lundi 6 juillet 2015

ニーチェによる風土と精神との関連


こう蒸し暑いと、ついニーチェの言葉を思い出す


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誰にしろ、何処に住んでも構わないというものではあるまい

ことに全力を振りしぼることが必要である大きな使命を果たさなければならない者は、

この点できわめて狭い選択しか許されていない

いったん土地と風土の選択を誤ると、自分の使命から遠ざけられてしまうばかりでなく、

使命そのものをわが身に授けてもらえないということが起こり兼ねないのである

つまり、彼自らが使命に面と向かうことを一度もしないで終ってしまうわけだ


どんなに小さな内臓の弛みでも、それが悪い習慣になってしまえば、

一人の天才を凡庸な人物に、何か「ドイツ的な存在」に変えてしまうには十分である

ドイツの風土にかかったら、強健な内臓、英雄的素質を具えた内臓でさえも、

無気力にしてしま うのはいとも簡単だ


ひとつ比べ合わせてみて頂きたい

才気に富んだ人々が住んでいたかまたは現に住んでいる土地、

機智と洗練と悪意が一体となって幸福の要素を成していたような土地、

天才がほとんど必然的に住みついていたような土地、等々を

どれもみな空気が素晴らしく乾燥した土地ばかりだ

パリ、プロヴァンス、フィレンツェ、イェルサレム、アテーナイ

----これらの地名は何かあることを証明している

すなわち、天才の成立は乾燥した空気や澄み切った空を条件としていること


私はある自由な素質を持つ秀でた精神が、

たまたま風土的なものに対する本能的鋭敏さを欠いていたというそれだけの理由で、

狭量になり、卑屈になり、ただの専門家になり下がり、気むずかし屋で終ってしまったケースを、

目の当たりに見て知っている


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ニーチェ 「この人を見よ Ecce Homo」 (西尾幹二訳)
  


こちらに来て初めて、大地が揺れない土地に住んでいる幸いを意識するようになった

つまり、それまで天災が日常的に襲う特殊な風土の中にいることに無自覚でいたのである
 
それ以来、気候と精神の関係は想像以上に重要であることに気付くことになった

それは、積極的、意識的に住む場所を選ぶという行為を浮かび上がらせることにもなったのである





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