lundi 8 juillet 2013

もう一つの再会、あるいは米仏思考比較と貴重なサジェスチョン


会議は2日目を迎えた

それにしても大変な時に来てしまった

本日も快晴で、35℃を超えたとのこと

予報では連日この調子のようだ

それでなくてもボーっとした頭の中が、熱のため完全にやられっぱなしになるのだろうか

ヴァカンスで来るところのようである


ところで、朝のコーヒー・ブレイクでアルフレッド・タウバー(Alfred Tauber, 1947-)さんと話ができた

こちらに来た翌年の2008年、パスツール研であったメチニコフ・シンポジウムで初めてお会いした

その後、イスラエルの学会で再会し、似たような経歴の人間に興味をお持ちのようであった

タウバーさんは免疫学の研究をしている最中に哲学を始めているので、大先輩になる

わたしの方は、その世界は視野に入っていなかったか、視野から排除していた

ボストン大学を3年前に退職した後も研究を続けているエネルギッシュな方である

 自己・非自己の科学からフロイトに興味が移ったとのことで、最近出した本を紹介された

Freud, the Reluctant Philosopher (Princeton University Press, 2010)

 年内にもう一冊予定されているとのことであった



会話は実に面白い方向に進んだ

まず、わたしの姿を見て、まだここにいたのかという感じで、それはどうしてなのかと訊いてきた

フランスの空気に感じる自由なところが居心地がよいのではないか、というような答えをした

そして、うまく言えないが、その自由はアメリカとは少し違うように感じていると付け加えた

そうしたら、そこのところをどうしても説明してくれ、という

それに対しては、留学についての対談でも触れたように、枠のあるなしでその自由さの違いを説明した

つまり、アメリカの場合には、最初に大枠が決まっていて、その中では自由に考えることができる

その大枠は、具体的な成果を齎すことを前提に作られたものである

役に立たないものを最初から排除する思考になる

それに対して、フランスで感じたのは、その枠さえもない完全にフラットなところから考え始める自由であった

科学を進める上では、アメリカ的な思考がより有効になるだろう

しかし、科学では説明できない領域に入って行こうとする時には、目的に向かう思考は邪魔になる

わたしの場合には、すでに科学をやっているので後者の思考に興味があったから、というような答えをした

フランスの場合には、後者の思考により寛容であるように見えたのである

アメリカ的世界ではその曖昧な領域が捨象され、存在しないものとして扱われているように感じるのである

 それに対しては反論はなく、黙って聞いてくれていた

それほど的を外していないのか、儀礼的な沈黙であったのか


それから、話題はわたしの研究の現状に入って行った

大枠を説明したところ、わたしの性向などを考慮に入れた実に興味深いサジェスチョンをいただいた

ひょっとすると、この出遭いのためにモンペリエまで出向くことにしたのではないか

そんないつもの思考回路が回っていた


今は炎天下の白昼夢でないことを願うばかりである




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