mercredi 9 octobre 2013

時間を考えたロスコフの6日間が終わる



今日の午前のセッションで5日に亘る会も終わりを告げた

主観的な時間としては、非常に長いものに感じた

長くて退屈したというのではなく、大きな変化が起こるほどの長さがあったということになる

それだけ満ちた時間が流れた証拠ではないだろうか


今朝のセッションはユリアさん制作によるビデオの上映から始まった

 いつの間に編集していたのだろうか

なかなかの作品に仕上がっていて驚いた

自分の姿に不満の人はいないか確かめていた

これから研究所の広報の確認を経て、公開することになるようだ


その後、会のまとめとこれからどのような枠組みでやっていくのかについてそれぞれが話していた

2回目のラウンド・テーブルである

落ち着いたところは、ここで結論を出すのではなく、これからもメールで意見交換を続けていくということ

 パリ・ディドロのアルメル・ドゥブリュ(Armelle Debru)教授から重要な指摘があった

一つは、誰のための時間かを考える必要があること

歴史家なのか、哲学者なのか、医学者なのか、社会学者なのか、、、、

対象によって扱っている時間が違うのではないかというのだ

もう一つは、時間についての興味深い考え方であった

時間は過去、現在、未来と直線的に流れているのではなく、現在という瞬間が繋がっているというイメージ

古代は過去ではなく現在であり、「こと」の初めも終わりもないというようなイメージ

 これらはわたしの考えとも響き合うもので、アリストテレスのエネルゲイアや禅の哲学とも繋がるように見える

そのあたりについてコメントさせていただいた


会の終了後、アルメルさんから向かいの教会が素晴らしいので中を見るように勧められる

わたしの目に付いたのは外の彫刻の方で、風雪を経て消えるようになっている姿が何とも言えない味を出している


 モントリオール出身で今はケンブリッジ大学にいる方が、フェリーの中で面白いことを言っていたのを思い出した

ケンブリッジは分析哲学が中心で、大陸哲学はほとんど読まない

無駄を省き、科学的であろうとする哲学をやっているという

そして、英語はどこか決然とした、無駄を省いてどんどん先に向かうような思考を誘発するのではないか

それがフランス語になると言葉を遊ぶ余裕が出てきて、哲学もその影響を受けるのではないかというのだ

それはわたしが何となく感じていたことでもあり、わかるような気がする

彼は実証主義を基にした哲学を目指しているが、大陸的なものも好きだという

その遊びの部分が、人間的なものを掘り起こすのに大切な気がする
 
それがある人とは、人生についてもじっくり話ができるように感じる


昨日の立ち話で、文系の人が博士論文を出すまでの時間が話題になった

理系に比べ、アメリカでもフランスでも長いという

今回参加したアメリカの方も7年かけたと言っていた

フランスでも5年などというのは稀ではないようだ


今回の会はわたしと同じ立場の人が中心だったので、学生という立場から自らを振り返る切っ掛けになった

庵の生活が夢の中の出来事のように感じられた

あるいは、そうならなければ「こと」は先に進まないということになるのだろうか

何かが変わることになればよいのだが、、、


今日は初日に入ったレストランからのアップとなった

これからパリに戻る







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