そして、考えていることを言葉にするのに慣れている

ロゴスの文化、会話の文化と言ってよいのかもしれない

なので、話していて飽きない

自らを、そして自らを取り巻くものを相対化する作業を小さい時からやっているのだろうか

振り返る作業を蔑にしていないように見える

これはわれわれが弱いところではないかと昨夜は感じた


ところで、久し振りのデービッドさんからは興味深い小説を書いているマレーシアの作家を紹介された

Tan Twan Eng (Penang, 1972-)

二つの小説の感想を聞かせてほしいとのこと


The Gift of Rain (2007)

いずれも第二次大戦中の日本軍によるマラヤ占領が背景になるようだ

今は小説を読む時間はなさそうだが、その時が来たら感想を伝えたいと思っている


今回初めてになるウェスターマークさんにわたしのことをデービッドさんが紹介していた

パリで哲学をやるなんていいですね、とはウェスターマークさんの反応

ご自身も興味があるようで、単なる儀礼の言葉ではないように感じた

 そこにヨーロッパ人を見た

などと言うと、お前はすぐに個別から普遍に飛ぶ、というフランシス・ベーコンさんの声が聞こえるようだ




仙台で、昔の領域の現状を覗く

開会講演後の柳田充弘教授(沖縄科学技術大学院大学)


今日は以前の研究分野の国際会議が開かれるので、様子を見るために仙台に

11th International Conference on Protein Phosphatase

研究の現状を知るためというよりは、昔の研究仲間と顔を合わせるためと言った方が正確だろう

離れて見る科学の世界がどのようなものかは、これまでも書いている

思想性はなく、細部の技術的なところが問題にされる

殆どが専門用語なので、それを知らなければ何を言っているのか全く分からない

言葉を知ればその部分は理解したように見えるが、実は何も理解できていないことが分かる

全体との関係が目に入らなければ理解に至らないからだが、それが議論されることは稀である

そこは各自に委ねられているということなのか

科学の現場でそれ以上に重要になるのは、細部で明らかになったことの次に何をやるのかである

そのため、なかなか全体には届かない

この状況は現代科学の宿命のようにも見える


これが午前中のセッションを聴いたところでの印象になるだろうか

会は金曜まで続く





dimanche 9 novembre 2014

連載エッセイ第22回 「デン・ハーグでエッシャーを発見、そしてスピノザの世界を想う」

Liberation (1955)
 M.C. Escher (1898-1972)


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第22回エッセイを紹介いたします


医学のあゆみ (2013.11.9) 247 (6): 577-581, 2013

 ご一読、ご批判いただければ幸いです





samedi 8 novembre 2014

母屋と書斎、あるいは実世界と精神世界


日本に帰ると、現実に戻ったように感じる

以前に日本とフランスの生活を母屋と離れの書斎と形容したことがある

これは意外に的を衝いているかもしれない

こちらは周りに日本語が蠢き、実生活にも注意が向きがちになる

しかし、向こうでは日本語が消え、もやもやとしたフランス語が流れているだけだ

そこにも実生活と想像の世界はあるが、こちらから見るとそのすべてが精神の世界に見える

次第にそれがはっきりしてくる

こちらの生活だけになると、地に足の着いた現実的なことだけが頭を覆うことになるのか

向こうの世界がなくなることは、純粋な精神世界がなくなることと同義なのか

それほど精神世界を維持するのは難しいのか

 確かに、あの空間に身を置くことで目に見えない霊感を得ていたように思う

しかし、別の世界から霊感が得られないということでもないだろう






jeudi 6 novembre 2014

7か月振りの日本


久し振りの日本だが、そんな感じは全くしなくなっている

ここ数年その傾向を増していたが、極点に達したように見える
 
つまり、フランスに向かう前と同じ状態に戻ったように感じる

これまでの時間が夢のように消え去り、現実に戻されたように感じるのである

何かは違っているはずだと思いたいのだが・・・

それはどこか詰まらない景色に見える

今回の第一印象が滞在中に変化するのかしないのか

様子を見る月になりそうである





mercredi 5 novembre 2014

プラトンとアリストテレスの全作品が身近に

 Aristote : Oeuvres complètes (Flammarion, 2014)


最近、ピエール・ぺルグラン(Pierre Pellegrin)さんの編纂になるアリストテレスの全作品集が出た

全一巻で、3,000ページにならんとする

これまで読んだものも手元にあるが、すべてがそこにあると思うと気持ちが落ち着く

 

Platon : Oeuvres complètes (Flammarion, 2008, 2011)


そう言えば、同じ出版社から出たプラトンの全作品集も手元にある

最初に出たのは2008年らしいが、わたしが手に入れたのはソフトカバー版が出た2011年のこと

こちらは、大体2,000ページになる

哲学のすべての要素は、このお二人の中にあるとも言われる

これから折に触れてお二人の声を聞くことになりそうである





samedi 1 novembre 2014

新学期を前にして


先日、再登録のための書類を大学に出した

昨日回答が戻ってきて、新学期も学生として過ごすことができることになった

登録料は約400€

これまでより少し上がった印象がある

それでも日本の大学、況してや米英の大学とは比べ物にならない

こうでなければ、かくも長き学生生活を送ることはできなかっただろう

本来、教育とはこうあるべきではないかと改めて思う

米英だけを見ていると、今の異常さに気付かない


昨年あたりから何かが変わり始め、この夏にはほぼ完結したように感じた学生生活

今学期はどんなことになるだろうか

今は想像もできない



今月は日本で過ごす予定である

これまでとは違った視点でものを観ることになるような予感がする





mercredi 29 octobre 2014

第8回 サイファイ・カフェSHE のお知らせ



第8回サイファイ・カフェSHEを以下の要領で開催いたします
 

テーマ: 「インテリジェント・デザインを哲学する」

日時: 2014年11月27日(木)、28日(金) 18:20~20:00  

定員: 約15名 (両日とも同じ内容です)


会終了後、懇親会を予定しております

この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いてきました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出しました。この試みでは、長い歴史を持つ科学の中で人類が何を考え、何を行ってきたのかについて、毎回一つのテーマに絞り、振り返ります。そこでは科学の成果だけではなく、その背後にどのような歴史や哲学があるのかという点に注目し、新しい視点を模索します。このような営みを積み上げることにより、最終的に人間という存在の理解に繋がることを目指しています。

今回はインテリジェント・デザイン(ID)を取り上げます。生物の在り様を説明する考え方として、ダーウィンによる変異と自然選択による漸進的な進化が広く受容されています。この説では、生命は行く先が決まっていないopen-endedな過程を歩むと想定しています。しかし、これらの思想では生命や意識の出現などは説明できないとして、宇宙や生命は「知性ある原因(デザイナー)」による方向性を持った過程だと唱えるIDが現れました。しかし、正統派の科学者の批判の対象になっています。一方、この考え方に共感を示す哲学者も現れています。生物の存在を考える上でIDには聞くべき点は何もないのでしょうか。今回も講師がIDの骨子を30分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。


参加を希望される方は、希望日と懇親会参加の有無を添えて 
she.yakura@gmail.comまでお知らせください  

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

よろしくお願いいたします






mardi 28 octobre 2014

第2回 生き方としての哲学を語る 「カフェフィロ PAWL」 のご案内




第2回カフェフィロ PAWLを以下の要領で開催いたします

PAWLは "Philosophy As a Way of Life" の略で、「生き方としての哲学」 を表しています

案内ポスター

テーマ: 「エピクロス: その物理学、哲学、生き方」

日時: 2014年11月21日(金) 18:20~20:00
 
哲学には、大きく二つの流れがあるように見えます。一つは、大学でやられている哲学 で、体系の構築を目指す哲学です。これに対して、自己の創造や人生を一つの芸術作品にしようとするような生きることに直結する哲学があります。カフェフィ ロPAWLは、長い間劣勢にあった後者の流れの中を歩む予定です。当面の間、生きることに関わる哲学を展開した哲学者の歩みを振り返りながら、そこで問題 にされたテーマをわれわれ自身に引き付けて考え、語り合うことを中心に据えることにしました。このような営みの中で、われわれの生き方に新しい風を吹き込 み、人間存在そのものに対する理解を深めることができれば素晴らしいと思っています。
第2回のPAWLでは、古代ギリシャのエピクロス(341 BC - 270 BC)を取り上げ、その科学と哲学、さらに生き方について語り合う予定です。エピクロスの自然科学によると、この世界は原子と空虚から構成され、何ものの支配も受けることなく原子は「空」の中を動き、偶然によってその動きが乱れた時に「もの・こと」が現れるとされます。彼の哲学はエピキュリアンとして現代でも誤って理解されている場合がありますが、長い間排斥された歴史があります。一体、彼の追及した快楽とはどのようなものだったのでしょうか。その点を理解すると、現代でも色褪せない彼の哲学が浮かび上がってきます。彼の科学、哲学、生き方を中心に講師が30分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。

定員: 約15名

会場: カルフール C会議室

Carrefour


興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

参加を希望される方は、she.yakura@gmail.comまでご連絡いただければ幸いです

よろしくお願いいたします





lundi 27 octobre 2014

パリに戻る



本日、予定通りパリ・モンパルナス駅に着いた

久し振りに近くのカフェに立ち寄り、この数日間を振り返ってからアパルトマンに戻った





dimanche 26 octobre 2014

快晴のボルドーで、新たな発見

 L'Obélisque (2005)
Ivan Theimer (1944-)


午後から素晴らしい快晴になった

朝の空からその後を予想できない点で、パリの空に似て変わりやすい

折角なので、街に出ることにした

駅の方から真直ぐ中心部に向かって歩いて行くと、ヴィクトワール広場(Place de la Victoire)に着いた

振り返れば、これまでじっくり見ることがなかったところになる



Deux tortues (2005)
Ivan Theimer (1944-)


オベリスクの近くには同じ作者による親子のカメが置かれている

ボルドーのカメだけあって、ブドウ好きのようである

そこまではそうですかという感じだったのだが、近付いて甲羅や体を見て、驚いた

そこには想像を超える世界が広がっていたからだ



 これはほんの一部で、見ていると全く飽きない

その中に吸い込まれ、時間を完全に忘れる


 そこから目を上げると、ボルドー大学(Université de Bordeaux)の医学部が見える

その正面に立つと、左右にやや煤けた「自然」と「科学」の像が目に入る

 

 
 

以前はボルドー第2大学だったが、今年から第1、4と一緒になり、ボルドー大学として生まれ変わった

第3大学は、ボルドー大学モンテーニュ(Université Bordeaux Montaigne)として独立を保ったようである

今日も発見に溢れていた
















霧のボルドー


今朝のボルドーは霧に霞んでいる

昨日は僅か4時間ほど歩いただけだが、体が痛い

日頃の運動不足が祟ったのか

今日は静かに過ごしたいものである



時計とパソコンの時刻が違っている

一瞬、一時間得したような気になる

いよいよ冬時間が始まったことを知る