mercredi 20 juin 2012

新しい正確な言葉で世界を発見する



ETV 特集 「不滅のプロジェクト」 という番組を観る
核燃料サイクルの計画に関わった役人、電力会社の人、研究者の証言を軸として番組が組み立てられていた
まず感じたのは、会議の中で使われる日本語が曖昧なことである
対象や自らの考えを言語化する過程に厳密さがないのである
したがって、そこにある現実や問題が論理性や広がりをもって見えてこないのである
その人に見えている世界が限定された曖昧なものでしかないことを反映しているように見えたのである
自らを振り返っても、そのような文化の中で生きていたような気がしているのでわかるところもあるのだが、、
 
わたしが言葉の問題だという場合、言葉からイメージされるものの広がり、鮮明さ、深さを意味している
論理的に時間をかけて考えた結果を正確に再現している言葉とは感じないのである
問題の本質を抉るような言葉に乏しいのである
われわれには本質に迫ろうとする意欲がないのだろうか
われわれは母国語を操る能力が劣っているのだろうか

言葉によって初めて存在が、すなわち世界が現れるという立場がある
この立場を採れば、われわれの見ている世界は限られた曖昧なものでしかないことになる
ある意味では、自らに目隠しをしていることになる
われわれの見ている世界と別の言語能力を持つ民族が見ている世界とは違うことを意味している

これからは、言葉によってこの世界を発見し直す必要があるのではないか
この世界を当たり前のものとしてではなく、真っ新な心持で記述し直す必要があるのではないか
そんな心持で言葉を探し、並べ替え、必要とあれば創り、磨かなければならないのではないか

このような瞑想の時間があった薄曇りの朝





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