Olivier Debré (1920-1999)
今朝、カフェでぼんやりして科学での仕事を振り返りっている時、こんな考えが浮かんできた
先日の「言葉の中に身を詰める」ということに関連して
ここで言う言葉とは、主に日本の日常生活で使っていた言葉のことである
中身のことまで考える時間がなかったのは、ほとんどの時間を仕事に充てていたからだろう
科学の研究で使われる言葉は、日常の出来事とはほとんど何の関係もない
その意味では、致し方なかったとも言える
このことを驚きをもって感じたのは、こちらに来て1年ほど経った時のこと
日本でやり残していた仕事を論文にまとめて投稿して、返ってきたコメントを読んだ時である
そこに並べられている言葉が生きることとは何の関係もないものばかりであることに驚いたのである
より正確には、その問題を解決することが生きることには何の関係もないという感覚だろうか
こんな言葉を相手にそれまでやってきたのかと思ったが、そのように感じたことは一度もなかった
それだからこそ、専門家なのだろう
一つの狭い領域での言葉や問いというものは、それほどまでに他の人には何の意味も持たない
それゆえ、無味乾燥な言葉や問いの翻訳が必要になるのだろう
文学作品の翻訳以上に大胆な翻訳が求められるはずである
そしておそらく、科学以外の素養がそこで大きな働きをすることになるのだろう
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