前記事で、二つの世界の間を移動していたことに気付いたと書いた
その世界とは、プラトンとアリストテレスが体現したもの
前者が理想の世界に向かうのに対して、後者はそれだけではなく現実に向き合おうする
ラファエロの描いた『アテナイの学堂』の中央に、このお二人が描かれている
プラトンは人差し指を天に向け、アリストテレスは掌を地上に向けている
ラファエロがお二人の思考・志向をそう解釈したのだろう
いずれにせよ、科学の世界にいる時には、プラトン的な世界が頭の中に広がっていた
しかし、こちらに来てアリストテレス的な視線が前面に出てきたという観察であった
今日、改めてこの対比を考えていると、次のような何とも皮肉な姿が見えてきた
科学者だった時には哲学的な頭を持ち、哲学に入って科学者の視線を取り戻したのではないか
勿論、プラトンとアリストテレスをこのように単純に分けることには問題があるだろう
ただ、アリストテレスは地上の具体的な「もの・こと」に思索が向かっている
彼を科学者の原点にあると見做す人がいることも事実である
そうだとすれば、科学と哲学においてわたしの精神が襷掛けのような状態になっていたことになる
大雑把だが、そう見えてくる
ただ、わたし自身はその状態を妙に納得している
序でだが、ラファエロの絵の右下にいるのは第1回PAWLで取り上げたディオゲネスである
つい最近、彼の現代における住処を発見したところでもあった
妙な繋がりが見えてきた年の瀬である
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