vendredi 12 juillet 2013

バンケットでの遭遇から

Prof. Marion  Blute (Univ. Toronto)


昨日も暑い日だったが、これまでに比べると凌ぎやすかった

夜、自然の中でのバンケットがあった

学会場の大学からバスで郊外の公園に向かった

飲み物を取り、テーブルを探しに歩き始めた時、どこかでお見かけした顔が現れた

トロント大学名誉教授で社会学の専門家マリオン・ブルートさんである

もう3年前になるが、カナダの学会でお会いして以来になる


その後、彼女の若き日の未発表の論文原稿などを送っていただいたこともある

最近の成果として、Darwinian Sociocultural Evolution (Cambridge UP, 2010) を紹介された

とにかく話題が豊富で、どんな話にも食付いていき、切れ味鋭く反応する

しっかりこの世界を観ていて、皮肉あり、辛辣さありで話していて飽きない

そのテンポの速さに付いていけないこともある

今は好きなことを好きな時にやればいいのよ、天国!

その気持ちがよくわかるようになって久しい

お年を感じさせない知性である


ところで、わたしは科学をやってきたので、科学では見えない世界に興味があるのだが、と水を向けてみた

形而上学的世界にどう反応するのか興味があったからだ

その返事は、そんなもの相手にして時間の無駄ではないですか、というニュアンスで肩を上げた

われわれはみんな唯物論者なの、ということで、予想通りの返答であった


 Marion さんと Julie-Anne Gandier (Univ. Toronto) さん


テーブルではお若い女性が待っていた

同じトロント大学で科学の大学院3年目だが、ブルートさんとは初対面

ワインの影響下にあったが、構造生物学の専攻と記憶している

カナダでは稀でない英語とフランス語のバイリンガルである

お話を伺っていると、わたしの精神遍歴と似ているのに驚く

これからは科学と哲学を絡める方向性を考えていて、可能であれば哲学を並行して学びたいという

本来は哲学に進みたかったようだが、親の希望もあり科学に入ったが、ここに来てそれが蘇ってきたとのこと

自分をしっかり見つめ、真面目に人生に向き合っていて好感が持てる

その語りは鋭いのだが、どこか余裕と愛嬌と若干の皮肉がある

 しっかりとした若者が育っていることを感じる

気持ちの良い出遭いとなった


この夜、お二人のカナダ人の話を聞き、普段の語彙の中には入っていない 皮肉という言葉が浮かんできた

大きな強い国の隣にいると自然に生まれてくる特徴なのだろうか

カナダについてそんな考えが浮かんだのは初めてのことである

その昔、ハンガリーであった会議のバンケットで旧東ドイツ出身の科学者と席が隣りになったことがある

彼は、共産主義政権下での日常を強烈な皮肉を込めた笑いの中で延々と語り続けたのである

まともな頭の中ではあり得ないような理不尽なことが、恰も正しいことのように行われている社会

それを聴き、わたしも腹を抱えて笑い続けたが、まさに悲喜劇の世界である

現代においても進行中かもしれないこの悲喜劇

皮肉というものは精神の健全さを示すものだろう

ただ、それを外に出せるようになるのは、彼の場合はすべてが終わった後であった
 


前回のカナダ訪問の時もアメリカとの違いが気になったので、ジュリー・アンさんに訊いてみた

「カナダとアメリカに違いはあるのですか」

 その答えが振るっていた

「全然違います。第一、カナダ人はアメリカ人ではないのです」

言葉も含めていろいろな違いを挙げていた

マリオンさんが指摘していた二つの大きな違いには、納得するものがあった

一つは、コミュニティを支えるような形で国が関わるかどうか

そう言えば、以前に観たマイケル・ムーア監督の『シッコ』でも医療体制が両国では雲泥の差があった


そして、二つ目は銃規制だという

相手の国の社会をしっかり見て、はっきり語る明晰さがある

カナダは住みよい国という愛国者の結論で、この話題は終わりにした


 Prof. Giovanni Boniolo (Univ. Milan)


4時間ほどのバンケットも終わり、帰りのバスに乗り込もうとしたその時、呼び止める声が聞こえた

わたしを呼び止める人などいないはずなので、再び驚く

よく見ると、先月パリであった「医学の哲学」会議(IASPM 2013)で初めてお会いしたジョヴァンニ・ボニオロさんではないか

よもやこんなところで、という感じだった

彼も理論物理学から始めて哲学に入っているので、考え方の方向性が似ている

その基本は、純理論に流れることなく、科学の方を向いて仕事をしていることだろうか

そのため、意気が合うのである

そして、葉巻をやられることは今回初めて知った


長い一日であった

そして、長かった会議も今日で終わる




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