パリも結構暑い日が続いている
ボーっとした頭の中は、モンペリエのままである
ただ、夕方になると涼しい風がどこからともなく吹いてくる
が、その頃には疲れている
ということで、今日は日本語の本を持って出掛けた
西田幾多郎についての本を読んでいる時、発見があった
それが、今日のタイトルである
西田が人生で最も気持ちよく過ごした時代だと回想する四高時代
そこでは仲間と大いに羽を伸ばしていたようで、その放埓ぶりを見た教師がこう語ったという
「彼等には翼あるものなり」
ここから西田は「有翼」と自ら名乗り、「我尊会」と名付けた会に多くの文章を書いていた
このエピソードを読み、一つの記憶が蘇ってきた
こちらに渡る2007年の春
最後の学会発表で東北大学のT教授が座長をされた
そして、わたしの紹介の中で突然同じような言葉が出てきたのである
「この先生の心には翼が生えておりまして・・・」
詩心など持ち合わせているようにはお見受けしなかったため、不意打ちを食らったようで若干動揺
そして、一瞬だが体が浮き上がるような感覚が襲ってきたことがあった
わたしの翼は血気盛んな時代の西田の翼とは違うと思いたい
しかし、表現型には違いはあるかもしれないが、根のところでは繋がるものがあるようにも見える
「みじめな」帝国大学選科時代、ケーベル(Raphael von Koeber, 1848-1923)教授と考えが合わなかった
西田は生きることに繋がっていない哲学、自らの思惟を重視しない哲学には価値を見ていなかったからである
ただ、ケーベル先生の「哲学者は煙草を吸うべし」 という助言だけは受け入れたようだ
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