vendredi 1 juin 2012

エラスムス大学ファン・ブンゲ教授とのランデブー、そしてエラスムスのことなど


Pr. Wiep van Bunge (Erasmus Univ. Rotterdam)


昨日はスピノザ研究者のファン・ブンゲ教授にお話を伺うため、エラスムス大学に向かった
このランデブーはその2日前に決まったもので、旅先でなければ実現しなかっただろう
経過はこんな具合だ

火曜に訪れたスピノザ・ハウス (Spinozahuis)で管理人のトニーさんがこの方の名前を口にされた
以前に講演を聞き、感心したというのだ
わたしは記念にそこにあったスピノザの入門書 Philosopher of Peace を手に入れた
その著書がファン・ブンゲ教授だと気付いたのは、デルフトに戻ってからであった
これで何もしないのは偶然を愛する者として失格だと思い、すぐにランデブーの可能性を問い合わる
そして、その日遅くに快諾の返事が来た
嬉しい急展開であった

Rotterdam Centraal 駅を降りると駅前は工事中
ロッテルダムと聞くと、なぜか訳もなくロマンチックな町ではないかと想像していた
ところが、中心街は高層ビルが建ち、デザインは斬新なものもあるが今のわたしには何とも殺風景に見える

駅前のインフォメーションで大学への道筋と町の見どころを教えていただく
メトロを Kralingse Zoom で降り、大学のキャンパスに足を踏み入れても同じ感想が頭を過る
 デルフトやライデンの印象が強く残っているためか、味気ないのである
しかも、こちらも大工事中だ

高層ビルの5階が哲学科のフロアだった
壁には哲学者の顔が並んでいる
外から見るよりは雰囲気が良い
ファン・ブンゲ教授のオフィスは一番奥にあった
入るとどなたかとお話し中で、お忙しい中時間を割いていただいたことを知る

オフィスでも何ですから1階のカフェでいかがですか、ということで場所を変えてお話を伺った
 現在哲学科の主任をされているだけではなく、オランダのスピノザ協会の会長の職にあるという
また、昨年10月には東京と大阪で講演をされたとのこと 
大変な碩学に、どこからともなく飛んできた物体を受け止めていただいたことになる
そんなことは全く感じさせない語りが続き、十分に楽しむと同時に学ばせていただいた
 このあたりの人間の距離感が、何とも言えずよい
 多くの話題が出たのでしばらく寝かせないとまとまらないが、ここでは印象に残ったエピソードをいくつか

まず、ロッテルダムの街の印象についてぶつけてみた
すると、ロッテルダムはドイツに徹底的に爆撃されたので、古いものが何一つ残っていないのです、と強い口調で返ってきた
そのような経緯を知らなかったわたしは、自らを振り返っていた

 また、フランスのやり方について、内に籠もり過ぎるのではないか、という印象を持っていることがわかった
哲学にしても、国際的には英語でなければ通用しない時代になっている
それでもフランス語とフランスの世界にこだわっているのだという
英語圏の動きに鈍感らしい
最近の国際学会でもパリ大学の教授はほとんど理解不能な英語で話していたという
 それだけではなく、フランス人の引用は仲間内の研究に限られることが多いらしい

なぜ英語を勉強しないのかと、彼はその教授に聞いたところ、こんな答えが返ってきて驚いたようだ
フランス語の文献を読まないような人の研究に注意を払う必要がありますか
   国の文化に誇りを持つのは素晴らしいが、それが過ぎると文化的な孤立を招くのではないか
将来、文化的な後退を齎すのではないか、と彼は危惧していた
ただ、わたしの領域に関しては、このような傾向は少ないという印象を持っている

フランスにいると恰も繭の中で暮らしているようで、気持ちがよいことは確かである
ファン・ブンゲ教授によると、フランスだけが隔離されたガラスの家の中にいるということになる
そこから外国に出ると、この世界の外気に晒されているという感覚が訪れる
風通しがよくなるのである
雨天のドーム球場のように外からは見える日本の状況と少し似ているのではないか
こんな大雑把な印象が浮かんでいた 

ファン・ブンゲ教授のオフィス
そのあるがままが美しいと感じ、撮影を許可していただいた


それから哲学教育一般についても伺った
これまで今一つはっきりしなかった大学に入る前の哲学教育だが、高校で選択科目として教えられているという
必修ではないが、ないより良いと考えている
そこで哲学に触れた中から哲学科に入る学生がいる
また、高校の哲学教師が哲学科を出た人の就職先にもなるので一挙両得だとのこと

大学の哲学科の学生の半分は40歳以上
パートタイムが30%
ご自身もそうだったようだが、初めから哲学をやるのは大変だと考えている
何の蓄積もないために、考えることも判断することも難しいからだ
その意味では、40代を過ぎてから哲学を始めるのは理に適っていると語っていた
この場でも触れているが、その意見にはわたしも同意するところ大である

ご本人はスピノザを研究してきたが、専門は哲学史でスピノザ主義者ではないという
対象をあくまでも対象として見ている点で、科学的態度と言えるのかもしれない
今取り掛かっている本を仕上げた後はスピノザから去り、18世紀オランダの哲学史へと進みたいとの希望をお持ちだ

スピノザに関して、読むべき本や文献などを教えていただく
調べたところ絶版となっているものもあり、これから偶然に期待しながら様子を見ることになりそうだ
わたしの本業には関係はないのだが、新しい世界が広がるような嬉しい出逢いであった


 


ロッテルダムと言えば、エラスムス (Desiderius Erasmus Roterodamus, 1466-1536)
「ロッテルダムのエラスムス」 の名を持つオランダが誇る人文主義者 (humanist) エラスムス
ロッテルダムとの繋がりは、彼がその地で聖職者の私生児として生まれた以外にはない
パリを含めヨーロッパを広く旅したコスモポリタンだったが、根を忘れないという意味も込められているのかもしれない

ここで言う人文主義者とは、現代的な意味での人間の尊厳を中心に置く宗教色のない哲学の信奉者ではない
ギリシャ・ローマの古典を研究し、中世の野蛮には抗するがキリスト教は受け入れる人を指している
中世のラテン語も醜いものとして拒否したようである
例えば、中世ラテン語の universitasfacultas は現代の大学や学部を指していた
それに対して古代ラテン語では、それぞれ 「全体」 と 「可能性」 という意味を含んでいたという
その意味では、わたしも人文主義者の嗜好が気に入っているようだ

ランデブーの終わりにエラスムスの像について教授に聞いたところ、大学に新しいものがあるという
哲学科の入っているH棟前の図書館の裏側にその像は静かに立っていた
新しいという先入観のせいか、少々安っぽく見えた





一方の本家は聖ローレンス教会 (Sint Laurenskerk) 前の広場にあった
確かに、こちらの方が作りがしっかりしていて、深みがあるように見える
ただ、背景が新しいビルなのでやや興ざめした
この場の方が多くの人の目には触れるのだろうが、もう少し落ち着いた景色の中で見てみたいと思っていた




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