samedi 18 janvier 2014

ドイツの百科全書派 ヨハン・セバスティャン・バッハ


昨夜、15年ほど前に買った本が目に入ってきた

ヴェルナー・フェーリクス著 『バッハ: 作品と生涯』 (講談社学術文庫、1999)

丁度、ヤノーシュ・シュタルケル(1924-2013)の無伴奏チェロ組曲を聴いているところだった

ぱらぱらとやっていると、「百科全書的志向」 という章が目に付き、その中に入る


啓蒙思想の18世紀

そこでは、百科全書的志向に根ざす人生態度や社会的営みが際立つ意義を持っていた

自己と世界の本質についての開化、知性の開発、理性の行使による知識の普及

そこに、自分の責任で招いた未成熟の迷蒙状態からの脱却を実現する道を見出そうとするものであった

啓蒙思想のルーツは、ルネサンスの人文主義と宗教改革、そして17世紀の理性主義、デカルトとスピノザの哲学であった

それは、知性の力であるラツィオ(ratio)の鍛錬と行使により、哲学体系の構築を目指す哲学である


ヨハン・セバスティャン・バッハ(1685-1750)は、理論的な著作や教科書は書いていない

ただ、彼は自分にとって重要な知識や情報を吸収する意欲と勤勉さを失うことはなかった

音楽についてのあらゆる面をマスターし、作曲に当たってはそのすべての領域を渉猟し、探索した

絶えず新しいジャンルを自家薬籠中のものとし、新境地の開拓に進む

一見相容れない形式を結合し、統合するやり方も思いつきなどではなく、一つのプランを追求した成果であった

ありとあらゆる可能性を探求、実験、動員して、新しい質が見つかるまで刻苦勉励したのである


普遍的な音楽が開花した背景には、ルター派の信仰、キリスト教的エートス、市民社会的思考の融合があった

宗教への帰依と啓蒙主義的世界観とは強く結びつき、両者が対立することはなかった

プロテスタント信徒は、 ラツィオ(ratio)とレリギオ(religio)、理と信をともに重視し、結びつけていた

個人の良心の問題と新しい知の開拓に向けての留まるところを知らない意欲がバッハの中でも結びついていた

ただ、バッハの中には哲学的な素養はなかったという

彼は感じたすべてを音楽の言葉として表現したのである






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