mardi 28 juillet 2015

ある建築家の設計哲学



東京オリンピックの競技場で揉めているという

問題をフォローしているわけではない

しかし、なぜか最初のブログ「ハンモック」で取り上げたフランスの建築家の話を思い出した

その建築家はケ・ブランリ美術館の設計哲学を問われて、こんなことを言っていた

2006年のことである


それは、他者の文化・文明のための区域territoireを創造すること、建物というよりはそのための場所(territoireというイメージで事を進めること、全的な建築 "une architecture totale" とも言えるものである。公園が全体の三分の二を占め、ギャラリーはセーヌ川の曲線と共鳴し、テラスはエッフェル塔の日陰になるという素晴らしい立地条件である。建物が平凡なので、色や光、細部で勝負した。

アフリカ・オセアニア文化の美術館では、例えばマスクなどはそれが本来あるべきコンテクストから抜き取られて、芸術作品として展示されることになる。しかし、彼は芸術作品として扱わないと言う。そのものが感情を揺さぶる力を維持していること、またそのものがある状況(踊っている人の顔にあるマスク)を想像することが重要になるので、そのための映像や文献も用意している。人類博物館とアフリカ・オセアニア博物館の統合をこの美術館はしている。

今日の建築を揺り動かしている問題は建物が建つところの地理や歴史との対話なしに、土地の人との協調なしに、いつも同じような形を落下傘で落すようなやり方で、このようにして世界を矮小化するのには反対である。仕事はいつも冒険であり、探検でなければならないが、90%のプロは場所に対する意識がない

  
こう答えていたのは、ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel, 1945-)さんであった





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