仕事に集中している状態と言うのは、今週のような状態を言うのだろう
隠居をやっていれば朝からゆっくりできるが、そうはいかず言葉の嵐の中に置かれる
そのため詰まらないことに時間が割かれることなく、仕事のためになることだけに集中できる
しかし、それを繰り返している日常の中では、目に入っていない「もの・こと」があることに気付かなくなる
これが現代人の病理の大きな原因の一つになるだろう
それは、そこから抜け出なければ気付かないことなのである
今日の会場は、リール第一大学に変わった
こちらは科学・技術をカバーしている
今日も終日、言葉と乾いた論理の中にいた
その枠の中での言葉になるので、われわれの思考とは明らかに異なっている
彼等は意識していないだろうが、われわれとのギャップの大きさには驚かざるを得ない
日本の同じような会には参加したことがないが、ヨーロッパの特徴と言えるのではないかと想像している
外国人のいるセッションは英語でやっているが、その精神には変わりがない
言葉だけの習得で解決できる問題ではないことが分かる
ソクラテス以来の西欧の伝統が滲み込んでいるのだろうか
それは対話を介してより確かなものに辿り着こうとする営みと言ってもよいものである
相手のことをどう思っているのかは関係ない
にこやかな顔を作るのは、相手に対する扉を開けていることを示すものなのだろう
相手の話を聞き、それに対する自分の考えをはっきり伝え、誤解がないように努める姿がある
そういうエチケットのようなものが身に付いている
医学哲学のセッションの後でのこと
発表していた若いフランス人の院生と医師に声を掛けてみた
そうするともう止まらない
患者という医療の対象と主観を持つ人間としての二つの顔、そしてその融合
臨床現場における倫理的配慮の重要性とそのことに感受性のない医者
人文科学の重要性は理解しているが体系化がアメリカに追いついていない医学教育などなど
それは作ったものではなく、おそらく普段から彼らの中で蠢いているものなのだろう
言葉が体の中から迸り出ている
人間と言葉が
がっちりと結びついているのが分かる
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