mardi 13 août 2013

文系と理系の研究、そして専門の深化と超越について


「セーレーテ シュール ラジオ・クラシックッ」

"C'est l'été sur Radio Classique"

ラジオをつけると流れるゆったりしたこの語りが心地よかった

 このところ、昔の放送を聴くような印象がある

それほど涼しさを感じるようになっている


科学の分野にいる時、文系の方が特定の作家や哲学者について研究することに違和感を持っていた

「・・・における…の問題について」 という類いである

一人の人間の中に入って研究することが、窮屈に見えたからだろう

もっといろいろな問題について考えてもよいのではないか、とぼんやり考えていたのである

その固定観念はこちらに来てからも変わらず、一つの問題について多方面から考えたいと思ってやってきた


ところがどうだろうか

いろいろな人について読み、その問題についての考えは深まるかもしれない

しかし、それだけでは視点が軸がしっかりしないように感じるようになっている

自分だけに頼っているためか、深度に限界があるように見えるのである

一人に絞って、その人間から見える世界について深めておくことも有効なのではないか

ある人間が、どのようなことを問題とし、それをどのように考えていたかの詳細を知っていること

それは無駄ではないどころか、一つの指標として欠かせないのではないか

問題は、そこに留まっているのではなく、そこからより広く大きな問いに向かうことができるかにあるのではないか

そんな考えも浮かんでくる


 翻って、科学の領域について見直してみる

実は、そこで行われることも 「・・・における・・・の問題について」 の研究ではないのか

今ではその度合いがどんどん進んでいる気配さえある

ここでも、そこからどれだけ大きな問いに向かうことができるのかが問題になるのだろう

そうすると、わたしがぼんやり考えていた文系の研究と本質的に変わらないことになる

一つを深め、それを広げるという作業が必要だという点において

いずれも時間のかかる大変な営みになるのだろう

「いずれも」 には文系と理系という含みと、営みの前半と後半という含みがある

前半と後半について言えば、「こと」 を後半にまで持ち込みたいものである

そんな考えが巡ったヴァカンス真っ只中である




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