mardi 14 octobre 2014

ランスの彫刻、その後


先日訪問したランス(Lens)の町には、同じ作家のものとみられる彫刻が随所に見られた

その彫刻家が気になっていたが、自らの作品について語っているビデオが見つかった


イタリア語で炭坑夫を意味する Minatore と題する展覧会をやったようである

この町が炭鉱の町だったので、そこに関わった人へのオマージュなのだろう

このビデオに出てくる作品はほとんど見ていることが分かった

これらの作品に特にメッセージはなく、観て何かを感じてほしいとのこと





lundi 13 octobre 2014

連載エッセイ第20回 「ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第20回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2013.9.14) 246 (11): 989-993, 2013


 ご一読、ご批判いただければ幸いです






samedi 11 octobre 2014

久し振りのインプロヴィゼーション


今朝、バルコンに出る

暫くすると、理想的な空になった

晴れ上がった空に次々に飛行機雲が現れ、低空には旅客機が飛んでいる

アパルトマンのどこからか水の滴り落ちる音が聞こえる

ボストンの最初の冬の雪の翌日に聞いた雪が融けて滴り落ちる音が蘇ってきた

暫くすると、中庭からリコーダーのメロディーが流れてきた

懐かしさを誘うその音色を聴いているうちに自分でも演奏したくなり、予定を変更して街に出た

 楽器屋さんに入り、いくつか試して手ごろなものを手に入れる

教則本が数軒離れた姉妹店にあるとのことで出掛ける

結構、人で溢れていた

このように自分の体を使ってみようなどと考えるとは、驚きである


店を出て向かいのカフェに入ると、ギターの音が聞こえる

お客さん7-8人が輪になり、その中のお一人が奏でる音楽を時に手足でリズムを取りながら聴いている

わたしも御相伴に与った

ネットに繋がったのでメール箱を開けてみると、イタリアから便りが届いている

モディアノさんのインタビューの情報であった


何か全体が心浮き立つ音楽のような流れであった

久し振りのインプロヴァイズされた一日と言えるかもしれない



夜、モディアノさんのインタビューを聴いてみた

如何にもフランス人らしい、一筋縄ではいかない、ソフトな語りである

問いに対して、インタビュアーと同じ平面で、誠実に、考えながら答えているという印象を受ける

ということで、好感を持った

小説を読むのは、かなり先になりそうである







 

lundi 6 octobre 2014

アンドレ・グリュックスマンによるヴォルテール


今日のお昼にパリに戻った

ランスに向かう前、パリ北駅のキオスクで雑誌をいくつか手に入れた

ル・ポワンには、ヨーロッパの衰退を大きく取り上げた記事がいくつか出ていた

その中にアンドレ・グリュックスマン(André Glucksmann, 1937-)さんのインタビューがあった

久し振りに車内で読んできた

この方に関しては、かなり早い時期に取り上げている



最新刊 Voltaire contre-attaque が今日から書店に並ぶという

以下に、彼の言葉を掻い摘んで書き留めておきたい

------------------------

今緊急に求められることは、ヴォルテールが高く明確に掲げたコスモポリタン的自由を救済すること

フランスでも左右の保守派から攻撃に晒され、3世紀に亘るヴォルテールの緩やかな破壊が起こっている

この流れに対して闘う意思を示す意味もあり、この本を書いた

20世紀半ばの知識人はヘーゲル、マルクス、ハイデッガーとは対照的にヴォルテールを哲学者と見做さなくなった

哲学の中で教育されなくなったが、彼こそ最も現代的な哲学者である

彼は人種、グループ、国の境界などの根ざすもの、狂信主義を拒否した点でわれわれの同時代人なのである

ヴォルテール主義者であるということは、永遠に続く「揺れ」を受け入れること


今回、『カンディード』(Candide ou l'Optimisme, 1759)を読み、ヴォルテールを救済した

カンディードはわれわれの時代の人間である

その対極にあるのが、『ザディーグ』(Zadig ou la Destinée, 1747)である

こちらは才能に溢れ、金持ちの思想家として始め、そしてそのままで終わる

一方のカンディードはどこから来て、どこに行くのかも知らない

祖国も国境もない

いろいろな出来事に耐えるのは、彼の良心だけが基礎になる

ザディーグは運命を感じ取るが、カンディードは偶然を容認する

カンディードは共同体や国家に属さない

世界に開かれたヨーロッパ人であり、世界人である

啓蒙時代の人間なのである

あらゆる場所にいると同時にどこにもいない、発見する人間なのである

旅行者として過激に、そして永遠に生き続けるのである

共同体や国に属する人間が多数派なのに対し、国境を持たない人間は例外であり、多数派になることはない



外に開かれるに従い、逆に国家の感情が生まれるのは自然だとも言える
 
しかし、その場合の祖国は他者に対して閉じていて、最早時代遅れになっていて、機能しない

それは、19世紀から20世紀の三分の二の時代を占めた考えだった

ヨーロッパの冒険の偉大さを見ることができないというのは、恐ろしい衰弱である


フランス人が抱える不安に、アイデンティティの消失がある

しかし、アイデンティティとは与えられ、固定されたものではない

作られるものであり、修正されるものである

フランス人のアイデンティティは、共和主義と結びついている

アイデンティティは存在したのではなく、一つの契約を新たに発明したのである


プーチンは酷いやり方で自由主義とコスモポリタニズムに抗する動きを進めている

それが西洋人の一定部分を誘惑しており、このまま行くと戦争しかないかもしれない

われわれヨーロッパ人は何を護るべきかを知らない

ヴォルテールは何をどう護るのかを知っていた

この本を書いた理由はそこにある


普遍的な言説は政治的、知的エリートが打ち上げるものではない

彼らはヨーロッパという計画の基礎を揺るがすような面倒なことに立ち向かうことをしない

フランスのエリートには、親ロシアの心情がある

西ヨーロッパに見られるように、フランスには権力と金、武力さえも愛する心情を持っている

本質において、ヒットラー主義とプーチン主義にそれほどの差はない

勿論、プーチンはヒットラーではない(少なくとも今のところ)

しかし、ヨーロッパにおける国境を描き直そうとする彼の野心は、冷戦以来の危機である


わたしを善悪二元論者とする批判もあるようだが、そうは思わない

18世紀以来、二つのロシアがある

プーシキンの考えを好んでいるという意味で、わたしは善悪二元論者ではない

この大陸にはイデオロギーの対立が消えることがない

われわれの病理は善悪二元論ではなく、明晰さを最早持ち合わせなくなっていることである


イラクやリビアの状況を見ると、われわれの価値を輸出することがうまく行かなくなっているのではないか

自由という素晴らしい考えが空から降ってくるという見方が通用しなくなっていることは確かだ

普遍的な言説は、イスラムの脅威やプーチン主義、そして明日の中国に対しては力を持たないだろう

しかし、何もしないのでは解決にならない

われわれはほとんど最初から普遍主義者で、敵対者からもそう見られている
 
その立場を自ら否定することは、彼らの欲望を強めるだけである

  
2万人とも言われるロマは生贄となっている

道端に寝、貧民窟を彷徨い、社会に同化できないでいる

その一握りが6千万のフランス人を震え上がらせているというが、それはあり得ないことだ

安全や健康の問題になるという

確かにロマの行動には問題があるが、それは根っからのフランス人についても言えることだ

寧ろ、ロマが公共の危険になるというコンセンサスができていることこそ危険である

わたしが分析しようとしているのは、このことだ


5億人のヨーロッパ人はこれまでの覇権を失っていると感じていると言うが、全体としては最も豊かである

グローバリゼーションによる恩恵も受けている

しかし、そこに新たなチャンスがあると考えるのではなく、富と安全が危機に晒される要因を見ている

そこでは、ロマは何の脅威にもならない

寧ろ、ヨーロッパがヨーロッパであることの脅威を早く処理しなければならない

ヨーロッパは親アメリカであった

エリートの祖国のために親ロシアであった

自らの力に頼る大胆さを持ち合わせなかった

その挑戦に応じることも敢えてしない



カンディードの精神をどのように21世紀の政治に甦らすのか

それは、悪や専制政治やテロリズムに立ち向かう意志

生き方、考え方として、不確実性と寛容を受け入れること

民主的な庭を耕し、その扉を開く能力


これからの問題は、誰かがEUの原理である自由と寛容を引き継がなければならないということ

左右の選択ではなく、国家主義の中に閉じ籠る誘惑を拒否するか否かの選択である

ヨーロッパが経済的にもっとしっかりしていれば、影響力もあり、聞く耳を持たれると言われる

しかし、最も豊かな大陸であるヨーロッパの弱点を強調すべきではない

ヨーロッパ人は道徳的であり、精神的なのだ

もしわれわれが動かなければ、事態は悪化するだろう


フランスでの共同体主義の高まりにより、共和主義精神、そしてヴォルテール的言説は弱まっている

ただ、弱まってはいるが、死んではいない

ヨーロッパ的共和主義は蘇るだろう

わたしのヨーロッパが文学的であり、哲学的だと言うが、文学を軽視してはいけない

モンテーニュはアンリ4世とともに宗教戦争に終止符を打った

ヴォルテールは世俗主義(ライシテ)と寛容を発明し、人権宣言への道を拓いた

ソルジェニーツィンはレーガンと同様にベルリンの壁崩壊に貢献した

今も世界に語り掛ける偉大なヨーロッパ人を挙げるとすれば、・・・・・・・・・ ヴァーツラフ・ハヴェル

そして、自由を護るために専制に立ち向かっている世界に散らばる異端の思想家たちである  


(ランスのホテルの床で目が合った)




dimanche 5 octobre 2014

Louvre-Lens を訪問



今朝は、近くのカフェで2時間ほど仕事をしてからルーブル-ランスに向かった

その美術館は、広々とした自然の中にあった



ランスは炭鉱で栄えた町のようで、関連の施設や記念館などがある

ここは2012年12月に開館したようだが、元は炭鉱の跡地とのこと

設計を担当したのは、SANAA (Sejima And Nishizawa And Associates) 

妹島和世・西沢立衛のご両人だ

そう言えば、以前にどこかで読んだような記憶が蘇ってきた

とにかく広い敷地に建物が広がっているで、一枚の写真に収めることができない

ガラスとアルミで出来ているとのことで、見ていて気持ちがよい



今日は入場無料になっていた

中に入ってもこの開放感

ここの空間を味わうだけでも十分である



それだけでも広いのだが、壁がぼんやり反射するようになっているので、さらに広く感じる

境がはっきりしないので、どこか雲の中に浮いているようにも感じる


ガラスのパビリオン (Pavillon de Verre)


ガラス越しの景色もなかなか味があった



炭鉱を記念して残してあるのか、遠くにボタ山が二つ見える


Figure de Fantasie (1769)
 Jean Honoré Fragonard (1732-1806)


今回の展示の中では、特に彫刻に魅せられるものが多かった

古代エジプトから中世にかけての作品が素晴らしかった

それとは別に、長い間ディドロの肖像だと思われていたフラゴナールの作品に出会った

わたしもそう思い、前ブログの主として使っていたものである

筆遣いや色遣いが柔らかく、気に入っていたのだが、実物は想像を超えていた

しかし、これはディドロではないという

ディドロは栗色の目をしていたようだが、こちらは目が青く、題名も確認できないらしい




 なかなか諦めきれず、近寄ってじっくりと眺める

近くにはジャン・アントワーヌ・ウードンの 「哲学者ドゥニ・ディドロ」 と題する胸像が置かれていた


 Le philosophe Denis Diderot (1775)
Jean Antoine Houdon (1741-1828)



2014年10月5日


ところで、今日は中心街の至るところに出店が出て、昨日が嘘のような物凄い人出

 歩くのに一苦労した

これ程までに人が出ているのに驚いた

空から写真を撮ることができれば、興味深い図が見られるはずだ


2014年10月4日



人ごみの中でこんなパンフレットを貰った

「ランスを救うために、私たちの町を目覚めさせましょう」 とある

今日の催し物もその一環になるのだろうか






ランス散策


昨日、ホテルに落ち着いた後、散策に出た

ランス駅前のビルは、すべて廃屋状態



駅前にあった彫刻だが、この彫刻家の作品が街に溢れていることを後で知ることになる







この作品の写真を撮っている時だった

後から 「ムッシュー」 という声が聞こえた

振り返ると若者二人がいて、写真を撮ってほしいという

カメラは?と訊くと、「あなたので」 という

後で送ってほしいのかと訊くと、撮ってもらうだけでOKという

不思議なカップルだった

やはり、ここはフランスか










samedi 4 octobre 2014

二人の画家が現れ、ランス (Lens) に到着


昨日と一昨日参加したワークショップのプログラムの表紙に絵が添えられていた

 どこかで見たような、初めてのような絵が

作者をオーガナイザーのフランチェスカさんに訊ねると、セルジュ・ポリアコフという名前が返ってきた

早速調べてみると、ウィキの Serge Poliakoff(1906-1969)がある

ロシア生まれで、パリで活躍した画家である

そして、その下の方に自分の記事が現れ、驚く


すでに出会っていたことが分かる

今回、4年半ぶりの再会となった

こんな絵を描いている方である


昨日のデジュネの時、MD氏の口からオリヴィエ・ドゥブレ(Olivier Debré, 1920-1999)という画家が現れた

この方は、こんな絵を描いている

それからMD氏の芸術の才にも驚くことになった

夏のヴァカンスをギリシャで彫刻をして過ごしていることは知っていた

昨年からその場所が閉鎖されたので、イタリアの大理石が取れる場所に変えたという

そこで作品に合わせて大理石を切ってもらい、2週間ほどで仕上げるようだ

退職時、研究室のメンバーがこの場所での2週間をプレゼントしてくれたという

行く前に粘土でイメージを作ってから出掛ける

科学者らしく、Day 0 から Day 12 までが記録に残されており、それを見せていただいた

実は今年の新年、MD氏にコルシカ島からブログ記事を添えて挨拶メールを送った

すると、若い時に行ったことがあり、写真と同じ場所をスケッチしたことがあるとのことで、その絵が返送されてきた

その時に絵の才の凄いのに驚いたのだが、彫刻の方も素晴らしく、改めて感嘆する


そんなことが重なり、芸術の心が刺激された訳でもないだろうが、ここランス(Lens)にやってきた

先日の日本からの便りで、この町にルーブルがあるとのニュースを知ったからである

庵暮らしにとって、フランスの情報を日本から得ることは稀ではない

日本語では同じランスになるマルヌ県の Reims とは違い、こちらはパ・ド・カレー県にある

わたしには馴染みになったリール(Lille)にも近い


ホテルは外国人夫婦が営んでおり、歓迎もなかなか熱い

声が大きく、すでにお二人のやり合いも聞こえてきた

さて、どんな町だろうか





vendredi 3 octobre 2014

エピジェネティックスから科学と形而上学へ


昨日と今日はエピジェネティックスについてのワークショップへ


若い哲学研究者が中心で、数名の最先端の生物学者が加わっていた

哲学者の興味は言葉の中身、定義へと向かいがちである

それは重要なのだが、科学は定義なしに「こと」を進めることができる

どれだけの科学者がこの作業に興味を持つだろうか


エピジェネティックスはラマルク的か、という問いがある

今明らかにされていることをラマルクが言っていたわけではないという意味で、答えはNOだろう

現象面では類似しているのだが、、

ラマルクという言葉が出てくるように、科学の成果を歴史に照らして検討することの意味は大きい


エピジェネティックスはパラダイム・シフトを起こしているのか、という問いもある

さらに、「遺伝子なき遺伝」という言葉も踊っている

遺伝子はタンパクをコードするDNAの断片と定義されてきた

DNAの配列に依存しない遺伝も明らかになる

しかし、それは遺伝子があってのことである

「遺伝子なき遺伝」はありえないし、パラダイム・シフトを起こしているということもない

ただ、メンデルの遺伝学を豊かにしていることは確かである

そんなところが現状認識になるだろうか


遺伝子産物の発現に関与するすべての要素を含めて遺伝子と定義したいとする意見があった

ジャン・ドイチュ博士の提唱で、博士はそれを「パンゲン」と名付けていた

この名称について疑義を差し挟んだことは、以前に触れた


偶然にも博士が横になったので、その後の経過を訊いてみた

そうすると、新しい「パンゲン」のアイディはなかなか受け入れてもらえないとの返答であった



今日のデジュネはMD氏と一緒だった

話題は、新しく出たエッセイのテーマと同じ科学と形而上学

なかなか良い話ができたと思う

わたしは科学の成果から出発して形而上学の世界に飛び出したいと思っている


一方のMD氏は、科学から形而上学を一掃したいと考えている

彼の言う形而上学とは、自然界には実体がないもので、言葉だけの世界を指している

もしそうだとすると、科学で使われている言葉のかなりの部分は形而上学の世界に属することになる

それを一掃することなどできるのだろうか

おそらく無理だろうと彼も思っている

その場合は、そういう曖昧なものを扱っていることを科学者が意識する必要があるという

ご本人は、それを科学者に意識させるようにすることが大切だと考えている


わたしの形而上学は科学の成果の先にある想像の世界になる

科学から離れることなく、その世界に新しい光を当てることができないだろうか

そうすることによって、「もの・こと」をより深く理解できるような光の当て方ができないだろうか

そんな問題意識を持っている


今日意見の一致を見たのは、次の点だった

哲学が自らの中に籠もり、そこでの満足を求めるところに留まるのを止めること

そして、多くの科学者が納得する形で科学にフィードバックができるようなやり方を模索すること

今の状態では科学者は哲学の言うことを聞くことはないだろう

もったいない話である

科学が気付いていないのだから、哲学の側からの働きかけが問われることになる

Philosophy of scienceではなく、Philosophy for scienceの視点を採ることができるかどうか

そこが問われるだろう

そう言っている哲学者もいる


このような考えになるのは、お互い科学から出発して哲学に入ったからだろう

科学への働きかけが常に意識にあるからだろう





dimanche 28 septembre 2014

久し振りに、日本の現状を幅広く語り合う

水口純一郎先生(東京医科大学)


昨日は昼からカルチエ・ラタンに出て、少しだけ仕事らしきことをする

夕方、スペインの学会の帰りにパリに立ち寄られた水口先生とソルボンヌの前で再会

昨年9月、日本の大学でお世話になって以来である

早速、クラシックな教育が行われているソルボンヌ大学の中を見学

それからお決まりのコースになったコレージュ・ド・フランスを外から眺める

中庭に新しい彫刻が二つ置かれていたが、中に入ることができず作者はわからなかった

夜はサン・ジェルマン・デ・プレに出て、11時くらいまで語り合う


兎に角いろいろな話題が出たが、今浮かんでくるものだけでも次のようなことがあった

日本社会や教育の問題(一般教育、語学教育、道徳教育、科学教育、、)

教育が機械化され、教師も学生も道具に成り下がっている印象を持つ


科学のあり方と哲学との関係

特に、科学者は哲学視点を持ちたいと思っているが、その時間が取れないのではないかという指摘

仕事が忙しく過ぎて考えることができなくなっている現状


いつまでも仕事にしがみ付くのではなく、科学を大きく考える人が出てきてもよいのではないか

寧ろ、その方が科学への貢献は増すのではないかという指摘などなど

 話は尽きることがなかった





jeudi 25 septembre 2014

習得したことは、空の味わい方?


今日は朝から良い空を見ることができた

これまでの年月に見てきた空の中から、気分を浮き浮きさせるものが分かってきた

それを「良い空」と勝手に呼んでいる


ゆっくり流れる雲

あるいは、ぽっかりと浮かぶ雲

そこにどこからともなく次々に現れる飛行機雲が加わる

時に、低いところを行く飛行機の機体が太陽を反射して光を発する

まさに、音楽である

こちらに来て一番よく観たものは、ひょっとすると空かもしれない

こちらで習得したものは何かと問われれば、空の味わい方と答えるのではないだろうか


夕方、街に出た

空の見過ぎからか、頭の使い方が科学から離れているように感じる

視線の先が細部から離れ、茫洋としたところに向かっているように見える

習い性となったこの傾向を修正することは可能だろうか




mercredi 24 septembre 2014

「いま」 は最早取り戻すことのできない時間


今日歩いている時、こんな考えが浮かぶ

パリの今は、今しか味わえない大切な時間

それを振り返る時、最早取り戻すことのできない時間だと気付くだろう

このような考えが飛び出すということは、一つの境を越えたことを意味しているのか

そして、この考えを横に移動させると、この生そのものに当て嵌めることができる

ごく当たり前に見える考えだが、それを言葉ではなく、体で感じることができることは幸いである

そう感じることができると、日々の生活が変わってくるはずなのだが・・・




samedi 20 septembre 2014

ベルクソンの年表を眺め、「この素晴らしき世界」


ベルクソンの年表を読む

2,500年の歴史が基準になったことが関係しているのか

人間の一生などあっという間という感慨が湧く

そういう刹那の生に気付くと、今現在がすでに歴史的な点になっているという視点が生まれる

ただ、その点がその人間の歴史にとって、どのような時期に当たるのか

それは、最後まで行かなければ分からない

しかし、そう考えることができると面白い道行になるような気がする

やはり、この素晴らしき世界なのか














夕方、久し振りの雷鳴と比較的強い雨となった






vendredi 19 septembre 2014

一体どこに消えた?



昨日の朝のバルコン

目が悪くなっているのか、枯葉か小枝かと思っていたが、よく見ると動いている

死にかけの蜂だろうか?

全くわからない

小さな枝のようなものを持って食べようとしているようにも見えるが、どうなのか

いつものように、暫くその動きを見ていた

仰向けの姿勢のままで、起き上がることができない

力なく抱えたものを動かしているが、時にこのような動きをするので生命力はまだ残っている




今朝、気になったのでバルコンに出てみた

不思議なことに、その姿はもう見えなかった


動物に詳しい方の鑑定をお願いしたいところである




jeudi 18 septembre 2014

セミナーの後、イタリアからのお客様と語らう


今朝、バルコンで新たな考えが浮かび、それを形にするために街に出る

午後からは新学期最初のセミナーを聴きに大学へ

パソコンから映像をスクリーンに送り出すことができず、20分始まりが遅れる

こういうことが稀ではない

この辺りのテクニックはどうでもよいと思っているところがある

その間を愉しんでいる感じがある


セミナー終了後はイタリアからのお客様とカフェで語らう

その時、セミナーからの帰りのMD氏が通りかかり、話が盛り上がる

その後、公園へ足を伸ばし、笛で追い出されるまで文学や芸術のお話をする

 わたしの守備範囲外なので、新鮮であった

それにしても、このところの蒸し暑さはどうしたことだろうか

少し歩いただけで汗が滲む





mardi 16 septembre 2014

リュクサンブール公園を眺め、話題豊富な哲学談義

Dr Luc Fetler


今日は朝からランデブーのため外に出た

先週、キュリー研究所で研究されている方から問い合わせのメールが届いた

現在の科学が余りにも視野狭窄になり、科学者自身が自分のやっていることを捉えられなくなっている

 このような現状認識から、もう少し広い枠組みに科学を入れ直して考えてみたいと思うようになった

以前にわたしの仏英ブログを見たことがあり、同じような背景があるので参考意見を伺いたいとのことであった

 わたしは真面目な学生ではないので、哲学の研究をしようとする方の参考にはならないとお伝えした

それでも、ということで、リュクサンブール公園近くでのランデブーとなった


お話によると、医学部を出た後、生化学、癌研究と臨床、さらに免疫学との関連へと領域が変容している

また、精神分析にも興味があり、ラカンなどをご自分の時間に読んでいるとのこと

今考えている研究テーマは、癌と免疫が絡むものにしたいとのお考えであった

そのような方から、どのような研究テーマが考えられるかという問いが出されたのには驚いた

時間を限って研究したいとの意向が強いため、横道に逸れるのを避けたいからだろう

 それから、どのような人とコンタクトするのがよいのか、などの質問が続き、さらに驚く


どこで仕事をしているのか、と訊かれたので、図書館と何といってもカフェだと答える

すると、わたしのような人がさっきまで後ろで仕事をしていたとのお話

毎朝10時にこのカフェに顔を出し、2時間ほど隅の席で仕事をして帰るとのこと

イスマイル・カダレ(Ismail Kadare, 1936- ) というアルバニア出身の作家であった

現代哲学者について訊いたところ、アラン・バディウさんを挙げていた

この場で何度も取り上げている方なので、そのことにも驚く


どこから繋がったのか忘れたが、アレクサンドル・グロタンディーク(Alexandre Grothendieck, 1928-)という数学者

 「隠遁生活」という話からだったかもしれない

50年ほど前にフィールズ賞を受賞

20年ほど前からピレネー山脈での隠遁生活に入り、人には会わないという

鉛筆と紙だけがあればよい数学だから可能な生活だろうか


この他いろいろの話題が出たが、共通する問題意識があることがわかった

それから、日本人の鬱や自殺を研究している慶応大学の北中淳子さんのことが話題に出ていた

最近、ご著書が仏訳され、聞き間違いでなければパリでのシンポジウムにも参加されたようだ

De la mort volontaire au suicide au travail


わたしの話がどれだけ参考になったのかはわからないが、こちらにとっては貴重なお話がてんこ盛りであった





lundi 15 septembre 2014

「科学の形而上学化」 について再考する


この週末は完全オフにした

摘み食いをしながら、ネットに溢れる古今の日本人の話を聴く

そのためか、今朝は体が重く感じられるだけではなく、実際に体重も増えたようだ

このところの不摂生が祟ったのだろう

今週から外に出ることにした

ということで、今日はカフェからのアップとなった

 
「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ「パリから見えるこの世界」の第32回が発表されたので紹介したい

(32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する
 
医学のあゆみ (2014.9.13) 250(11): 1063-1068, 2014

科学のあり方を哲学との関係で論じている

お目通しの上、ご批判をいただければ幸いである




vendredi 12 septembre 2014

本日は蠅さんと


今日は朝から晴れ上がっている

バルコンで瞑想でも、と思い椅子を出す

暫くして戻ると、この景色

蠅が一匹、日の光の当たる場所に移動しながら日向ぼっこをしている

椅子が日陰になるまで気持ちよさそうにしていた

 先日の蜘蛛もそうだったが、なぜかわたしの周りを離れてくれない

仕事をしている時ならば追い払って座っていたのだろうが、その時間を蠅さんと共に楽しんでいた

彼等との距離が近くなっているのを感じる





mardi 9 septembre 2014

蜘蛛とのひと時を味わう


先週まではラントレ・モードを何とか維持できた

この週末、大学に出す一年間のまとめを書くために、それまでの4年間の報告を読み直してみた

真剣に向き合っていたとは思いたいが、行く先が見えていない印象だ

今回のまとめでは、これからの方向も加えてみた

計画の段階はよいのだが、体が動かないという問題がある

長い間に染み付いた習慣を変えるのは大変である


今週から引き籠り先が休業中なので、こちらもゆっくりすることになった

寄って来た蜘蛛ともお付き合いする時間を味わうことができる

やはり、こういう生活が性に合っているのだろうか






samedi 6 septembre 2014

ニコラ・グリマルディさん、再び



2年前の哲学雑誌を手に取る

新鮮である

科学の領域にいた当時を振り返れば、2年前はかなり昔という感覚だろう

それだけ時間に追われていたことになる

哲学ではそれがない

ゆったりした流れというよりは、対象は常にそこらに漂っているという感じである


手に取った雑誌の中に、ニコラ・グリマルディというソルボンヌの教授だった哲学者のインタビューがあった

昨年5月、ボルドーに向かう車内で発見した人だと思っていた


しかし、その一年前に手に入れた雑誌の中にすでに顔を出していた方だったことになる

その時は読んでいなかったのだろう

この記事の中で、次のようなことが語られていた


お祖父さんから学んだこと

それは、われわれは一人で生まれ、一人で死んでいくということ

そして、真理に到達するのは孤独の中にいる時だけであるということ

デカルトがすべてから身を引き、宇宙に存在するすべてを疑い、コギトを発見したように


それから、これまでに影響のあった人を問われ、二人を上げている

その一人は、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ (1903-1985)

彼は、哲学者というものがどういう人種なのかをそれとなく体現していたという

それは、自分が充分に時間をかけて考えたこと以外は話さないこと

そして、自分が深く生きたこと以外は考えないことであった

グリマルディさんが教える時に心していたことも、この師から感得したことだったという

それは、思想を生き生きとさせ、感情と同じように感染性を持つようにして、学生を退屈させないこと


上の写真には、グリマルディさんの言葉がある

「絶対の中に生きたいと願うこと

それは、地平を生きたいと欲するようなものだ

地平とは、そこに向かうが、決して辿り着かない・・・」



ところで、昨夜の帰り道

向こうから考え事をしているような若き女性がわたしの方に歩を寄せてきた

道でも訊かれるのかと思いながら、彼女からの言葉を待った

近くの道という枠組みになっていた疲れたわたしの頭は、最初その意味を掴みかねた

訊き直すと、こう言っていた

「ポーランドの首都はどこでしたっけ。ポーランドの」

それが思い出せなくて苛々していたのだろうか

そんなの簡単でしょと思ったが、その一言が出てこない

思い出そうとすればするほど、である

 なぜ出てこないのかと、こちらも苛々してくる

これは無理だと判断して失礼する

そして、歩き始めるとその答えが現れた

こういうことがよくあるようになってきた

弾性を失いつつある脳、とでも言いたくなる


それにしても何でもありのフランスである

なぜか嬉しくなり、疲れはどこかに飛んで行った





mardi 2 septembre 2014

日本からのお客様とのディネ

杉浦麗子先生(近畿大学薬学部)の研究室メンバーとお一方


今日の夕方は、サン・ジェルマン・デ・プレまで出た

現在パリで開催中の学会に来られた杉浦先生の研究室メンバーとのディネのためである

日本でも有名な観光スポットでの2時間となった

先生とは研究領域は関連していたが、ご本人のこれまでについては今HPを見て発見したところ

今日はフランスのことはもちろんだが、精神科のことについても話すことがあった

その反応が実験科学だけで生活している方からは出てこないようなものだったので、不思議に思っていた

HPで仏文や精神科の経験をお持ちだったことを知り、納得した次第である

そうであれば、そのように言っていただけると恥をかかずに済んだのだが、、、

いずれにせよ貴重な時間となった