samedi 8 décembre 2012

ヘンリー・ミラー・メモリアル・バー 「北回帰線」 のホキ徳田さん


今回の仕事が終わったせいか、気分が久し振りに解放された快晴の週末

その書を求めて街を彷徨う

3軒目の紀伊国屋新宿南店で原書と翻訳を見つける

英語は読む気分ではなく、せっかく日本にいるので新潮文庫を手に入れる

早速、店の前のベンチに座り、強い風を受けながら読み始める

時々頭を上げると、空がどこまでも青い

そして、この言葉に出会った

「もしこの書のうちに、生気をうしなった人々のまどろみを醒ます震駭的な打撃力が示されているとするならば、われわれは、われわれみずからを祝福しようではないか。なぜなら、われわれの世界の悲劇とは、まさしくこの世界の惰眠を呼びさますことのできる何ものももはや存在しないことにあるからだ。そこには、もはや激越な夢想がない。精神をさわやかにするものがない。目ざめがない。自意識によって生じた麻酔のなかで、人生は、芸術は、われわれの手からすり抜けて、いまや姿をかくそうとしている」 (アナイス・ニン

「この書」 とは、ヘンリー・ミラーさんHenry Miller, 1891-1980)の 『北回帰線Tropic of Cancer

夜のために、その世界を覗いてみようという珍しい心持であった

このようなタイミングが読む気にさせたことは間違いない

解放感が論理を超えた広がりを求めたのだろう


まどろみを破る力のある文学があるとすれば、同じ力を持つ哲学があってもおかしくない

惰眠に陥りがちな見方に横からゆさぶりをかけることもその中に入るだろう

 わたしの願いもそのあたりにあるのではないか

そう努めることにより、自らをも目覚めさせるという魂胆が見え隠れする

最後に 「こと」 を決めるのは、この世界をどう見るのかに掛かっている

そういう感触がどこかにあるからだろう


夜、帰国の度に東京案内をしていただいている方からホキ徳田さん (1937-) の 「北回帰線」 にお誘いを受けていたのである

ウィキによると、ホキ徳田さんは46歳年上のヘンリー・ミラーさんと結婚

しかし3年後に別居、1978年には離婚されている

徳田さん41歳、ミラーさん87歳の時である


お店の始まりは8時半であったが、その時の雰囲気で変わるような印象を持った

演奏は基本的にリクエストに答える形であった

そんなことなら考えて行くべきだったと思ったが、後の祭り

演奏もゆったりとして、ひけらかしや気負いが全くない

包み込むような歌声であった

これまでの人生が自然に滲み出すのだろう

久し振りの英語の世界でもあった

わたしは堪能した


演奏の合間には個人的な経験を直接語りかけてこられる

随分とざっくばらんな語りであった

ご両親はホキさんに世界に目を開いた人間になることを願っていたようである

ホキさんにとって山手線の内側がすべてで、その外側は「田舎」との世界観をお持ちのようであった

「随分と薹が立った学生ですね」 との的確なご指摘をいただいた

ご自身は、心ときめくことがなくなったのがお悩みとのこと

最初は貸切状態だったので、贅沢なもてなしを受けたような気分になった


その中で、ミラーさんが "cosmic eye" を大切にしていたという話が出る

この地球を宇宙の目で見るということらしい

この視点はわたしも大事にしたいと思っているもので、興味深く聞いた


もしこのタイミングでこの店にお誘いを受けていなければ、冒頭の言葉に出会うことはなかっただろう

もう3年半も前になる

エルサレム訪問の折、旧市街西壁の前に立ち、浮かんできた言葉を書いた紙切れを隙間に投げ入れた
その紙切れには、わたしの願いが書かれていたはずである

もしニンさんの言葉に触れることがなければ、願いの輪郭を思い出すこともなかったかもしれない

このような機会を与えていただいたことに改めて感謝したい


ところで、ホキ徳田さんはご自身のラジオ番組 「ホキ徳田のYummy Music」 をお持ちとのこと

以前は夕方やっていたらしいが、今は土曜のミッドナイトから始まるという

何とあと5分である

これから聴くことにしたい


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徳田さんの語り、想像以上に軽快であった

これからパリでも聴いてみたい番組になりそうである



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