Aladin (2010)
Gerhard Richter (1932-)
昨日は午後からビブリオテークへ
帰りに漫画家ジョルジュ・ウォリンスキーさん (Georges Wolinski, 1934-) の展覧会を覗く
画業50周年を記念したもの
Wolinski, 50 ans de dessins
Wolinski, 50 ans de dessins
セックスを人間に付随するものとして、ごく自然に、時にユーモアをもって描いているものが目に付いた
どこか笑い飛ばすようなところがある
困ったものだと見ているところもある
人間である
一筋縄でいくものでもなし
昨夜はNHKのETV特集を観る
ひとつは2年前の夏に放映された 「埋もれた声 ~大逆事件から100年~」
しばらくすると、日本に帰った時に観た記憶が蘇ってきた
まさしく不条理の世界である
そして、何もなかったように世の中は流れている
冤罪はこれからも起こるでしょう、という遺族の言葉で終わっていた
不条理をなくすることはできるのか
人間のやることである
難しいのかもしれない
もしそうだとしたら、
振り返り、考え、立ち止まる以外にそこから逃れる方法はないのではないか
しかし、それがいかに難しいことか
不条理をなくすることはできるのか
人間のやることである
難しいのかもしれない
もしそうだとしたら、
振り返り、考え、立ち止まる以外にそこから逃れる方法はないのではないか
しかし、それがいかに難しいことか
もう一つは 昨年3月放送の番組
聾唖者である井上さんが父親から与えられたカメラで戦前から撮っていた町の姿が顔を出す
懐かしい景色が現れ、それが現在と重なる
なぜ、過去に埋もれた景色がこうも胸に迫るのだろうか
アラーキーがその昔言っていた
「懐かしさを感じない写真は駄目だね」
井上さんの写真は確かに懐かしさを感じる
懐かしさとは一体何なのだろうか
木村伊兵衛、荒木経惟、そして写真とは IHEI KIMURA ET NOBUYOSHI ARAKI (2006-05-24)
今朝は、曇りかと思えば雨が降り、また晴れたかと思えば曇るというパリらしい天気
昨日よりは一段と凌ぎやすい
午後、予期せぬメールが日本から2つ届いた
お一方はもう40年振りになるのではないだろうか
率直な気持ちが綴られた画面を眺めながら、懐かしさと流れてしまった時を感じる
その中に、パリでの遊行期?を羨むとの言葉もあった
学生生活もなかなか大変なのだが、、
ご本人はこれから遊行期に入られるようだ、
林住期 LE TROISIEME ETAPE DE LA VIE SELON BOUDDHISME (2007-03-04)
もうお一方は現在も研究をされている方
ニューヨークでもいろいろ教えていただいた
お忙しいのだろう
忘れた頃に便りが届く
わたしのエッセイも読んでいただいているようだが、現役の研究者にどれだけ入っていくだろうか
更なるご活躍を期待したい
今日のラジオは、この23日に亡くなったブリジット・エンゲラーさん (Brigitte Engerer, 1952-2012)一色である
今はムソルグスキー・ラヴェルの 「展覧会の絵」 が流れている
Aucun commentaire:
Enregistrer un commentaire