mercredi 23 décembre 2015

最良だった学生という選択



今朝、用事があり町に出る

担当者が新しく若い人になり、話すスピードが速い

聞いているだけだときびきびしていて気持ちよい

しかし、中身が分からないと後で大変なことになる

半分諦めて、何とか終わらせることができた

それから少し歩き回ってから帰って来た


この間、なぜこれほど長きに亘ってこちらにいることができたのかを考えていた

少し引いてみれば、異常にも見えかねない隠遁者のような生活だったからである

こちらに来る前の思いは、自分の時間のすべてを使って考えてみたいというものだった 

学生になるというオプションは考えてもいなかった

しかし、長期滞在にはそれ以外に方法がないと判断し、このようなことになった

もし学生以外でも長期滞在が可能だったとしたならば、どうだったろうか

その場合、これほど長く滞在することになっただろうか

学生という立場にあったからこそ、それができたのではないか

 いつか書かなければならない論文を待つ、という精神状態に置かれていたからである

実際に書く書かないは別にして

そして、その縛りを感じていたからこそ、それまで自由に動き回ることができたのではないか

望んでなったわけではなかったが、結果的には最良の選択をしたように思えてくる 

それを選択と言えるかどうかは、分からないのだが・・・





samedi 19 décembre 2015

ネガティブ・ケイパビリティ再び



今年を振り返り、先日のネガティブ・ケイパビリティに関連して浮かんできた考えがある

そう意識していたとは思えないが、これまでのやり方を見ると一つの特徴がある

大袈裟に言うと、締切りのぎりぎりまでなかなかやる気にならない

その時まで形にするのを待つようなところがある

対象についての自らの見方を最後まで決めず、熟するのを待っているかのようである

こういうものにしようと作るのではなく、対象が自ら形を作るまで待つという感じだろうか

自らの意志ではなく、対象の意志が生まれるまで待つと言い換えることができるかもしれない

これまでこのメカニズムがはっきりと見えていなかったため、常に苦しむことになった

こういうものだと理解してしまうと、あとはネガティブ・ケイパビリティにお願いすることになる

苦しみがなくなることはないだろうが、少しは軽減しそうな予感がしている






vendredi 18 décembre 2015

永遠の学徒



本日、これが本当の最後になるはずの手続きをするために大学に行く

皆さん、ヴァカンス前のためか、いつになく明るく見えた

秘書のSさんからは、大変なスートゥナンスも終わった今、ゆっくり休んでくださいと労われた

自分の中では新たな始まりにしか過ぎないという意識があるためか、いつもと特に変わらない

スートゥナンスでそのような話をした時、審査委員長から次の言葉が返って来たことを思い出した

「あなたは永遠の学徒ですね」

わたしとしては、有難い言葉として受け取った

これからもどこにいようが、その気持ちに変わりがないことを願いたいものである


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dimanche 20 décembre 2015


「永遠の学徒」 という響きには記憶を刺激するものがあると思い、古いブログを調べてみた

やはり初めてではなかった

永遠の学生 "Tu es un éternel étudiant !" (2009-10-09) 

一学徒として (2008-02-07)

このことは、自分でも当初から感じていたということが分かった

もう一つの総括の言葉となりそうである




 

mardi 15 décembre 2015

なぜ哲学はマイノリティなのか、あるいは哲学と宗教



先日、「こと」の終わりを迎え、これまで不確実、不確定の中に居続けたのではないかと感じた


ネガティブ・ケイパビリティにも通じるこの能力は、何事をするのにも重要になるだろう

中でも答えの出ない問いに向き合うとも言われる哲学においては、特に重要になるように見える

 そのことを体得したのも今回の滞在の一つの収穫になるのだろうか


そこで気付いたのは、宗教との関連、より正確には違いである 

宗教の場合には、何かを求めるよりは先に信が来ると聞いている

信が先にあれば、ネガティブ・ケイパビリティなど必要なくなるのではないか

不確実性の中で苦しむことから救うのが宗教であるとするならば


人類のほとんどが何らかの宗教に関わっていると言われている

この事実は、この世界そのものが苦しみに満ちていることを示しているのだろう

それでなくても不確実な生の中にいる人間が、更なる不確実性を求めるだろうか

なぜ哲学をやる人がいつの時代も圧倒的な少数派に属しているのか

その理由はこんなところにあるのかもしれない





lundi 14 décembre 2015

スートゥナンスの総括



本日、事務的な話のため指導教授のところに顔を出す

スートゥナンスから丁度1週間ということで、当然のことながらその話が出た

かなりレベルの高い質問がいずれの審査員からも出ていて、良いスートゥナンスだったとの総括

 わたしも同様の印象を持っていたが、これまでいろいろと見てきた方の評価だったので納得した


思い返せば、ドクターの始まりには運命的なものがあった

マスターの後、1年ほど休むつもりだったが、ドラマチックな展開でドクターに進むことになった

不思議な出会い、そして再び学生に (2009-12-04)

もう6年も前のことになる

その時に指導教授がどう言って説得したのかも笑い話として出ていた

在り来たりな言い方だが、この人生が筋書きのないドラマであることがよく分かる


 このところ庵暮らしを自認してやってきたが、書いているものを読めばわかるのだろう

何人かの審査員からそのことが指摘されていたことを思い出す

今日も、そろそろ庵から出て人と交わる時期に来ているのではないかというような話が出ていた

 これからどうするのか、という質問も出ていた

 現在、審査委員長が皆さんの意見を集めて最終報告書を作っているところだという

それが出たところで、ドクターは一応の修了となるようだ






dimanche 13 décembre 2015

パリから見えるこの世界 (35) 国立自然史博物館で、「生命を定義する」 ということを考える



雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』を紹介いたします

医学のあゆみ (2014.12.13) 251 (11): 1099-1103, 2014

つい最近書いたばかりかと思っていましたが、もう1年経過していたとは時の流れが信じらせません

ニュートンの言うようには時は流れておらず、すべてがそこら一面に散らばっているようです


 ご一読、ご批判をいただければ幸いです






samedi 12 décembre 2015

再び海の底へ


今週初めに「こと」が終わったばかりなのに、もう遥か彼方の出来事に感じる

海の底に沈んでいた身が海面に出たのはほんの一瞬で、また海の底に沈みつつあるように見える

元々の生活から見ると、異質な出来事を経験していたとも言えるだろう

週が明けるとこの感覚に変化が出てくるのだろうか






jeudi 10 décembre 2015

区切りの後で見えてくる隙間



今朝、用事があり町中に出る

用事はすんなり終り、カフェに落ち着く

今年の初めの出来事を当時の記録から振り返ってみる

今の時点で浮かんでくる情景とは違い、生々しくも切実な感情が表れている

あれから11か月

このような状態になるとは、当時のわたしには想像さえできていなかった

それは当然のことだろう

ただ、今ではあの出来事はなくてはならないものとして捉えられるようになっている

決定論者としては当たり前なのだが、その認識は手品師による巧妙なツイストに見える


ここ数日よく訊かれるのは、これからどうするの?ということだ

 具体的には未定だが、今回一つの区切りを付けたことで見えてきた埋めるべき隙間がある

それを埋める作業をやってみたいということになるだろうか

完成することなどないのが人生だとすれば、適宜区切りを付けるのはそれなりの智慧かもしれない

今回のが一つの区切りだとすれば、次の区切りはいつ来るのだろうか





mardi 8 décembre 2015

一夜明け



すべてが終わって、と言いたいところだが、いつもと何も変わらない朝を迎えている

一夜明け、気持ちの僅かな変化に気が付いた

外から見ると、わたしは所謂科学哲学の専攻ということになるのだろう

しかし、この領域とは関係なく、庵に籠り、独自に(独善的にもなり得るが)考えてきたように見える

専門に入ることに抵抗を覚え、広く考えるためにこちらに来たからである

 科学哲学が対象としている問題に大きな興味を覚えることもなかった

わたしの興味は専門の中にはなく、科学と哲学の境界からの視点にあるからだろう

その意味では、遠くから観察するという姿勢を採って来たことになる

これは最初の学生時代ではあり得なかったことである

ただ、今回一段落を迎え、その姿勢に微妙な変化が現れているのを感じている

それはこんな感じだろうか

科学哲学とはどのような領域なのか、その中に入って見直す時間を取ってもよいのではないか

その中にいる時には抵抗があり、そこを離れて改めて観直そうという気になる

不思議なものである





lundi 7 décembre 2015

スートゥナンス終わる

審査員の諸先生
(右から) Prof. Geoff Butcher (UK), Prof. Anne Marie Moulin, Prof. Alain Leplège, 
Prof. Anne Fagot-Largeault, Dr. Thomas Pradeu


本日、朝からスートゥナンスが行われた

いつものようにぎりぎりまで準備に追われた

わたしの発表は30分程度

その後に審査員との質疑応答が一人20-30分ほど続いた

これまでに見たものよりは物理(ニュートン)的な時間は短かった

これは審査員の数による違いではないだろうか

いずれにせよ、かなり厳しい質問が次々に出され、こちらは大いに勉強になった

学問の規範だけを基にした純粋に批判的な言葉は、普通の会話では聞かれないからだ

このような中身が密に詰まった時間は久しぶりで、それを経験できたという幸せを感じている

いつもの後付けで言えば、この時間を味わうためにわざわざ論文を書いたのでは、とも思える

終わった後に解放感が訪れるのかと思ったが、テーズの時と同じで全くなかった

これからの課題が山積という状態になったと感じているためだろうか

いずれにしてもこれからいろいろな意味を持ってくるだろう一日が終わろうとしている


 ところで、今回も出来事があった

朝、pot のための飲み物のビンを持って校舎に入ろうとすると、ビンの持ち込みは禁止だという

預かってくれないかと言っても何を言っても駄目

最後には、外にあるごみ箱に捨てるしかないと判断して会場に向かった

そのことを施設のパソコンなどを管理するサービス部に言うと、先週は何の問題もなかったという

 再び警備の人に食い下がったが、やはり駄目

そうこうしていると、サービスの屈強の男性が現れ、飲み物を一緒に取り返そうという

そして彼が警備の人に声を掛けると、先ほどの態度が一変、持ち込みOKという

かなりいい加減である

幸い、タバコの吸い殻とコーヒーの飲み残しに塗れたボトルをすべて回収することができた

 お蔭様で、すっきりした気分で「こと」に向かうことができた


振り返れば、先々週と先週会場を見に来た

その時に、彼とざっくばらんに話していたことがこうなった大きな要因ではないかと想像している

やはりヒューマンコンタクトは重要だと庵から出て改めて感じている

残ったものはすべて彼のセクションで処分してもらうことにしたのは、言うまでもない




dimanche 6 décembre 2015

スートゥナンス前日、ネガティブ・ケイパビリティが浮かぶ




今日は終日うす曇り

明日にスートゥナンスを控え、実に不思議な感じである

このような状況に自分が置かれていることが、信じられないとも言える

何でまた、という気分でもある

これまで日本にいたとしたならば、考えられないことだろう

昔のわたしが日本から見ているとしたならば、どんな感想を抱くだろうか

興味が湧いてくる


今回も最後まで準備に追われそうである

最後の最後にならないと纏まりそうにない

これは何のことはない、いつも不確実、未確定な状況に居続けるということである

意識しているわけではなく怠惰の成せる業だが、その状態に耐えざるを得なくなっている

これこそ以前に触れたネガティブ・ ケイパビリティが試されていたのではないか

ひょっとすると、特に今年一年、この能力を鍛えていたことになるのだろうか






samedi 5 décembre 2015

今朝のパリの空



久しぶりに朝の空を味わう

冬の空は突き抜けるようで素晴らしい

その中を静かに進む飛行機雲は今日も健在だ

どんな一日になるだろうか











jeudi 3 décembre 2015

スートゥナンスの許可が下りる

(Sebastião Salgado, 1944- )


本日、スートゥナンスを行ってもよろしいとの通知 convocation が届いた

このようなシステムになっていたのだということを初めて知る

まさに、コツが分かった時にはすべて終わっている、である

今回もそれを痛感した

最後だけは、文句を言わないで静かに準備したいものである





mercredi 2 décembre 2015

「水木しげるという人 QUI EST SHIGERU MIZUKI ?」 再掲

(Sebastião Salgado, 1944- )


漫画家の水木しげる氏が11月30日、93歳で亡くなったことを知る

作品には触れたことはないが、最初のブログに記事を書いていたことを思い出す


当時の記事分類は、「自由人」 となっている

追悼の意味を込めて、以下に再掲したい


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週末の夜中にテレビをつけると、NHK アーカイブスが流れていた。その日は漫画家の水木しげるが取り上げられていた。彼の作品を読んだことはないし、ご本人についても何も知らない。しかし、話を聞いていると面白そうな人なので、途中からだったがついつい最後まで見てしまった。彼が60代中ごろの映像とのことなので、もう20年も前のことにな る。

水木しげる: 大正11年 (1922年) 3月8日 -

第二次大戦中、南の戦地でマラリアに罹るが、隊を抜け出しては土地の人と付き合っていた。彼らの生活が 「木の生活?」 (自然とともにあるということか) で、人間が大らかで言葉は分からないものの気持ちのよい付き合いであったという。言葉だけではないコミュニケーションができそうな人である。むしろ言葉でない方が人間の中身が出るような人とお見受けした。いずれにせよ、土地の人との付き合いのお陰で病気もよくなり、引き上げる時にはそこに留まりたいと本気で思い上官に申し出たが諭されて日本に帰ってきたという。彼の心の底には今でも、その生活が息づいているように見えた。

日本に帰ってからの生活は苦しく、貸し本作家として6-7年を過ごすが、この時の収入は微々たるもので食うや食わずの生活が続いたという。本当に苦しかったようだが、彼の顔にはその間に刻まれたはずの証拠が全く見て取れなかった。日常の苦境をどこか別のものとして処理できる何かがあったとしか思えない。そのことにまず驚いた。根っからの楽天家で、マイペースで生きるのが自分に一番心地よい生き方とでも思っているかのようだ。南洋での生活が何かを与えたのか、あるいは現世にありながら別世界を見ることのできる視界の深さがあったのだろうか。その理由はわからないが、お顔が特に印象に残った。

もう一つ印象的だったのは、60になったら仕事をしないで、のんびりぼやーっとして生活するのが最高という考え方。仕事をしないということはすべてから解放されるということ、解放されながら生きる、そんないいことがどこにありますか、という調子である。最後まで見てしまったのは、おそらく彼の中に何か共通するものを見たように感じたからではないだろうか。

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mardi 1 décembre 2015

やっと事務手続き終了



 今年もいよいよ最後の月に入った

知らない間にここまで来てしまった、という感覚である

今日は大学に行き、学生としての最後の手続きを終えることができ、やっとすっきりした

残るは本人の問題だけになった


ついでに、スートゥナンス終了後のちょっとした懇親会(pot)の準備を考える

これはフランスの大学の伝統になっているので避けられないらしい

ということで、大学近くのブランジュリーに行ってみた

マネジャーが現れ、機関銃のようなフランス語で多様な出し物を説明してくれる

今日の写真の方である

しかし、残念ながらイメージが湧かない

当日のお楽しみということで、当てずっぼうで注文した

きびきびした対応で、気持ちよく店を出た


実はどこのお店に注文するのか、これまで迷っていた

先日、そう言えば・・・ということでこのお店のことを思い出したのだ

2007年春、これからを模索するためにパリを訪れた時に入ったお店である

以下の記事に使ったのが、その時の写真である

フランスからのメール (2007-05-27) 

まさに先日の製本所と同じで、8年の時を隔てて新しい意味が現れたことになる

どうということはないのだが、なぜかこちらの方も気持ちがすっきりする出来事であった






dimanche 29 novembre 2015

作家の作法



7年前のブログを読んでみる

その中にあった1968年10月18日放送の「川端康成氏を囲んで」という放送を観直してみた






まず、最近では見かけることのない個人の間の礼儀正しく端正な距離感に打たれる

このような姿勢はいつの間にか失われ、個人の間がだらしなくなっているように見える

アメリカの影響なのかどうかわからないが、砕けすぎているように見えることが多い

幼くなり、個人として相手に対する真剣さや敬意が薄れているように見える

恰もそれが良いことのように


7年前はマスター2年目のミニメモワールを書かなければならないと意識していた時期に当たる

7年後は学生生活の総仕上げとも言えるスートゥナンスが迫っている

これがどうように終わるのか、全く分からない

上の鼎談で、川端氏の仕事振りについて三島由紀夫氏が解説している

それを聞き、一つの考えが巡っていた


それは、何かに向かう時、やたらと騒ぎ立てるのは余り美しいことではないというものである

やれ大変だとか、やる気にならないとか、苦しみの結果終えることができたなどという類のことである

孤独の中で苦しんで書いているだろう川端氏も、それは当然と言わんばかりに飄々としている

書くことを仕事にしている人にとって、これは一つの美学になるのだろうか

最近の自らを振り返ると、まだまだ修行が足りないようである





samedi 28 novembre 2015

これは不治の病か



今日も快晴の朝である

Le Grand Jour が迫っていると言われるが、困ったことに未だピンと来ていない

なかなか手を付ける気にならないのだ

外は素晴らしいが、 また最後まで苦しむことになるのだろうか

この病、どうも治りそうになさそうである






jeudi 26 novembre 2015

事務処理未だ終わらず



昨日は雨の一日だったが、今朝は雲一つない快晴となった

本日、新年度の事務処理を終えるため、大学に出かける

しかし、担当の方が1週間の病欠とのことで来週以降になりそうである

なかなかぴしっと決まらない


大学に寄ったついでに、スートゥナンスの部屋を覗いてきた

それなりの広さがある

スートゥナンスはソーシャルイベントとのこと

社会性を断ち切って庵暮らしをしてきた身なので、突然世の中に放り出されるような感じだ

 ご都合のよろしい方のご参加をお待ちしております





vendredi 20 novembre 2015

スートゥナンスのご案内



スートゥナンスの詳細が決まりましたのでお知らせいたします

(フランス語版はこちらです)


日時: 12月7日(月)、9:30~

場所: 264 E 号室, Halle aux Farines

Université Paris Diderot 

16 rue Françoise Dolto 75013 Paris 

大学の地図はこちらです

アクセス: Métro 14, Bibliothèque François-Mitterrand


テーマ

 「免疫学が問い掛ける哲学的・形而上学的諸問題」

Philosophical and Metaphysical Problems Posed by Immunology
Problématiques philosophiques et métaphysiques posées par l’immunologie


MEMBRES DU JURY 

Pr Alain Leplège, Directeur de thèse, Professeur, Université Paris Diderot  
Pr Geoffrey Butcher, Chef de groupe, Institut Babraham, Cambridge, U.K.  
Pr Anne Marie Moulin, Directeur de recherche CNRS, UMR SPHERE CNRS/Université de Paris   
Pr Anne Fagot-Largeault, Professeur, Collège de France 
Dr Thomas Pradeu, Chargé de recherche au CNRS, UMRD5164



終了後に簡単な懇親会(pot)が予定されています

興味をお持ちの方のご参加をお待ちしております






mercredi 18 novembre 2015

自らの産物を直視できるのか

Paysage


10月初めに論文を書き終えた

殆ど奇跡的としか言いようのない展開で、形だけは作ることができたと言い換えることもできる

ということで、恥部に触れるような感じがあるためか、これまで読み返す気分にならなかった

しかし、そうも言っていられない時期に入って来た

読み返した時、どのような感想が湧いてくるのだろうか

興味津々である

大切なことは、目の前にあるものこそが今の自分の姿であると理解すること

こうもできたのでは、と考えても仕方がない

それをできなかったのが、今の姿なのだから