
昨夜はレストランで会食、御主人も加わり話し込む。
その時、一度試してみる価値がありそうなアイディアが浮かぶ。
一瞬の出来事であった。
いろいろな方々と考えを交わしてみることの大切さを改めて感じる。
その時、一度試してみる価値がありそうなアイディアが浮かぶ。
一瞬の出来事であった。
いろいろな方々と考えを交わしてみることの大切さを改めて感じる。
« Le hasard n'existe pas, il n'y a que des rendez-vous » (Paul Éluard)
「偶然は存在しない。あるのは約束された出遭いだけだ」(ポール・エリュアール)





「もしよしあしを言う価値基準があると、それだけでこの絶対的な跪拝の原点をこわすことになり、<詩>は生れてこない。あらゆる人がそのままで<深い人生>を現わしているとする絶対肯定の、シェイクスピア的静けさ、générosité こそが、つきない<詩>をつくる。この自己放棄と評価的規準の放棄---絶対肯定・足もとへの感動的跪拝が<詩の源泉>となる。・・・
・・・<すべての人生の姿>を<よきこと>として---<乞食>や<浮浪者>や<ヒッピー>や<悪党>の深い礼賛者として---決して新聞的教育者的道徳教にしたがうのではなく、<すべてをよし>とする<無>となることによって---<この世>を両手で<なんていい奴なんだ、お前は>と叫びながら douceur を感じつつ抱きしめるのである。
ぼくらを縛りつけ<詩>から遠ざけたのは、この評価的な対象化する態度でなかったろうか。すべてがよく、すべてが美しく重く面白いのだとする態度を、どこか放埓な無責任なものと考える考え方が、ぼくらから<詩>を奪っていたのではないだろうか。
その理由はおそらく教育的な要素や立身出世型、追いつき追いこせ型の生き方・考え方が社会に充満し、ぼくらもそれに染まっていて、<遊び>を遠ざけていたことに関係があるであろう」


「僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。・・・その横に 「日本脱出記」 なるものもあり、一緒に手に入れる。
僕が一番好きなのは、人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにまた動機にも自由あれ」





