dimanche 20 octobre 2013

決定論の下にいるわれわれの生き方、スピノザさんの解


今日、カメラを持って出るかどうか迷った

しかし、何があるかわからないということで結局持って出ることに

アパルトマンを出てしばらくすると、小さな生き物が目に留まった

このためにカメラを持って出たことがわかる


このブログのサブタイトルは、ポール・エリュアールの「偶然はない。あるのは約束された出遭いだけだ」

この世界の出来事はすべて決められているという含みがある

ものの見方にはいろいろあるが、これは決定論の世界になるだろう

17世紀オランダのスピノザという哲学者の考えもこの世界であった

自然現象と同様に、人間も決定論の下にある

そこでは人間の自由意志はない

彼は、この世界には一つのものしか存在しないと考えていた

神も自然も、物質も精神も同じものだと考えていたのである


その中で、われわれはどのように生きるべきなのか

それは決められた運命に身を任せることではない

そうではなく、理性を最大限に用い、この自然を動かしている原因と結果を理解すること

そのためには、これまでにあった自らの状態のすべてを振り返らなければならないだろう

そして、今の状態がそれ以外にはあり得ないということを理解すること

それこそが人間を救済するものであるという考えである

それにより、同じ状態にある自然、すなわち神(deus sive natura)と一体になる悦びを感じることができるというものだ

amor dei intellectualis (intellectual love of God)である

自分自身に成ること、外の影響を受けない自分を創ること、そして自分自身を理解し、受け入れること

 人間の幸せは、この3つのことと深く関係していることがわかる



この哲学は、わたしがこれまでに考えてきたこととよく重なることに驚く

アメリカでの7年は、自らの内なるモーターで動くことができるまでに必要な時間であった

こちらに渡る年の初め、これまでにあったすべての自分を現在に引き上げ、共に歩むことに決める

前のブログのサブタイトルは、「知は救済」であった

 これはスピノザの哲学のエッセンスを表現したものだった

それが、実はこのブログのサブタイトルに繋がっていたのである

全く意識されていなかったが、今日初めてそのことに気付いた



散策から戻り、先ほどのカタツムリを探してみたところ、少し横で踏み潰されていた

注意していないと目に入らないほどの小ささだった

 そして今、遠雷が聞こえ、激しい雨が降り出した







アメリカにいた当時の心象風景が浮かんでくる





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