vendredi 2 octobre 2015

それは始まりのための試練だったのか



今週は、予報通り晴れの日が続いたようだ

半分は日の光を浴びずに暮らしていたので分からないのだが、、

週の初めは大変であった

地獄を見そうになった

すでに気付いていたが、やればやるほど不備が目に入る

今週に入り、それまで一体何をやっていたのかという声が何度も聞こえた

形にさえなっていないのに、なぜ何もやっていなかったのか

締め切り直前になってもこの状態とは、と本当に愕然とした

 締め切り2時間前、これではどうしようもないので止めにしようという声が聞こえる

しかし、やれるところまではやっておこうと気を取り戻す

その繰り返しが続いた

追い詰められた時に起こるこれ程までの揺れ動きは、殆ど経験したことがない

それから先は、如何に最終的な形を作るのか、それだけに集中

この間、つま先立ちで綱を渡るような感覚で、考えている空間がその綱の幅くらいという酷い状況

その状況に完全に捉えられてしまっていたのである

最低条件である形ができたのが締切り1分前

 それは奇跡としか言いようがないものだった

 しかし、その内容は当初の予定の半分くらい

忸怩たるものがある


 今でもよくわからないことがある

それは、なぜこれまでやる気にならなかったのか、ということである

 今週に入ってからもその症状は続いていた

一つ思い当るのは、マスターの時にも経験していることである

それは、自分を度外視して最初に壮大な計画を立ててしまうこと

そうすると、やることの多さに立ち往生し、立ち向かう気が削がれてしまうのである

たっぷりとした時間的な余裕がないと考えることができない

そして、いつもその全体をぼんやり眺めるだけで終わるのである

計画を立てて少しずつ積み上げるという作業には向いていないためだろう


しかし、ベルクソンはこんなことを言っているという

「完璧な全体が最初になければなりません

それとの関係において部分に当たるのです」

わたしの場合には、完璧かどうかは分からないが最初に全体はあった

そして、その全体をぼんやりと眺めるところで終わったような印象がある

その巨大さのため、部分に入る労働の意欲が圧し潰されてしまったということのようである


今週初め、これが終わった時、どんな心境になるのかを想像していた

しかし、終わって驚いたことには解放感の欠片もなかった

体には疲労感があるものの、精神的にはそれまでと何も変わらないのである

それは達成感のなさの裏返しなのかもしれない 

さらに驚いたことに、これからが始まりではないのか、という感覚がそこにある


それと、今朝のパリの空がその飛行機雲とともに輝いて見えたことは確かである



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ご参考までに、今回の手順は次のようになっているようだ

まず、論文の提出を受けた指導教授が自らの判断を下す

それがポジティブであれば、審査会を開くに値するか否かの判断を審査員2名に依頼する

その審査員は、ひと月以内に報告書を出す

それがポジティブであれば、スートゥナンスのために残り数名の審査員にも論文が送られる

そして、その5週間後に口頭試問のスートゥナンスが行われるという

 今の段階は、指導教授の評価が行われているところ

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