lundi 22 décembre 2014

マルセル・コンシュさんが語る哲学と真理

Marcel Conche (1922-) 
© Dailymotion


マルセル・コンシュさんのビデオを観る

もう92歳になっているが、これは何年前のものだろうか

91歳の時にビデオが作られているので、そのボーナス映像ならば同じ時になる

 Marcel Conche : La nature d'un philosophe (Christian Girier)


コンシュさんについては最初のブログから取り上げている

おそらく、フランス語を始めるようになり、最初に知ったフランス人哲学者になるだろう

最近では、今年の2月にこの場に書いている

マルセル・コンシュさん、人生とエピクロスの哲学を語る (2014-2-15)




このビデオでは、かなり重要なことが語られている

特に心を打ったのは、探究の末に絶対的な真理に到達したという言葉

 そして、そこに至るには自由が決め手になるということであった

彼の語りの簡単なまとめを以下に

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まず、天職について

早い時期から人生を哲学に捧げることを決めており、それ以外のすべてを犠牲にしてきた

その中には愛情も入っている

結婚して妻を愛してはいたが、愛情に溢れていたわけではなかった

愛情に溢れることによる幸福を求めたが、それを一度も味わうことはなかった

しかし、そのことに後悔は全くない

その理由は、自分が味わうことができなかったことの中身を知らないからである

そして、それは自分が選択した道ではなかったからでもある

愛情生活は素晴らしいが、いろいろなことを一緒にしなければならないので時間を奪われる

そのことには24歳の時から注意していた

愛する人と共にいることと愛情生活は別である

愛情生活と思考による喜びも別物である


わたしは幸福を求めはしない

わたしに必要なものは、幸福ではなく真理に近づくこと、すなわち哲学である

 幸福とは、真理に近づくべく探究するそのことの中に表れているとも言える

 わたしの見方をニーチェが書いている

 « La vraie vie ne veut pas le bonheur. Elle se détourne du bonheur. » 

「真の生活は幸福を欲しない。真の生活は幸福から離れて行くのである」


わたしには嫉妬も羨望の感情も全くない

そこには何の利点もないだろう


この年になり真理を発見したと思うかと訊かれれば、答えは非常に簡単で、「ウィ」である

わたしがやっている形而上学で重要になるのは、証明ではなく、力強い議論である

それを決めるのは、論者の自由である

ここで言う真理は、わたしの真理と言うよりは絶対的真理である


神は文化的な存在で、個人の判断を超えた客観的な存在ではない

自然の根源的な意味について、科学はある段階までは参考になる

しかし、科学が形而上学を代替することはできない

形而上学が全体を扱うのに対して、科学はそうではないからである

ビッグバンから始まる世界がすべてだという人がいるが、それは「もの・こと」の全体ではない

エピクロスが言った無限の世界がそこにある

有限のわれわれが無限を理解することができるのか

無限とは神が与える想像の世界にだけあるのではなく、われわれが生きている自然の中にある

その意味で、スピノザは正しかった

われわれは無限の中に在ることを知り、そのことを祝福して生きることが大切である






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