mercredi 13 juin 2012

ヒラリー・パトナムさんによる 「どのように語るのか」


ヒラリー・パトナムさん(Hilary Putnam, 1926-)の新刊本を読む
広く見ると、科学と哲学が話題になっている
科学と哲学の関係については同意するところが多い

ここでは、その中で取り上げられていた言葉の問題について、少しだけ
わかりやすい言葉で書かれたその主張は、哲学者が陥りがちな点を突いている
それだけではなく、われわれの問題をも炙り出しているように見える
こんな具合である

"Save the appearances"
この世界を理論化する時に、見えているものを正当に評価する必要があるということ
これはアリストテレスの時代から哲学の目指すところであった
換言すると、ごく普通の言葉を大切にするということ

トルストイの小説は単なる娯楽ではなく、人間の社会生活、個人生活の機微をどのように捉えるのかを教えてくれる
そこでは、われわれの日常に与えられた言葉でその機微を表現することが求められる

「どのように語るのか」 の妥当性については哲学者の問題だが、それだけではない
 なぜ哲学者の問題なのか
それは日常の言葉を馬鹿にした途端、その語りはわれわれの実際の生を語る資格を失ってしまうからである
それが哲学者の問題に留まらないのは、日常の言葉への軽蔑には取りも直さず人間への軽蔑が含まれているからである



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