ジャン・ドルムソン氏、88歳
昨日、カフェに寄る前にキオスクに入り、一面に並んだ雑誌の表紙を眺める
その中に、今日のタイトルの特集記事があるのを見つける
Le Point の最新号は、各界で活躍している20人の高齢者に人生の意味を問い掛けている
その中から何人かの言葉を紹介したい
アカデミー・フランセーズ会員のジャン・ドルムソン氏、88歳
ヴィクトル・ユゴーの作品に出てくる言葉では "aurore" (オーロラ)がそれに当たる
マルクスの「明日は変わる」である
しかし、この言葉は最早左翼のものとは言えない
環境主義者や緑の党は進歩を信じていないからだ
環境主義者や緑の党は進歩を信じていないからだ
ただ、わたしはまだ進歩を信じている
先の大戦では、強制収容所などを入れると1億人が亡くなっている
われわれに欠けているものが二つある
一つは長い歴史の記憶で、もう一つは未来に対する希望である
フランス人は悲観的で、その程度はアフガン人やイラク人の上を行くという研究さえある
希望の後ろには愛があるが、今、愛を語ることが難しくなっている
ニュートンの引力を見通していたような言葉であるが、引力こそ愛である
偶然だけで、この世界の均衡が保たれているとは信じられない
物理学における愛、宇宙的な愛のようなものがそこにあるのではないか
そこに永遠の時があるようにも思える
それは、プラトンが言った「時間とは、永遠が動いているイメージである」に通じるものだ
この永遠がすべてのものを結び付けているのである
俳優のジャン・ロシュフォール氏、83歳
1958年、仏露合作映画に出演する話があり、感激して出掛けた
到着すると、すぐにパスポートを没収され、シベリアで4週間の撮影が始まった
撮影が始まり、それがスターリンのプロパガンダ映画であることがわかったが、すでに時遅し
2カ月の予定だったが、11か月の間帰国の目途もないまま留まることになった
天国だと思っていたところが、実は地獄だったのである
永遠に帰国できないと思っていたので、フランスの地に降り立った時にはその地を抱きしめた
それ以来この記憶を封印してきた
しかし、最近出した本 Ce genre de chose を準備している時に蘇ってきて、その中に書き入れた
わたしの家族に、そのような状況の中でわたしがどう振る舞ったのかを知ってもらいたかったからである
わたしはソ連で嘲笑い(dérision)を発見したのである
ジャーナリストのジャック・シャンセル氏、85歳
生きる中で、三つのモットーを作った
一つは父親からのもので、「生きることを忘れるな」
二つ目は、「すべてを賭けて成功しようとすること、それは失敗を余儀なくされることである」
これは、仕事だけを考えて生きている人を見て言い聞かせていることである
そして三つ目はわたしの嗜好から出たものだが、「冒険を敢えてしなければならない」
さらに付け加えるとすれば、才能は努力なしには花開かないということ
多くの嘱望された有能な人材のその後を見てきたからである
若さとは長所でも欠点でもない
精神の状態を言っているに過ぎない
20歳の老人も知っている
わたしはこれまで若い人としか接触しないようにしてきた
同年代の人と話すと、眠くなるからである
発生生物学者のニコル・ル・ドアラン氏、83歳
わたしは運命を信じない
ブルターニュの奥の方の出身で、何の伝手もない領域に入ることになった
何かをやる時には、目的を決め、成し遂げるための手段を考え、必要とあらば苦難を受け入れなければならない
最初は文学の教師になることを考えたが、1年して科学をやりたいと思うようになった
実験上の偶然も幸いしたが、人との出遭いの偶然もあった
学校で生物の教師をして8年経った頃、研究でしか得られない新しいことが知りたくなってきた
しかし、すでに28歳になり、二人の子持ちで仕事があるという三重苦
その時に、エティエンヌ・ヴォルフ教授と出遭うという偶然に恵まれたのである
老年になって、「わたしは自分の道の大半をすでに歩んだのだ」という考えを退けるようにしている
そうすると、死に向かう暗い気持ではなく、この生の中にいつまでも居続けることができるようになる
詩人、小説家、劇作家のルネ・ド・オバルディア氏、95歳
人生における重大事は、1940年に捕虜になったこと
21歳から4年半の間、ポーランドの強制収容所で過ごした
その経験から、人間は最悪のことをする能力を持っていることを知ったのである
わたしの人生において、神秘主義者が言う "Sainte Ignorance" (「聖なる無知」)を学んだ
驚くことを意味する言葉として、古いフランス語の "ébaubi" を使ったことがある
死が近付くこれまでの間ずーっと生まれたことを驚き(ébaubi)、本当に驚き(ébaubi)、益々驚いている(ébaubi)
音楽家のミシェル・ルグラン氏、81歳
わたしの人生を変えた瞬間は、イーゴリ・ストラヴィンスキーとの出遭いである
わたしの先生であったナディア・ブーランジェのリハーサルに行った時のこと
そこにいたストラヴィンスキーがこう言った
「本当に創造的な時は、自分のやっていることなどよくわからないものです」
その言葉で、自由な精神とはどういうものであるのか理解したのである
現在も創り続けているが、今ほど容易にそれができる時はなかった
音楽が血管を流れる血液のように流れてくる
過去の栄光を忘れ、新しいスイッチを入れること
わたしは危険に身を晒すことを怖れたことはない
もちろん、これまでと同じことを続けることもできたが、新しい領域に入って行った
その時、無垢な気持ちになり、それゆえに良い状態になるのである
哲学者のエドガール・モラン氏、92歳
わたしは起こりえないことを望んできた
ソ連邦崩壊もそうだが、レジスタンスに参加している時にはヒットラー帝国の崩壊であった
1945年7月、破壊されたベルリンの中心街に一人でいた
ブランデンブルグ門にはソ連の旗がたなびき、死がそのあたりに漂っていた
その時、スピーカーからベートーベンの「春」が聞こえてきた
苦痛と甘美と希望が混じり合ったあの瞬間を一生忘れることはないだろう
もし共有すべきモットーがあるとすれば、「予想もできないことを待ちなさい」だろう
確実な決まりきったところに希望はないということを、人生がわたしに教えてくれたのである
イエスもモハメッドともブッダも初めは決まりきったところから逸脱していた
しかし、最後には偉大な宗教を生み出すことになった
再生しないものは変性する
われわれの体の細胞も常に入れ替わっている
硬化するままにさせてはいけない
硬化するままにさせてはいけない
われわれの詩的な部分を最大限に守り、散文的で凡庸な部分の侵略を許してはならないのである
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