lundi 15 août 2011

穏やかなこの日、「日本のいちばん長い日」 を観る



昨日はどんよりとした鼠色の空から始まった。お昼に少しだけ青い空が覗いたが、午後もはっきりしない天気だった。

今朝は一転晴れ上がり、太陽がまぶしく目を開けていられないほどだった。そして、特に大きな変化もなく、一日中穏やかな日和だった。その空に合わせるように、のんびりとこの秋のことを考えたり、本をひっくり返したりしていた。これは先週の会のオーガナイザーだったベルシニさんの本ではないか、という思い掛けない発見もあった。ご本人を知る前に気になって買っていたようだが、今の今までその繋がりに気付かなかったのだ。こういうのは好きな瞬間になる。




先日の日本で手に入れた映画 「日本のいちばん長い日」 (1967年) の DVD (2005年) を観る。懐かしい顔が大勢出てくる。映画としての質はわからないが、少なくとも当時の空気を感じるにはよい作品ではないだろうか。そこには今とはまるで違う日本と日本人が現れる。逆に当時の日本人から今を見れば、ここまで変わるのかと思うほど変り果てた姿があるはずである。当時のあの雰囲気の中に身を置いたとすると、一体何を考え、どんな判断をしたのだろうか。天下泰平にも見える今この時から当時を見てものを言う時には相当の想像力と注意が必要になるだろう。

そんな中、一つだけ今にも通じると思われたのは、広い視野から構造的にものを見て、科学的に考えることが苦手だということだろうか。フランス語のイメージで言えば « lucidité » に当たる頭の中が澄み切った様が透けて見えるようなところがないような気がしている。小さな穴に潜り込んだり、どこかミスティークなところに身を委ねやすく、しかもその姿を批判的に見るのではなく、時に美化する習性があるように見える。それが日本独特の感性や芸術を生み出すことがあるのかもしれない。その世界に生きる人にとっては、それでよいのだろう。ただ、大部分の人はこの習性を考え直す必要があるのではないだろうか。

上層部の苦悩や悲喜劇が描かれた映画だったが、一方の庶民は戦争中意外に楽しんでいたと証言する人もあれば、悲惨な目に合っていたと言う人もいる。一方的に総括することなどできそうにない。塊の平均値をもとに一刀両断にすることなどできないだろう。医学がそうでなければならないように、最後は一人ひとりに起こったそれぞれの物語を拾い上げて考えるしかないのだろうか。






dimanche 14 août 2011

詩人の感性、そして日本人の討論力



先週の会でお会いしたポール・ブルギヌさんにブログの記事をお知らせしたところ、お礼のメールが返ってきた。そこにはこのブログの標語であるポール・エリュアール (1895-1952) の言葉が大いに気に入ったとあり、これは生物学やエコロジー、ひいてはソーシャル・ネットワークにも当て嵌まるのではないかと続いている。詩人は科学者以上に真実に迫ることができる証かもしれないとも書かれてある。

 « Le hasard n'existe pas, il n'y a que des rendez-vous » (Paul Éluard)

  (偶然は存在しない。あるのは約束された出遭いだけだ)


ブルギヌさんからのメールで会のことをひとつ思い出した。それは日本の若い方の発表を聞いての印象になる。今回の発表が初めてなのかもしれないが、人に聞いてもらおうとする気持ちが薄く、自分の中だけで話しているように見えた。質疑応答もままならないので、その場に参加しようとする姿勢も見られない。日本に戻れば別世界が待っているので、この時間だけ凌げば何とかなると考えても不思議ではないのだが、会場は白けてしまう。

一方、中国人の発表には小さく纏めようというところが見られず、言ってみれば open-ended な姿勢で、どこか決然としたところがある。質疑応答でも、わからない時にはわからないなりにその場を凌ぐ術を知っている。外国でトレーニングを受けている最中かもしれないので、その場合は割引きしなければならないが、、、

これらのやり取りを聞きながら、この問題は英語という言葉をどう操るかの問題ではないような気がしていた。それ以前に、自分の意見をどう発表し、それに対する討論にどう対応するのかという基本的なところがしっかり鍛えられていないという印象を持った。つまり、研究生活の日々が科学者の日常になっていないのではないかということである。そこを押さえた上での英語でなければ、まともな討論にはなかなか辿り着かないだろう。事実を見つけて発表するだけではなく、そのことについて討論することは科学の重要な要素であるが、そこが等閑にされていないだろうか。長く息づく日本の伝統を垣間見るだけではなく、自らを振り返る機会にもなった。



samedi 13 août 2011

昨日を感じながら慣らし運転



三連休の初日

午後から久し振りに体を慣らすためにビブリオテークへ
暫くすると眠くなるのでまだまだだ

メトロでシチリアの宣伝を見る
もう大昔に感じる昨日と繋がっていると思いながら



vendredi 12 août 2011

人間になるためには変わらなければならない



月曜から始まった会は今日が最終日だった。人工生命を研究する分野がどういうところなのかという問が1週間頭にあった。まだ掴み切れていないが、生命現象を数学に置き換える理論生物学やコンピュータ・シミュレーションやロボティクスなどのコンピュータ・サイエンスに及ぶ領域を跨ぐ分野というのが今の印象になる。6月に様子を見た記号学とは異なり、所謂文系の要素は入っていないので純粋科学の一分野になるのだろう。数学が基本になるので、個人的には距離を感じる。

プログラムの挨拶によると、Alife は学際的な科学で、まだ未熟な段階にあるため確立された科学からは疑いの目で見られることもあるという。その見方の中に主流を行く科学の無関心や尊大さがあるのではないか、もう少し和気藹々とした気持ちや好奇心を示すことがあってもよいのではないかとの言葉もある。次回はシチリア島のタオルミーナで開かれることが決まり、町の紹介があった。ウィキによると、映画 「グラン・ブルー」 の舞台になったところだという。

これはいつも感じることだが、何かを通過するとそれがどんなものであれ、どこかが変わっている。すぐに気付くこともあるし、暫く時が経ってからそれまで見えなかった結び付きが現れることもある。敢えて言えば、これも joie de vivre の一つになるのだろうか。



Pr. Eric Wieschaus (Princeton Univ., Prix Nobel 1995)


ところで、昨日はエリック・ヴィーシャウスさんのお話から始まった。研究対象はショウジョウバエの初期胚の形成で、特にどのようなメカニズムで球状の構造が窪み、体の中の臓器 (心臓、血管、腎臓、筋肉、骨格など) を作る中胚葉ができ上がるのかに注目。細胞の体積を変えることなく、ミオシンという収縮タンパクが移動し、細胞の一部が収縮して形を変えることにより、細胞群が球の中に入り込む分子機構の一部を明らかにしていた。

一つの受精卵から人間になるためには、物理的に変わらなければならない。形を変えなければならないという。科学的にはそこまでしか言えないだろう。敢えて敷衍すれば、目には見えないところも変わらなければならないはずである。最後まで人間にはなれないのが人間であるとすれば、どこかにあるだろう精神の営みを通して変えるという作業をやり続けなければならないだろう。退屈などしている暇はないことになる。これから連休が始まるのだが、、、





専門を離れてからこのような会に出て発見したことの一つに、スライドの図や写真の美しさがあることについては以前に触れた。時に、芸術作品も及ばないほどの輝きを放つものも現れる。昨日はその美しさに目を見張ることが多かった。これまでは実験結果として意味のあるメッセージだけに注目して見ていた。そのため、このような美しさが隠れていることには気付かなかった。今ではスライドを 一つの芸術作品として味わっているようなところがある。美しくないスライドを受け付けなくなっている。こちらは他の方のスライドだが、データを通り越して抽象絵画でも見ている気分になった。







jeudi 11 août 2011

黒澤映画 「夢」 を観る



ブログを始める時期に一致して写真を毎日撮るようになったと記憶しているので、写真との付き合いはもう6-7年なる。何はともあれ三文カメラをポケットに入れてから外出するのが常になった。今では面白そうな対象が向こうから寄ってくるような気がしている。すべてが偶然であり、必然でもあるという不思議な感覚である。対象を選ぶ時の決め手は色と形の配置が自分の好みに合うかどうかで、カメラを覗き、構図を決めてシャッターを押す。一瞬のことだ。


昨夜、日本で仕入れた黒澤明監督の 「」 (1990年) の DVD を観る。映画が始まってすぐに画面の色と構図がわたしの好みに合っていることに気付く。と同時に、監督もそこに相当の神経を使っていることを想像させる。いろいろな夢が出てくるが、日本(人)の歩み、文明そのもの、あるいは科学信仰に対する批判が時に静かに、時に激しく語られている。こんな叱咤を受けているような気分になる映画である。

 「日本人、いや人間よ。目を覚ませ。そして、もっと考え、もっと賢くなれ」

仕事を離れ、こちらでたっぷりと考える時間が生れている今だからこそ、黒澤監督の感受性がごく自然に入ってくる。しかし、仕事をしている時にこれらの夢を観て、どれだけ体の芯から理解できただろうか。言葉面だけに終わっていたのではないかと甚だ心許ない。多くの重要な問題は歴史や哲学の助けを借りなければ正解に辿り着かないだろう。しかもその助けを受け入れるためには時間が必要になるのだ。この前提を理解し、実践することが、忙しく仕事をしている人にとって極めて難しい理由がここにある。事がなかなか動かない理由がここにある。

3・11以降有名になった 「赤富士」 のエピソードは知っていたが、同根の批判精神に溢れる作品だとは想像していなかった。



mercredi 10 août 2011

シテ・ユニヴェルシテールから (2) Cité Internationale Universitaire de Paris



敷地が広く、どこまでも続くような解放された気分になる空間だ。
昨日の続きをもう少しだけ。




Juan Soriano (1920-2006)
Pájaro XIII (2005)




Baltasar Lobo (1910-1993)
Fontana (1971)




Jacques Martor
Tango
















mardi 9 août 2011

シテ・ユニヴェルシテールから Cité Internationale Universitaire de Paris



会議の会場になっているシテ・ユニヴェルシテールは今回が初めてになる。
休み時間に散策した折に目に付いたものをいくつか。










J. Garcia Donaire
Figura (1972)



Collège Franco-Britannique




Dama de Elche (Dame d'Elche, Lady of Elche)
Ve siècle avant Jésus-Christ




lundi 8 août 2011

新しい領域での興味深い出遭い


Pr. Paul Bourgine (École Polytechnique)


今日から1週間、人工生命 (Alife) の世界を覗くためにヨーロッパ人工生命会議 (ECAL11) に顔を出すことにした。来てよかったと思う話が朝から続いた。その中の一つにポール・ブルジーヌさんの話があった。彼の専門は数学とのことだが、哲学の香りがする発表だった。セッションが終わってから興味深いお話を伺った。会話に入ってすぐに感じたのは、この感覚は先日日本で見た映画 「蜂蜜」 の世界ではないかというもの。言葉を発した後にたっぷりとした間があり、ゆっくり考えた後に返事が戻ってきていることを想像させるのだ。

彼の研究室の半分は数学者で、残りの半分は哲学者が占めていて、それぞれが数学と哲学に通じているという。領域を跨ぐ研究の背景は相当に充実しているようであった。認識論や現象学についてお話を伺った後、日本人にとってのフランス文化について聞かれた。ここでも触れているようなことを持ちだし、アメリカ文化よりは日本人に合うのではないか、ということとアメリカ人よりはフランス人の方が日本文化を理解するのではないかの2点を指摘した。わたしの大雑把な答えに対して穏やかな笑顔で同意された後、もの・ことの深い理解には内に向って見るだけではなく、外から離れて見ることが不可欠になると強調されていた。これこそ哲学的な視線であり、フランス文化に特徴的なのだというニュアンスが込められているようにも感じた。もの・ことの見方に関しては、わたしの考えとほぼ完全に重なる。気持ちの良い会話になった。




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mardi 9 août 2011

会のプログラムを読むと、Paul Bourgine さんはフランシスコ・バレーラさんFrancisco Varela, 1946–2001)、今年の5月にセミナーを聞いたばかりの Hugues Bersini さんとともにこの会を20年前に立ち上げた方であることがわかる。昨日のバレーラさんを偲ぶワークショップには息子さんが顔を出していた。

免疫学・哲学セミナーとヴィム・ヴェンダース監督の Pina
(13 mai 2011)


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jeudi 11 août 2011


M. Gabriel Varela


今日のコーヒーブレイクの時、ブルジーヌさんと再びお話をする。この領域は理論化するための実験結果が出てこなければ前に進まないところがある。そんな中、これまで停滞していたが盛り返しつつある領域があるとのこと。それはわたしも興味を持っているところなので、連絡を取り合うことにした。これからに繋がることになればよいのだが、、、。

今日はもう一つ。フランシスコ・バレーラさんの息子さんと言葉を交わす機会に恵まれた。現在はアメリカのメーン州で学生生活を送っているとのこと。今回は父親が深く関わった会のお手伝いをしている。もの静かな、もの思う青年との印象を持った。


dimanche 7 août 2011

予期せぬ贈り物、そして新しい朝



昨日、パリに無事に戻った。空港からアパルトマンに向かう途中、雨が降り出す。ほんの少しだけ湿気を感じるが、日本ほどではない。


出発の全日空カウンターでのこと。係の女性が 「今日は満席ですので、ご迷惑をおかけします」 と話しかけてきたので一瞬どうなるのかと思っていると、「エコノミーからビジネスに移ることにご協力いただけますか?」 との言葉が出て驚く。思わず 「ご協力?」 と聞くと、「中には嫌がるお客さんもいらっしゃいますので」 とのことだったので、「喜んで」 と答える。お蔭さまで快適な飛行となった。そう言えば、今回の日本行きはエコノミーとビジネスの間のクラスだった。これまでにも何度かこういうことがあったが、最高だったのはその昔ニューヨークから日本に戻る時で、一気にファーストクラスに格上げされた。アメリカの会社だったが、「してあげます」 というニュアンスがあったように記憶しているが、当てにはならない。いずれにしても、こういう時は予期せぬ贈り物をいただいたような気持になる。


旅の後、一夜明けるといつも生まれ変わったような気分になる。暗い部屋に差し込む久し振りの朝日が美しい。ひんやりしたこの朝には再び己に向き合う静かな生活が始まるのか、という新鮮さがある。ただ、これからは静の中に動を取り込まなければならない時期に入る。これまでどこかで生れ、そしてどこかに沈澱しているだろう考えを掬い上げ、形にする作業が待っているからだ。体力が持てばどこまでもやるだけの気力は充ちているが、問題はその体力だろう。これまでのように気分に任せて一日を使うのか、あるいは思い切って時間を区切ってしまうのか。試行錯誤が続きそうだ。



samedi 6 août 2011

旅立ちの朝


田中昭 「華ごろも」







撫子


昨夜はレストランで会食、御主人も加わり話し込む。
その時、一度試してみる価値がありそうなアイディアが浮かぶ。
一瞬の出来事であった。
いろいろな方々と考えを交わしてみることの大切さを改めて感じる。






4年前、今日と同じタイトルで記事を書いたことを思い出す。
もう当時の感慨はなくなり、日常の一ページになっている。
今回の滞在も予想を上回るものを齎してくれた。
これから乾燥したパリへ向かう。




vendredi 5 août 2011

考え方の癖、あるいはここにないどこか



今回もいろいろな方とお話をする機会があった。その中でわたしの考え方に一つの癖のようなものがあることに気付く。しかもその根は学生時代、ひょっとするともっと前まで遡ることができるかもしれない。そんな想いとともに目覚める。


先週末、昨年もお世話になったお宅で食事をする機会があった。今回は、学生時代の第二外国語がフランス語で、わたしと同じような時期にダンテをイタリア人と一緒に読み始め、その言葉を物にされた方が加わった。そのためか、話は外国語から日本の状況、医学、科学、哲学、宗教と幅広くひろがり、その種が尽ることはなかった。そしてお宅の主がイタリアに留学されており、イタリア語にも通じていることを初めて知る。

その会話の中で、この場でも取り上げている日本の科学、医学、哲学などの状況についての印象を話し、どのように変わるのがよいのかについても大雑把に触れた。イタリア語の達人はわたしの現状認識にほぼ完全に同意され、随分前向きですねと言われた。その心には、もっと科学的、哲学的な思考をわれわれの中に取り入れることは不可能に近いという皮膚感覚があり、それをやると日本人が日本人でなくなるという大いなる皮肉があった。街に出て人ごみの中に身を置く時、その感覚が現実味を持ってくるから不思議だ。しかし、それでも何かをしなければ、という思いに駆られることもまた事実である。

今回、奥様の話で知ったことだが、お宅の主も仕事を終えた後は違うことに挑戦したいという思いを持っておられるようだ。いずれヨーロッパでお会いする日が来るかもしれないなどという考えを弄んでいた。翌日、専門に関するご著書が送られてきた。これからじっくりと新しい分野を勉強したいものである。




数日前のこと。ある科学者ご夫妻と会食する。いつものことだが、日本の科学、あるいは科学界の現実が話題に上る。ご本人は今その中にいて生きていかなければならないという厳粛な事実があり、現状を分析して如何に有効な方法を採るのかを考えるのは自然なことだろう。科学の世界だからと言って、科学的な考えで動いているわけではなく、あくまでも日本社会の枠の中にあるからである。わたしの方は、おかしな現状にまず目が行き、そこを変えなければ始まらないという考えに陥ってしまうのだ。これは今現場を離れているからそうなったというのではなく、おそらく以前から同じような考え方をしていたように見える。

現実に厳しく向き合うのではなく、どこか夢見がちなところがあるわたしの性向。こうして哲学に入り、さらに遠くからものを見ようとする今の精神状態は、わたしの根の部分と強く結び付いているのかもしれない。出発前日の朝、そんな想いが浮かんでいた。


jeudi 4 août 2011

磯江毅=グスタボ・イソエに科学者の精神を見る



先日、久しぶりに見た昔のお好み番組 NHK の 「日曜美術館」 でこの画家を知る。やっとその気分になったので出掛ける。駅を降りると雨が降り始めたが、パリ生活の影響か全く慌てない。気持ち良く雨に当たる。

館内のお客さんは多くはないが、少なくもない。丁度良い緊張感が保たれる空気の中、スペインで鍛えられたリアリズムの世界に浸る。彼は対象を極限まで見詰め、その本質に迫ろうとしたという。虚心で対象と長い時間を共にした後、一体どのような世界が開けたのだろうか。彼の言う本質とは、物の中にある内なる力、自然の摂理であり、それを引き出すことが彼の人生だった。その結果、物が体現してきた時間までも表現できたという。

対象を見えたまま克明に描いた後、物と空間の中から摂理を見出すという彼の営み。これは科学者が自然を直接あるいはある条件のもとに観察し、その結果の中から規則性や法則性を抽出しようとする営みと完全に重なる。科学を対象とした哲学についてもそのまま当て嵌まる。彼の作品と言葉に触れながら、前段の観察や資料の収集に邪心が入ると本質に至ることはできないことを改めて確認していた。

以前であれば、海外で人生を終えた人にどこか哀れを感じたものだが、今ではそういう感慨は沸いてこなくなっている。場所はどこであれ、その人間の持つ内なる欲求を十全に活かす環境で日常を送り、そして仕事をやり遂げた人生であればどこに哀れを催す理由があるだろうか。




「鰯」 (部分)

(展覧会ホームページより)

磯江毅 (いそえつよし、1954-2007) は大阪に生まれ、大阪市立工芸高等学校を卒業後まもなく単身でスペインに渡り、30年余りの長きにわたる滞西の間に油彩による写実絵画を探求しました。やがてアントニオ・ロペス・ガルシア (1936‐)に代表されるマドリード・リアリズムの俊英画家グスタボ・イソエとして認められ、国内外で高い評価を受けました。

彼のリアリズム表現は、文字通り事物の細部まで深く入り込んで具象的に描ききるだけでなく、現実世界が内包する神秘的なものまで捉えようとしているような精神の深まりを感じさせます。その根底には生死をかかえこむ生きものへの深い洞察と諦観が見て取れるのです。

2005年には広島市立大学芸術学部の教授に就任し、日本での活躍が期待されましたが、2007年惜しくも53歳で急逝。生涯をかけた絵による存在探求の試みは、絵画の高みを示すものとして、死後もなお輝きを発し続けています。

本展は、現代写実絵画に鮮烈な痕跡を残した磯江毅の本格的な回顧展として、磯江の初期から絶作までの代表作約80点を一堂に集め、彼の芸術の軌跡をたどるとともに、その稀有な画業を追想するものです。


mercredi 3 août 2011

フレデリック・バックという芸術家 Frédéric Back, un peintre et réalisateur de film d'animation canadien



電車のポスターで 「木を植えた男」 の展覧会を知る。初めて聞く人だったがなぜか気になった。数日前の散策で彼のアニメもやっていることがわかった。展覧会ではなく、映画を先に観ることにした。

 フレデリック・バックFrédéric Back, né le 8 avril 1924)

画家にしてアニメ作家、モントリオールの地下鉄の駅の壁画も描いているという。フランス出身だが、現在はモントリオール在住の87歳。映画は以下の短編4作品。

 「木を植えた男 L'Homme qui plantait des arbres」 (1987年)
 「大いなる河の流れ Le Fleuve aux grandes eaux」 (1993年)
 「クラック! Crac !」 (1981年)
 「トゥ・リアン Tout rien」 (1978年)

動物、植物、自然が人間に置き換わりそうな視点がある。自然と人間の間の境界が消え、すべてが溶け合うような映像になっている。手作り感が溢れている。「大いなる河の流れ」 ではカナダの歴史が描かれている。英国との戦い、人間の欲がセント・ローレンスなどの自然を蝕み、生命力を奪う。ルネサンスを訴えている。「クラック!」 の最後だっただろうか。展示されている抽象絵画が監視の目を潜って踊り狂うシーンがある。ソヴァージュなエネルギーに溢れる具象の世界を求めているのだろうか。

これらの背景には、筋金入りのエコロジストにして動物の権利を主張する菜食主義者の主張が表れていると想像される。彼はしばしばマルグリット・ユルスナール (Marguerite Yourcenar, 1903-1987) のこの言葉を引用するという。

 "Les animaux sont mes amis et je ne mange pas mes amis".
 「動物は私の友達だ。私は友達を食べはしない」


どんな人なのか、インタビューを見てみた。彼の考え方と人柄が伝わってくる。「クラック!」 の制作中に右目の視力を失ったようだ。










mardi 2 août 2011

映画 「蜂蜜」 で濃密な接触を味わう


今日も昨日から始めた本を読む。

昨夜、古い友人からお勧めの映画の連絡が入り、途中で 「蜂蜜」 というトルコ映画を観る。とにかく不思議な映画だった。映画が終わっても何を言いたいのか掴めないもどかしさが残る映画だった。

始まってまず気付いたのは、単にテンポが遅いだけではなく、刺激と反応の間が凍りついたように長いことである。われわれの生活で見られる条件反射のような会話ではなく、言葉が放たれた後にリフレクションの時間があるように感じられるのだ。音楽はない。自然の音だけである。森に住む鳥の羽音や鳴き声、山道や泥道を行く音、床の軋む音や家の中の日常の音、胃の中に入るまでが目に見えるような牛乳を飲み込む音など、われわれの記憶の中に残る生活の音だ。自然の真っ只中にある生活はすべてが削がれていて美しい。余分なものに溢れているわれわれの生活が作りものに見えてくる。昨日の映画がアーティファクト以外の何物でもなかったように感じられる。

そして、街を歩き始めてある考えが浮かぶ。この映画で描かれている世界は対象との間に入り込むものが何もない生の、絶対的とでも言うべき接触ではないのか。記号などの仲介するものがなくなり、物と物との直接の交わりだけで成り立っていた遺伝子だけが知っている世界ではないのか。大木の分かれた根の間に恰もその木の一部になったかのように身を横たえている主人公のユスフ。最後のこのシーンがそのことを象徴的に表現しているように見えた。


帰り道、後ろからこんな話し声が聞えた。
「わたし途中から退屈で退屈でしょうがなかったわ」





夜、この映画を勧めていただいた方と土用の丑の日を味わう。


lundi 1 août 2011

パリに向かう気分が少しだけ


 「光る波」 北村治禧 (1915 - 2001)


もう8月である。同時に、日本滞在も3週目、最後の週に入った。少しずつ日本との距離感が出てきて、仕事関係の本に向かうことに違和感がなくなっている。今日はその中の一つを読み始める。四半世紀前にその関係者が熱を以って始めたワークショップの記録になる。しかし、その熱は根拠の弱いものだったようで、それ以後、そのシリーズは計画されなかった。今回この本を手に取ったのは、その経過をこの目で見て、眠らせたままでよいのか、別の形で蘇らすことができないのかなど、自ら判断してみようと思ったからだ。


途中、ヨーロッパの景色を味わうため 「アンダルシア 女神の報復」 を観る。外国での日本人の芝居はぎこちなく見えるものだが、昔に比べると格段によくなっている。








dimanche 31 juillet 2011

映画 「かすかな光へ」、あるいは教育とは


北垣憲仁さん(都留文科大学准教授)と森康行監督


「93歳の教育研究者、大田堯の挑戦」 をテーマにしたドキュメンタリー映画、「かすかな光へ」 を観る。大田堯さんは東京大学で教育学を教えた後、都留文科大学の学長を務め、現在は講演や執筆、小さなグループでの対話などに精力的に取り組んでいる。この映画では、大きく言えば人を教育するとはどういうことなのか、その理解に大切になる基本的人権をどう捉えるべきなのか、などの問題についてわかりやすい言葉で語る大田さんの姿が紹介されている。

基本的人権を何ものにも先んじて生まれながらにして有する権利とするならば、その定義にある生命と密接に関連するものではないかと大田さんは考える。つまり、生命の特徴を考えることにより、人権の姿がより鮮明に表れてくるのではないかと考えを進める。そして、こう結論する。生命とは一つひとつが違うこと、自らが変わる能力を持っていること、そして他と関わることなくしてその維持が不可能であること。人権を尊重するとは、これらの事実を確認し、その背後にある過程をサポートしようとすることではないかと考える。

それから、言葉や記号を介する接触ではなく、物理的なものとの直接の接触が大切であるとの指摘もされていた。そこでは人間の感性がものを言う。その感性を磨くためにはそれぞれの専門を出て、生身の全人間に戻らなければならないだろう。言葉としては分かっているようにも思う。しかし、本当に理解するとは、自らが変わることでなければならないはずだ。大田さんは言う。大きなことをやろうとするのではなく、自分のできる身近なことから始めるしかない。

この映画に興味を持ったのは、大田さんの教育に対する姿勢とその活動にひとつの道を見たように感じたためではないだろうか。すべては教育に帰結すると考えるようになっている身にとっては、ごく自然な反応になる。人を作る、ある型に嵌めるという視点ではなく、人が自らを観察し、自らが変わるために必要になるものを探る営み。それはそれぞれの生命を十全に燃やすことに繋がるはずのものでもある。

映画終了後、監督の森康行さんと映画にも出ていた都留文科大学の北垣憲仁さんによるフィールドミュージアムについての対談があった。






夜、テレビをつけると放送大学に学ぶ学生さんが何人か出ていた。これまでに感じたことのないほど親近感を覚える。人間は学び続け、変わり続けなければならないのだろう。その生を全うするためには。

samedi 30 juillet 2011

辻邦生を読む



今回の日本滞在では辻邦生の文章に触れ、昔の印象と比べてみたいと思っていた。本棚を見ると 「西行花伝」 などの歴史物しかなかったので、現代を語っている作品を探すことにした。普通の本屋さんで辻の本を見つけるのは難しいことがわかる。仕方なく古本屋に向かう。そこでもなかなか見つからない。駄目かと思ったその時、小さな折りたたみ式の椅子が置かれているところがあり、それを避けてみると彼の作品群が現れた。その中から 「時の終わりへの旅」 を手に入れる。


昨日の朝は雨模様。近くのカフェまで出掛け、彼の日記を読み始める。お昼にいったん戻り、午後再び出る。久し振りにシガーをやりたくなり、適当な店を探すがなかなか見つからない。これも諦めかけたその時に、道に出た席のあるコーヒーショップが目に入る。それにしても、東京の街のこんなところでわざわざシガーをやろうなどというのは、別世界から来た人間だけだろう。異星人の気分でいた。2時間ほど、道行く車を眺めながら表題のエッセイを読み終える。道行く人も眺めたが、なぜか楽しそうには見えない。以前にも感じたことだが、まだ街を勝ち取っておらず、人間が街から疎外されているように見えるのだ。


ところで、以前に指摘された辻の文体との類似だが、自分ではなかなかわからない。ただ、記憶に残っている表現の回りくどさやそこからくる眠気を誘う退屈さは今回は感じなかった。それどころか、ものの感じ方や見方に通じるものがあるのではないかとさえ思えた。例えば、彼はこんなふうに詩が生れる人生をよきものと考えていることが見えてくる。

「もしよしあしを言う価値基準があると、それだけでこの絶対的な跪拝の原点をこわすことになり、<詩>は生れてこない。あらゆる人がそのままで<深い人生>を現わしているとする絶対肯定の、シェイクスピア的静けさ、générosité こそが、つきない<詩>をつくる。この自己放棄と評価的規準の放棄---絶対肯定・足もとへの感動的跪拝が<詩の源泉>となる。・・・

・・・<すべての人生の姿>を<よきこと>として---<乞食>や<浮浪者>や<ヒッピー>や<悪党>の深い礼賛者として---決して新聞的教育者的道徳教にしたがうのではなく、<すべてをよし>とする<無>となることによって---<この世>を両手で<なんていい奴なんだ、お前は>と叫びながら douceur を感じつつ抱きしめるのである。
 ぼくらを縛りつけ<詩>から遠ざけたのは、この評価的な対象化する態度でなかったろうか。すべてがよく、すべてが美しく重く面白いのだとする態度を、どこか放埓な無責任なものと考える考え方が、ぼくらから<詩>を奪っていたのではないだろうか。
 その理由はおそらく教育的な要素や立身出世型、追いつき追いこせ型の生き方・考え方が社会に充満し、ぼくらもそれに染まっていて、<遊び>を遠ざけていたことに関係があるであろう」

今が目的で常に完了し、完全なエネルゲイアと今は目的に至る過程であり、常に未完成なキーネーシスの対比を身に沁みて理解し、エネルゲイア的生を生きたいと昨年考えた。このエネルゲイア的生と<詩>が生れる生は地下で繋がっているのではないだろうか。

永遠を視野にエネルゲイアを取り戻す (II) (2010-01-02)






vendredi 29 juillet 2011

街に出て、大杉栄に出会う



今年の夏は去年より涼しいのがよい。
しかし、湿気は人間の集中力を削ぐ。
春の花粉症で3ヵ月、夏の湿気で2ヵ月、活動が著しく低下する。
日本にいた時の半分はお休みしていたことに気付く。

昨日はひと仕事が終わり、詩の世界に入りたい気分とともに街に出る。
本屋さんに入るも、手に入れたいと思うものが見つからず。
哲学のセクションに向かうが、こちらも同じだ。
結局、通りがかりに手に取った大杉栄1885-1923) の言葉が自然に入ってきた。
「僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。・・・
僕が一番好きなのは、人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにまた動機にも自由あれ」
その横に 「日本脱出記」 なるものもあり、一緒に手に入れる。
大杉が仏文出身だとは知らなかった。
フランスでの観察がかなりの部分を占めている。
下戸だった大杉はフランスの牢獄で酒 (ワイン) を覚えたようだ。

サンジカリズム(労働組合主義)
ル・リベルテール(自由人)
カルト・ディダンティテ(身分証明書)
パスポオル(旅券)
セエサ(そうです)
スウヴニル(思い出)
トレ・コンフォルタブル(極上)
などの表記を見ると、なぜか懐かしい気分が押し寄せる。
当時の彼らの言葉や行為には、どこか物悲しくなるほどの熱が溢れている。



jeudi 28 juillet 2011

セミナーの後、日本が抱える問題の根を語る



昨日は東京医科歯科大学でセミナーがあった。最後の最後で話題のひとつをカットするなど、いつものように準備不足は否定し難い。始まる前、コンソーシウムの主催者である鍔田氏は、科学と哲学をテーマにするのは初めてなので参加者は少ないかもしれないと懸念されていたが、予想を超える参加があったようだ。お話によると、6割が学生さん、3割が教員で、残りは外からの方ではないかとのこと。全体の雰囲気は2月の関西に比べて静かな印象があった。終わった後、会場のセットアップをしていただいた若手研究者に印象を聞いてみたところ、研究生活に追われ研究を取り巻く問題にまで考えが及んでいないので話に付いて行くのが大変だったという。話の内容を基礎的、一般的なところに留めるようにしたつもりだが、内容をさらに噛み砕く必要があるのかもしれない。

会の後、鍔田氏と科学のあり方について幅広く語り合う。日本の科学に確実に欠けているのは、ここで何度も触れている科学を支えている背景や精神面の理解ではないか、という点では一致した。それは歴史であり、文学であり、哲学に因らなければならない領域で、突き詰めると内的瞑想生活を持っているかどうかの問題になる。話題にした科学を他の人間の営みに置き換えても日本の現状にそのまま当て嵌まるような気がしている。この状況を変えるためには、若い時からの (専門に入る前の) 教育に掛ってくることでも意見の一致をみた。まずそのことを理解する人が増え、その方向に舵を切る必要があるのだが、未だその気配は見られない。長い長い道のりが待っている。






lundi 25 juillet 2011

昔の研究仲間との語らい


本郷利憲、中田裕康、嶋津浩、岩崎辰夫、渡邊正孝の各先生


今夜はパリに向かう前に勤めていた研究所の皆さまとの会食があった。元所長、先輩、そして同期の方など、要するにお世話になりっぱなしだった方々との語らいになる。いつものように豊饒なる時間をたっぷりと味わい愉しむ。

今回は欧米と日本の科学や科学者のベースの違いなどが話題になった。わたしは意識的に西欧の立場を強調し、日本に欠けていると思われることをいくつか指摘した。大きなところでは、ここで何度か触れている科学精神や哲学的姿勢の乏しさを取り上げた。認識としては同意も得られたが、日本の状況を根本的に変えることに時間を要するとすれば、その是正のためには日本に合うようなやり方を工夫する必要があるのではないかとの声も聞こえた。

今やこの会は年に一度の恒例行事になった感がある。来年はどのようなことになっているのか予想もできないが、日本に帰る機会があればまたお会いして御意見を伺いたいものである。