先日のボルドーでのこと
改めて、フランス語の二つの表現についての考えが巡った一瞬かあった
フランス語を始めて早い時期に気付いたことなので、どこかで触れているかもしれない
ひとつは « A, c'est B. » である
日本語では 「A、それはBである」 となる
日本語でも英語でもあまり使った記憶がなかった文型なので、すぐに気付いたのではないかと思う
一つの 「こと」 をまず目の前に投げ出し、それを眺めてその姿を説明する、というニュアンスがある
今回のことであれば、まず 「旅」 という言葉を投げ出し、その後に 「それは・・・」 と続けることになる
「旅」 という 「こと」 を定義する作業が後に続くのである
つまり、一つの言葉が指し示すことについて考えること、省察することが求められる
もちろん、日常の会話では何気なく使われているのだろう
しかし、この文型に出会った時、省察の重要性に気付くと同時に、それまでの欠落が見えたのである
この文型、今ではわたしの日本語の中に入り込んでいる
大胆に言えば、この文型こそ哲学の姿かもしれない
一つの言葉を投げ出し、それについて説明することは、よくよく考えると至難の業である
忙しい日常に追われていると、そんなことをしている暇などない
日常に必要なところで止めて次に進むのである
それをやるのが哲学者かもしれない
もう一つは、一人で言う « Pourquoi ? Parce que... » である
日本語では 「なぜでしょう?なぜならば・・・」 となる
まず自らに疑問を投げかけ、それについての持論を展開する文型とでも言えばよいだろうか
この文型が使えるためには、ある 「こと」 について 「なぜ」 の疑問が先になければならない
その上で、その 「こと」 について考える作業が続いていなければできない文型である
「こと」 に当たる時には省察が必須であることを教え、意識させる文型でもある
また、この文型は議論すること、説得することが日常でない場合には必要ないだろう
日本では使ったことがない
改めて、議論ということをして来なかったことに気付く
もちろん、議論のトレーニングなど受けたこともない
日本では使ったことがない
改めて、議論ということをして来なかったことに気付く
もちろん、議論のトレーニングなど受けたこともない
どこか深いところに 「問答無用」 の精神でも流れているのだろうか
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