Spinozahuis (Paviljoensgracht 72-74, den Haag)
土曜日はエッシャー美術館の後、スピノザ・ハウスを目指した
スピノザさんが1671年から44歳で亡くなる1677年2月21日まで住んでいた家である
遺言はなく、159冊の本と身の回りのものが残っただけだったという
この家に辿り着くまでも紆余曲折で足が棒になる
最後に尋ねた人の目的地は近いとの声で、足取りが軽くなる
入口の扉も窓のカーテンもすべて閉まっている
入口の扉も窓のカーテンもすべて閉まっている
念のためベルを押してみたが全く反応なし
他に二人組が訪ねてきたが、何もしないで去って行った
家の前の広場にスピノザさんの像があった
重厚な像で、今そこで生きているように見える
重厚な像で、今そこで生きているように見える
そのためか、いろいろな角度から眺めているうちにそれまでの疲れがどこかに飛んでいくように感じたのには驚いた
気分までも晴れてきたので、どうしようか迷っていたもう一つの像も見てみることにした
その像はハーグ郊外のフォールブルフ (Voorburg) にある
交通案内を聞くため、インフォメーションセンターへ
若い人だったが、親切に対応していただく
雑談の中で貴重な情報を得る
これもその道の人には常識なのだろうが、わたしにとっては嬉しいニュースであった
それについては別の機会に
ここで英語の大学前教育について聞いてみた
彼によると、英語は高校までにコミュニケーションができるように徹底されるという
その他に、ドイツ語、フランス語、スペイン語も選択としてあるようだ
今回の滞在でオランダの印象がよくなったと伝えると、住んでみてはどうですか (You should try it) と言っていた
本題に戻る
フォールブルフに行くには路面電車とバスの乗り換えになる
ところが最初の電車の乗り場がわからない
そのあたりを歩き回って場所を聞くが、人によって言うことが違う
やはり止めようかと思ったその時に電車が通りかかった
その運転手が正解を教えてくれた
その運転手が正解を教えてくれた
駅は地下にあったのだ
案内所でもらった紙には 「バス/電車」 の乗り場と書かれてあったので、よもや地下にあるとは想像していなかった
先入観とは恐ろしいもので、無意識のうちに一つの可能性を排除していたのである
バスに乗り換えて、Spinozalaan に着く
目指す像は公園(Park Het Loo) の中にあった
この像の写真はネットで見ていたが、今一つピンとこなかった
やはり現地に行ってみるものである
やはり現地に行ってみるものである
広々とした空気の中でその像を見ると、想像していた印象とは全く違う
また、ハーグの像とも違うスピノザさんがそこにいた
こちらも行って正解であった
Wiki によれば、1964年となっているが、、、
この公園でも一日の疲れが取れるように感じる
この写真を撮り終わった時、丁度バッテリーがなくなった
長い一日だったことがわかる
それにしても何というタイミングだろうか
満ち足りた気分でハーグに戻り、そのままデルフトに向かった
この写真を撮り終わった時、丁度バッテリーがなくなった
長い一日だったことがわかる
それにしても何というタイミングだろうか
満ち足りた気分でハーグに戻り、そのままデルフトに向かった
今回のデルフト滞在の大きな軸は 「スピノザへの旅」 とでも言うべきものになった
その哲学もまだ知らない身だが、彼の住んでいた国と人生に関係した場所に直接触れることができた
それだけではなく、ファン・ブンゲ教授とお話する機会まで飛び込んできた
これがスピノザさんへの本当の旅に繋がるのか
これからの経過を観察したい
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