jeudi 18 juillet 2013

イムレ・ケルテースさん、文学と哲学を語る


それにしても暑い日が続いている

連日30℃を超えているのではないだろうか

何かに集中しようという気分ではなくなる


ところで、先日モンペリエからパリに戻る車中、哲学雑誌をぱらぱらとやりながら時を眺めていた

そこでハンガリー出身のノーベル賞作家イルレ・ケルテース(Imre Kertész 1929- )さんのインタビューを発見

84歳でパーキンソン病が進行中、最後のインタビューになるのではないかとある

この作家のことを知ったのは、今年に入ってからではないかと思う

1944年にアウシュヴィッツに送られ、そこからブーヘンヴァルトに移され1945年に解放される

戦後は共産主義下のハンガリーという難しい状況で作家活動を始める

ニーチェウィトゲンシュタインなどのドイツ語をハンガリー語に訳し、カミュサルトルを読む

インタビューでは文学と哲学などを中心に語っている

以下、印象に残ったところを少しだけ


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ブーヘンヴァルトからブダペストに戻った時は15歳、身内はすべて消えていた

1948年から共産党が権力につき、翌年には全体主義の政策を始める

ジャーナリストの職に就くが、党の方針を伝えるだけの仕事には興味なく、首になる

そのため自由な時間がたっぷりあり、散策し、省察した

これが普通の状態では想像できない贅沢であることを意識していた


1950年代後半から1年を二つに分ける生活を始めた

6ヶ月は役者仲間と公演して歩き回り、残りの6ヶ月は哲学書を読むことに打ち込んだ

プラトンに始まり現代に至るまで、すべての古典を読み始めた

それは省察をしたかったが、そのやり方を知らなかったからだ

省察することは難しい

単に考えるだけでは不充分で、考える対象を見つけなければならない

その対象として、わたしの場合は古典を選んだ

ある意味では、省察するということは人間を超える技術である


ウィトゲンシュタインから学んだことがある

それは、個人的な経験などないということ

なぜなら、われわれが考え、表現する言葉は他の人から来たものだからだ

わたしが「わたし」という時には、「彼」、「彼女」を含んでいる

わたしがイムレ・ケルテースと名乗ることは侵すべからざる真理ではなく、習慣にしか過ぎない


1957年5月、ブダペストのサロン・デュ・リーヴルでカミュを発見した

27歳の時のこと

そこで『異邦人』を読み、打ちのめされた

その本は、文字通り手の中で爆発したのだ

その時、わたしに欠けているのは自由だと確信した

この本により、真の文学とは自由の激しい感情を呼び覚ますものであることを理解した



もう一人同じような影響を与えた作家がいる

トーマス・マンである

彼の『ヴェニスに死す』は衝撃であった

カミュが憑かれたような若者だったのに対し、マンは静かに智慧を語る教授であった

カミュが生命を語ったのに対し、マンは博識の泉であった

 カミュとマンの共通点は作家・哲学者だと言われるが、わたしはその範疇には入らない


一人ひとりの人間は、一つのフィクションである

われわれは、われわれ自身のフィクションに浸りながら生きている

個人はその言葉の中で、言葉を通り抜けて作られる

浮かんでくる一つひとつの考えが、新たなフィクションを立ち現わす

その事実は、われわれの創造の衝動を刺激する

他方、この状態は重く、悲劇的なものでさえある

歴史は第二次大戦を見るまでもなく、悲劇的であった

しかし、わたしのようにそこを生き延び、書き続けてきた者がいる

それは決して閉じられることのない大きな裂け目なのである




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