mercredi 21 octobre 2015

小さな旅の終わりに

La Fontaine du dialogue (Busato


月曜にナントに行ったのは正解であった

昨日、今日と曇天

ゆっくりとアンジェの町を味わった

その時に見つけたリブレリーでいくつか仕入れ、カフェで読むといういつものリズム

体力の衰えを感じつつもパリとは違う時間を楽しんだ





昨夜はアンジェ在住の友人とディネ

テーブル席にある暖炉を料理用に改造したようなところで肉を用意してくれた

その時に竹の筒を使って火を強くしていたので、日本式に見えると言ってみた

すると、アフリカ式だと思っていたとの答えが返って来た





パリを離れて、パリ生活がよりはっきりと見えてくる

まず、今年に入ってからの生活を反映してか、体が鋳型に入ったようになっていること 

これは何とか解きほぐしたいものである

それから、いろいろと悩み迷いながらもかなり集中して「もの・こと」に当たっていたということだろうか

何もしていないように見える時でもそのことを考えているという感じである

こちらでは、リラックスしていてもそれが気にならない

パリでは、内からの力がそれを許さないようにしていたのではないだろうか


旅に出て、ちょっとした瞬間に感じることがある

見知らぬ町のカフェに落ち着き、何やら物思いに耽っている

それを昔の自分の目から眺めると、何とも不思議な図に映るのである

こんなところで何しているの、と問い掛けたくなる

そんな感じだろうか

しかし、主観的には何ら違和感はない

どこにいても我が家

どこかから離れているという感覚がなく、いつもこの世界の中にいるという安定感がそこにある

ディオゲネスが人類として初めて使ったというコスモポリタンという言葉を思い出す

この言葉を原義に近く、あるいはさらに広く考えると、Cosmos(宇宙)との一体感を示すものだろう

この感覚は哲学にとっても生きる上でも重要だと思うようになっている


明日パリに戻る









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