新年のお休み
時間を取って、戦争と人種差別についての1997年の議論を聴く
出席者は3人のアメリカ人作家
『ソフィーの選択』(1979)のウィリアム・スタイロン(1925-2006)
『スローターハウス5』(1969)のカート・ヴォネガット(1922-2007)
『キャッチ-22』(1961)のジョセフ・ヘラー(1923-1999)
ビデオはスタイロンさんの講演が中心になっている(重複あり)
太平洋の向こうからこの世界がどう見えるのか
スタイロンさんの目に写る日本(人)とはどういうものなのか
過去の忘却あるいは無知、歴史に対する不感症、反省力の弱さに関連する言葉も出ていた
人間としての基本力とでも言うべきものの欠如にも繋がるものだろう
その前に、事実をしっかり見て、如何に深く捉えるのかという問題が横たわっているように見える
それは、どのような言葉で捉えるのかという問題に帰するのではないだろうか
総じて彼らの捉えている世界がわれわれのものよりも広く見えるのは、その言葉によるのだろうか
使う言葉によって見える世界が違ってくるからだ
あるいは、単なるわたしの錯覚だろうか
会場とのやり取りと併せて実に興味深い時間になった
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