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dimanche 29 juin 2014

全体の流れの中で、大きな転換点になるのか


金曜はこれまで考えてきたことを発表することができた

纏まったのは発表1週間前

科学における形而上学をどう考えるのかがテーマだった

科学の場に形而上学を必要としているかという問いに対し、肯定的な答えと問題点を指摘するもの

形而上学などという訳のわからないものは必要なし、とするのが科学の側の反応だろう

そういう前提で、まず形而上学が科学においてどのようなことをするのか

さらに、今の科学と形而上学が乖離した状態をどのように改めるのかという視点で話を纏めた

日本国内ではいろいろな場で発表してきた内容が骨子になる


確かに、形而上学は殆どの科学者の頭の中にはない

しかし、この会は形而上学に興味を持ち、その領域で仕事をしている人の発表の場である

これまでも科学と形而上学は片思いの関係にあると言ってきた

つまり、形而上学の方はいつも科学を観て考えている

ところが、科学はその存在を気にも留めず、深く考えることなく捨て去っている

哲学者の方はこのような現状は知ってはいるが、とにかく目の前の専門の中で仕事を進める

専門家としては当然のことだろう


わたしの意識はいつも両者のインターフェースにあり、現状を何とかできないかという立場になる

ただ、このような会に参加すると、専門の中で考えを進めなければ、という気持ちが強くなる

また、これまで考えてきたことが、より深まったようにも感じている

 気分が重かった6月27日だったが、終わって開けてきた景色はこれまでと一変している

 隠居の状態から抜け出ようという年頭の一瞬の決断が鍵になっていることが見えてくる 

なぜそんなことを考えたのか、実に不思議である

会終了後、雨のリールのカフェに落ち着き、「こと」の全体を振り返っている時こんな考えが巡っていた


雨が小降りになった頃、カフェを後にしてリールにあるパスツール研究所へ向かった

 そして、リール美術館

途中から土砂降りになったが、着いた先では二度目の空間を十分に楽しむ












vendredi 27 juin 2014

ディナーの席でダイナミックな人の流れを感じる

 Daniele Cozzoli、Silvia de Bianchi、Luca Tambolo、Silvia Caianiello の皆さん


昨夜は学会のディナーであった

少し迷ったが、案内の方がレストランの前にいて助かった

テーブルは偶然にも4人のイタリア人と一緒になった


左のダニエルさんは現在はバルセロナの大学で研究

シルヴィアさんはパリにいたこともあるようだが、今はロンドンの大学で研究

彼女は若い時に日本語に興味を持ったというだけあり、全くアクセントのない日本語を話す

そこまでになると日本人的な感覚が通じるようで、言葉はまさに恐ろしきものという印象だ


ルカさんはトリエステの大学で科学の哲学と歴史を研究中

トリエステと言えば、10年以上前にクロアチアの友人を訪ねる時に立ち寄ったことがある

懐かしい響きだ

10年前のクロアチアへタイムスリップ (2011-05-08)

訪れたリエカはその昔イタリア領で、20世紀に入ってから一時イタリアが占領したという

今回初めて知った話である(詳細はウィキで)


そして、右端のシルヴィアさんはローマをベースに研究中

昨年モンペリエであった学会の野外パーティでもお話した記憶が蘇った

 彼女の方も覚えてくれていた

日本とイタリア、さらに世界情勢についても話が盛り上がった

彼女が10代前半の時、父親の仕事の関係で小田原に2カ月滞在したことがあるという

話してみなければ、その人間の過去はわからないものである

 良い記憶しか残っていないが、お寿司だけは受け付けなかったとのこと

その後、ヨーロッパで味わうことになったらしいが、その時は抵抗なかったという

イタリアを訪問するとしたらどこかと尋ねたところ、ほとんどすべてとの答えが返ってきた

その中でも、と聞き直すと、いくつか挙げてくれた

ルカさんからは、例えばフィレンツェであれば2週間は必要という何とも贅沢なアドバイスをいただいた

Vera Matarese さんと Valeriya Chasova さん


暫くすると、隣のテーブルから、日本人ですかとヴェラさんが声を掛けてきた

彼女は現在香港大学で研究中とのことで、東洋人に反応したのだろうか

おそらく、大学では唯一人のイタリア人ではないかとのこと

立ち居振る舞いがヨーロッパの4人とは違い、しっとりしているように感じたのは気のせいだろうか

そして、ヴァレリアさんはロシア出身で、現在はベルギーはルーヴァン・ラ・ヌーヴで科学哲学を勉強中

眼鏡を取ったお顔が好みのようであった

それから思わぬ繋がりがあったことを彼女からのメールで知った

昨年6月、パリで開かれた医学哲学の会に参加したことはここでも触れている

 「医学の哲学」 の会議で、改めて 「考えるということ」 を考える (2013-06-20)

当時パリ大学に在籍していた彼女もこの会に参加していたというのである

 本当に世界は狭い

 こうしてみると、目まぐるしく人が移動しているのが分かる

それは気持ちの良い景色に見えた


全体的に纏めるとすれば、イタリアン・パワーに圧倒された一夜ということになるだろうか



最終日の今日は発表があり、いろいろ考えさせられることがあった

それは明日以降に纏めることにしたい

午後は雨に降られた

帰りのTGVは1時間のところが20分遅れでパリに到着

今回は人間が線路に入ったのが原因とのアナウンスがあった

示威行為だという

まさに何でもありで、楽しくなる

日本であればちょっとしたニュースになるのではないだろうか


パリ北駅に着くと後ろから呼び止める声が聞こえた

振り返ると、ダニエルさんとシルヴィアさんのお二人

ブログに記事を書いたので、シルヴィアさんに訳してもらうようにダニエルさんに伝える

今回最後の驚きであった





jeudi 26 juin 2014

言葉と論理のロゴスの世界での一週間か


 仕事に集中している状態と言うのは、今週のような状態を言うのだろう

隠居をやっていれば朝からゆっくりできるが、そうはいかず言葉の嵐の中に置かれる

そのため詰まらないことに時間が割かれることなく、仕事のためになることだけに集中できる

しかし、それを繰り返している日常の中では、目に入っていない「もの・こと」があることに気付かなくなる

これが現代人の病理の大きな原因の一つになるだろう

それは、そこから抜け出なければ気付かないことなのである


 今日の会場は、リール第一大学に変わった

こちらは科学・技術をカバーしている

今日も終日、言葉と乾いた論理の中にいた

その枠の中での言葉になるので、われわれの思考とは明らかに異なっている

彼等は意識していないだろうが、われわれとのギャップの大きさには驚かざるを得ない

日本の同じような会には参加したことがないが、ヨーロッパの特徴と言えるのではないかと想像している

外国人のいるセッションは英語でやっているが、その精神には変わりがない

言葉だけの習得で解決できる問題ではないことが分かる



ソクラテス以来の西欧の伝統が滲み込んでいるのだろうか

それは対話を介してより確かなものに辿り着こうとする営みと言ってもよいものである

相手のことをどう思っているのかは関係ない

にこやかな顔を作るのは、相手に対する扉を開けていることを示すものなのだろう
相手の話を聞き、それに対する自分の考えをはっきり伝え、誤解がないように努める姿がある

そういうエチケットのようなものが身に付いている


医学哲学のセッションの後でのこと

発表していた若いフランス人の院生と医師に声を掛けてみた

そうするともう止まらない

患者という医療の対象と主観を持つ人間としての二つの顔、そしてその融合

臨床現場における倫理的配慮の重要性とそのことに感受性のない医者

人文科学の重要性は理解しているが体系化がアメリカに追いついていない医学教育などなど

それは作ったものではなく、おそらく普段から彼らの中で蠢いているものなのだろう

言葉が体の中から迸り出ている

人間と言葉が がっちりと結びついているのが分かる





mercredi 25 juin 2014

情報の波が体の中に流れ込む


 朝、カフェでプティ・デジュネを取ってから、リール第三大学シャルル・ド・ゴールに向かった

 リール駅から10分ほどなので快適である

この大学は人文・社会科学をカバーしている

最初、会場が分からず、同じく迷っていたポルトガルから参加した方と一緒に探す

それらしい部屋があったので入ったが、話が大学の教育のことを話している

それでも会が始まる前の連絡会だと思っていた

ポルトガルの方はフランス語が全く分からないとのことで、疑うこともなく暫く留まっていた

 お互い初めての参加だったこともあるだろう

それにしても思い込みとは恐ろしいものである
 

開会講演をするクロディーヌ・ティエルスラン教授 (コレージュ・ド・フランス)


会はこのブログでも何度か取り上げたことがあるティエルスラン教授の講演で始まった

演題は 「形而上学と科学」

講演はいつものように原稿を読み上げるスタイルで、難解である

科学の形而上学についてぼんやりしたイメージを持とうとしたが、さらに混沌としてくる感じだ

その後のセッションでも同様の印象

最初から「科学の形而上学」と言われる領域の中の話になるので仕方がないだろう

専門家の集まりである


今週は月曜からお構いなしに情報が外から流れ込んでいる

 体の中が自分ではないように感じる

それはそれで捨て難いところがある

この状態はわたしがこちらに来た当初から感じていたものと繋がっているのかもしれない

 ただ、専門家は適宜取捨選択しながら聞いているのではないかと想像している

 それでなければ自分の仕事に集中できないからだ


会から戻って来るメトロの中でのこと

自分は仕事はしていないが、敢えて名乗るとすれば何になるだろうかという声が聞こえた

そこで浮かんで来たのが、"Un observateur du monde"(世界の観察者)

ここで言う世界とは、地球の上の国々や自然と言うよりは身の回りの世界という意味合いが強い

まだ、静的な生活が続いているようである





mardi 24 juin 2014

リール到着


今日も一日ソルボンヌで過ごした

昨日と同様、激しい個のぶつかり合いがあった

先日のボルドーで出会った若者の言を俟つまでもなく、「こちらはコンフリクトの文化」ということだろう

免疫学と哲学に絡む活動についても考えさせられることがあった

いずれ書くことがあるだろう


夕方、明日から始まるフランス科学哲学会に参加するためリールに到着したところ

この町は昨年秋に次いで二度目だが、学会は初めてになる

 今年のテーマは 「科学の形而上学」

形而上学という言葉に惹かれたのか、今年は冷や汗をかく年にしたことが関係しているのか

素人が出る幕ではないと思ったが、専門家に向けて初めて話すことになった

研究というよりは経験談という内容で、無謀と言うしかない

それはさておき、科学と形而上学について考える時間となることを願っている