samedi 30 juin 2012

この限られた時間で何をやるのか


ミニュイを迎えようとしている
今年もあっという間に半分が終わることになる
中庭からは賑やかな話し声や音楽と歌声が聞こえてくる

今日はそろそろまとめなければならないエッセイについて考えていた
大雑把な流れを決めるところで終わった
外に出たり、バルコンに出たりと忙しい
精神的な縛りだけはかかっているが、フーヴァー大統領のように部屋に籠もることはできそうにない

途中、Kazuo Ishiguro さん (1954-) のインタビューを観る
彼のテーマは人間は死ぬ存在であるということ
限られた時間しか生きていることができないという認識が底にある
哲学への入り口になる認識でもある 

小説家のピークは20代から30代
自己満足に陥るなかれ
残っている時間は思っているより短い
その時間で一体何をやるのか
わたしがこの道に入る時に浮かび上がってきたものと共通する問だ
何とも遅い気付きではあったのだが、、、







vendredi 29 juin 2012

昨日から今日にかけて

Aladin (2010)


昨日は午後からビブリオテークへ
帰りに漫画家ジョルジュ・ウォリンスキーさん (Georges Wolinski, 1934-) の展覧会を覗く
画業50周年を記念したもの
Wolinski, 50 ans de dessins

セックスを人間に付随するものとして、ごく自然に、時にユーモアをもって描いているものが目に付いた
どこか笑い飛ばすようなところがある
困ったものだと見ているところもある
人間である
一筋縄でいくものでもなし


昨夜はNHKのETV特集を観る
ひとつは2年前の夏に放映された 「埋もれた声 ~大逆事件から100年~
しばらくすると、日本に帰った時に観た記憶が蘇ってきた
まさしく不条理の世界である
そして、何もなかったように世の中は流れている
冤罪はこれからも起こるでしょう、という遺族の言葉で終わっていた

不条理をなくすることはできるのか
人間のやることである
難しいのかもしれない
もしそうだとしたら、
振り返り、考え、立ち止まる以外にそこから逃れる方法はないのではないか
しかし、それがいかに難しいことか


もう一つは 昨年3月放送の番組
 聾唖者である井上さんが父親から与えられたカメラで戦前から撮っていた町の姿が顔を出す
懐かしい景色が現れ、それが現在と重なる
なぜ、過去に埋もれた景色がこうも胸に迫るのだろうか


アラーキーがその昔言っていた
「懐かしさを感じない写真は駄目だね」
井上さんの写真は確かに懐かしさを感じる
懐かしさとは一体何なのだろうか



今朝は、曇りかと思えば雨が降り、また晴れたかと思えば曇るというパリらしい天気
昨日よりは一段と凌ぎやすい
午後、予期せぬメールが日本から2つ届いた

お一方はもう40年振りになるのではないだろうか
率直な気持ちが綴られた画面を眺めながら、懐かしさと流れてしまった時を感じる
その中に、パリでの遊行期?を羨むとの言葉もあった
学生生活もなかなか大変なのだが、、
ご本人はこれから遊行期に入られるようだ、


もうお一方は現在も研究をされている方
ニューヨークでもいろいろ教えていただいた
お忙しいのだろう
忘れた頃に便りが届く
わたしのエッセイも読んでいただいているようだが、現役の研究者にどれだけ入っていくだろうか
 更なるご活躍を期待したい

今日のラジオは、この23日に亡くなったブリジット・エンゲラーさんBrigitte Engerer, 1952-2012)一色である
今はムソルグスキー・ラヴェルの 「展覧会の絵」 が流れている

 





jeudi 28 juin 2012

歴史家としてのハーバート・フーヴァー大統領


とにかく、暑い
連日30℃を超えているのではないだろうか
だるくなり、眠くなり、やる気がなくなる
こういう時は、受け身に限る
ということで、今朝はこのビデオを眺める

アメリカの第31代大統領ハーバート・フーヴァーさん (Herbert Hoover, 1874-1964)
その政治人生と著作について語られている
話をされているのはジョージ・ナッシュ(George H. Nash, 1945-) という歴史家
最近、フーヴァーさんの最後のメモワールを編集して出版された方になる
「裏切られた自由」
この仕事はフーヴァーさんの人生を賭けて成し遂げた最大の傑作だとご本人も考えていた

Freedom Betrayed:
Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath
Editor: George H. Nash
(Hoover Institution Press, 2011)

再選を目指した選挙でフランクリン・ルーズベルトさん(FDR, 1882-1945)に大差で敗れ、1933年に大統領を辞する
1940年には再度の大統領を目指したようだが成らず、その後も大きな仕事に就くことにはならなかった
それからは歴史家としてメモワールを書き始める

50年代に最初のメモワールを出版
最後はニューヨークのウォルドーフ・タワーズの31A室に住み、執筆に明け暮れた
紹介されている80歳代の日課は、こんな具合だ
毎朝5時半に起き、午後6時まで食事の時間以外は書き続けたという
夜10時に寝たかと思うと、午前2時には起きスープを飲み、1時間ほど手紙などをしたためる

そして、最後の傑作の出版を残して 90歳で亡くなっている
だが、85歳からの5年間で7冊の本を出しているという
最後まで失われなかった明晰さと大変なスタミナの証だろう
100歳で亡くなった生物学のエルンスト・マイヤーさん(Ernst Mayr, 1904–2005)を思い出させる

 エルンスト・マイヤー ERNST MAYR (2007-04-27)


この本は何度も書き直され、あとは事実の確認を助手に頼むだけになっていたという
その後、フーヴァー財団に保管され、半世紀の間眠っていたことになる
偉大な政治家の辛辣な言葉が早い時期に公表される影響が大きいと判断した結果のようである

フーヴァーさんの考えはルーズベルトさんとは随分と違った
不倶戴天の敵と言ってもよいだろう
それまでと大きく異なる外交政策を国民の同意なしに進めることに異議を唱える
それは違憲であり、危険であり、詐欺まがいのやり方だと考えたからである
この本の巻末にも収められているというフーヴァーさんが指摘するルーズベルトの19の重大な誤り

日本に関係したところでは、以下の3つがある
近衛文麿首相(1891-1945)から出された戦争回避の会談要請を拒否したこと
最後には全面禁輸にして日本を追い詰めたこと
そして、原爆投下を決断した非人間性

戦争だけは避けたいと思っていたフーヴァーさんは禁輸政策に反対する
普通の国であれば窮鼠猫を噛む状態になるだろうと考えたからである
そして、事実そうなった
ルーズベルトは戦争を求めていた、とまで書いているという

わたしの中では未だ闇の中にある日本を巻き込んだ近・現代史
見る角度によりガラッと様相が変わってきそうで、興味深い
 いつの日か、この領域にも踏み込んでみたいものである




このビデオを観ながら思い出したことがある
フーヴァー大統領の生家は、アイオワ州アイオワシティの郊外にある
もう15-6年前になるだろうか
共同研究で訪れたアイオワ大学のギャリー・コレツキーさんに生家の前まで案内していただいたことがある
本当に質素な家であった
日本ではあまりポピュラーではない大統領だったので、当時はほとんど興味を示すことはなかった
しかし、こんな形で蘇ってこようとは
この道行きはなかなか面白い

大統領の生家の他、資料館、墓などもあり、公園になっているようだ
案内はこちらから





mercredi 27 juin 2012

ジョエル・ピーター・ウィトキンという写真家


Daphne and Apollo, Los Angeles (1990)
Joel-Peter Witkin (NYC 1939-)


暑い一日だった
朝は近くのカフェで
午後からは研究所へ
メトロでは黙っているだけで汗が噴き出してきた
そのためだろうか、パリでは珍しい湿気を感じる日になった
 終わってから久しぶりのカルチエに出て、ビールを口にしながら新しい本を読む
そこからしばらく歩き、汗をかいてから帰ってきた


最近撮った写真の中に、アメリカの写真家ジョエル・ピーター・ウィトキンさんの展覧会案内が写っていた

「天国か地獄か」
7月1日まで

多彩な作品を創っているが、その底に流れるテーマは性と聖だという
好みが分かれそうな作品が多い 

"All myths are lies that speak the truth of their times."
「すべての神話はその時代の真実を語った嘘である」




mardi 26 juin 2012

La problématique という言葉、あるいは問をどう出すかの科学


言葉の意味を知らないで、見栄えや聞こえがよいから使っていることが少なくない
深い意味も調べずに
そのひとつに la problématique があった

それまで、ものごとの問題点というような意味合いで何気なく使っていた
これから扱うテーマをこの言葉の下に並べるのである
ところが、それはこの言葉の意味とは違うのである
そのことがわかった時は、目の前が開ける思いがした

言葉の定義によると、問を如何に形作っていくのかに関する技術、あるいは科学とある
つまり、問をどのように扱い、理解しようとしているのかというところまで踏み込むことを意味している
問やテーマの正当性を論じることではなく、その問に向かう戦略が絡んでくる
一つのテーマを分解し、出てきた個別の問を独自の視点で論理的に結びつけることが求められる
一見わかっているように思われていることに、それまでとは違う形を与えて検討すること

その営み la problématisation は、どのような対象を相手にする時にも不可欠な第一歩になりそうである
決まりきったものの見方を廃し、新たな視点から問を出し直すこと
その過程に調査や解析が必要なのはもちろんだが、それに加えてリフレクションの時間が欠かせない
この精神運動が意識的に行われないところには、閉塞や沈滞が付き纏うように見える





lundi 25 juin 2012

ベレゾフスキーさんで思い出したこと

Gelbgrün / Jaune-vert (1982)
Gerhard Richter (1932-)


一夜明け、ベレゾフスキーさんとの出会いを思い出した
2006年5月、東京で開かれた 「熱狂の日」 音楽祭でのこと
詳細は以下の記事にある

「熱狂の日」音楽祭での出会い RENCONTRES A LA FOLLE JOURNEE (2006-05-04)

 この話には続きがあった
それからしばらくして、音楽祭でお会いした本拠地ナントのフィリップさんから贈り物が届いた
それがベレゾフスキーさんによるラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番と第3番だったのである
予想もしなかったフィリップさんの心遣いを感じ、気持ちが和んだことを思い出す

 ナントからの贈り物 UN CADEAU D'UN NANTAIS (2006-06-10)





dimanche 24 juin 2012

ピアニストのブリジット・エンゲラーさん、亡くなる

Kerze / Bougie (1982)


フランスのピアニスト、ブリジット・エンゲラーさん(Brigitte Engerer, 1952-2012.6.23)が亡くなったことを知る
享年59
オランド大統領も弔意を表すメッセージを発表したという

エンゲラーさんは、つい最近まで知らなかった方になる
ラジオで人懐っこい話声を何度か聞き、印象に残っていた
その時は、なぜか昔聴いていたイングリット・ヘブラーさん(Ingrid Haebler, 1929-)の名前と重なったような記憶がある

新聞によっては、数年に亘り癌と闘っていたと報じているものもあるが、詳細はわからない
 最後のコンサートになった6月12日の会場は、シャンゼリゼ劇場
50年前に最初のコンサートを行った場所に戻ってきたことになる
一方の手で杖をつき、もう一方を指揮者に支えられて登場
自分の手で足を持ち上げながらペダルに乗せ、演奏を始めたという

ロシアの音楽院で教育を受けたためか、「ロシアの魂」 を持つピアニストと言われたエンゲラーさん
ソロやコンチェルトだけではなく、室内楽をこよなく愛したようだ
ロシア出身のボリス・ベレゾフスキーさん(Boris Berezovsky, 1969-)とのデュオを聴きながら、彼女を偲んでみたい















芸術の見えない効果か、そしてゲルハルト・リヒターさんの言葉


昨日の展覧会の影響なのだろうか
今朝はひとつのイメージから始まるぼんやりとした纏まりとともに目覚める
すぐにその塊を解きほぐしながら書き留める
書くことが解きほぐすことと言ってもよいだろう
秋の学会に向けての糸口にもなりそうなものがそこから現れた

それは自分の中から出たように見えるが、一つひとつの構成要素の出所がわかるようなものである
これまでの体験、汲み取った考えなどが絡みついて出来上がっている塊を解きほぐすと見えてくる姿だろう
こういうことが起こるのは、昨日体感じ取ったものがどこかを刺激したためなのだろうか
会場で見た映像、風景、聞きなれない外国の言葉、その後に読んだものなどが
これこそ、その時には気付かない芸術の見えない効果ではないのか
そう思いたくなる出来事であった

今朝はそのゲルハルト・リヒターさんの言葉をほんの少しだけ味わうことにした

 
「私はどのような意図にも、どのようなシステムにも、どのような風潮にも従わない。私には計画も、様式も、主張もない。私は不確実さや無限、そして絶えることのない不安を愛するのだ」  ゲルハルト・リヒター

« J'aime ce qui n'a aucun style : les dictionnaires, les photos, la nature, moi et mes tableaux..Car le style est violence et je ne suis pas violent. »
「私は様式の全くないものを愛する。それは辞書であり、写真であり、自然であり、わたしであり、わたしの絵画である。なぜなら様式は暴力であり、わたしは暴力的ではないからだ」

 « Je me suis engagé à penser et à agir sans le soutien d'aucune idéologie. Il n'y a rien qui puisse m'aider, aucune idée que je puisse servir ou, qui, en échange, puisse me suggérer ce que j'ai à faire. Aucun règlement ne détermine le comment, aucune croyance ne m'indque la voie, aucune vision d'avenir, aucune construction ne donne un sens supérieur. »
「わたしはいかなるイデオロギーの支えも持たずに考え、行動することを誓った。私を助けることができるものは何もなく、わたしが仕えることのできる、あるいは逆に私がすべきことを教えることのできるいかなる考えも存在しない。いかなる規則もどのようにやるのかを決めず、いかなる信念もわたしに道を示すことはなく、いかなる将来の展望も、いかなる構築も高度な意味を与えてはくれないのである」

 Abstraktes Bild / Penture abstraite (1999)
Gerhard Richter (1932-)






samedi 23 juin 2012

ゲルハルト・リヒター展を観る

Betty (part), 1977
Gerhard Richter (1932-)


旧東ドイツ、ドレスデン生まれの芸術家ゲルハルト・リヒターさんの展覧会を観るためにポンピドゥー・センター
雑誌の広告で展覧会を知った
ポンピドゥー・センター界隈は久しぶりだ
観光地に出てきたような気分になる


 今日の会場は、数点を除いてフラッシュなしの撮影可
モンマルトルから広がるパリの町を眺めながら、大きな抽象画を味わう
写真が出発点にあるようで、写真を加工したような作品が少なくない
家族の姿の他に、生々しい映像も含まれていた

撮影禁止の中に、雲の三部作があった
私が普段見ているような雲である
ぼんやりと映し出された田舎の景色も自分の中にある映像のように感じ、なかなかよかった
  1時間ほど、リヒターさんの抽象と具象の世界に遊んだ

会場を出た後のブティックでも同じくらいの時間が流れていた
普段は見ない領域のものが並べられているので新鮮に感じたのだろう
雑誌の特集とリヒターさんの言葉を集めたものを手に入れる

以下に案内のビデオと作品をほんの少しだけ



 Wald (3) / Forêt (3)  (1990)


Betty (1988)


S. mit Kind / S. avec enfant (1995)


Stadtbild Paris / Paysage urbain Paris (1968)


Strip (2011)


Chinon (1987)


Waldhaus / Maison dans la forêt (2004)






vendredi 22 juin 2012

元老院図書館の大理石像: 哲学、科学、叙事詩、歴史

La Philosophie


La Science
Antoine Desboeufs (1793-1862)


La Poésie épique


L'Histoire
Antoine Desboeufs (1793-1862)


一昨日訪れた元老院のビブリオテーク
そこに置かれていた4つの大理石像
いずれも女性になる哲学、科学、叙事詩、歴史

彼女たちとはいつでも気軽にお付き合いできるような精神状態でいたい
改めてそんな思いが湧いてきた早い朝


***************     ***************

昨日の午後、カフェでの時間を終え、これから歩き始めようとした丁度その時
物凄い雨が始まり、しばらくすると雹が落ちてきた
すぐに通り過ぎるだろうと思いながら、その姿を眺める
予想通り、2-30分で収まってくれた

夜、帰る時には完全に晴れていた
街角ではバンドが音楽を奏でていた
Fête de la Musique が始まったようだ
いよいよ夏到来である




jeudi 21 juin 2012

思いもかけない元老院訪問

M. Yves Daudigny (Sénateur de l'Aisne), Mme. Eliane Daudigny, et une collaboratrice de M. Daudigny


昨日は次第に晴れ上がってくれた
1ヶ月前、カルチエ・ラタンで不思議なデジュネをしたことについては触れた


その直後、隣り合わせたエリアンヌさん (上の写真中央) から Sénat元老院) を案内したいとのメールをいただいた
その理由がよくわからなかったのは、デジュネでお伺いしたご主人 (写真左) の仕事をわたしが誤解していたからだ
エーヌ県の議員ということで県議会議員だと決めてかかっていたが、エーヌ県を代表する元老院議員だったのである
わたしのオランダ旅行もフォローしていただいていたようで、先日連絡が入り、昨日がその日となった
午後から 15 rue de Vaugirard にあるセナへ向かう


その庭に当たるリュクサンブール公園やセナの正面には何度も行っているが、その中に入るのは初めて
エリアンヌさんと入口で待ち合わせてから入った
そのためか、警備の方も柔らかい対応であった
また、中のいろいろな方にも歓迎の意をもって接していただいた
 
嬉しいことにビブリオテークにも入ることができた
中央のホールを囲むように4つの像が置かれていた
それぞれ La Science、La Poésie épique、La Philosophie、L'Histoire のタイトルが付いていた
この4つと等距離を保ちながら歩むことができれば最高なのだろう、、、が
受付のカウンターにはこの方の胸像があった

Anatole France
(1844-1924, Prix Nobel en 1921)


 ここは会議室と名付けられていたように記憶している
ここで発表やインタビューなどが行われるという
天井も高く奥行きのある気持ちの良い空間であった


 

丁度中央に当たる窓側にナポレオンが座っていたという玉座が置かれていた
当時は反対側に置かれて、この部屋で元老院会議をしていたという
人数が増えるに伴い、今の場所に移動し、さらに増築されたようだ


時間があるとのことで、会議で不在のイヴさんのオフィスにも案内していただいた
家具の選択や空間の取り方なども含め、全体の雰囲気がよいのだ
アーティスティックとでも言えばよいのか、セクシーとでも表現すべきなのか

もう一人の男性スタッフの部屋をドア越しに撮影させていただいた
どうということもないようだが、何かが違うように見えるから不思議だ
おそらく、彼らが見ているこの世界はわれわれとは違うのではないだろうか

  後ろに見える滑車とワイヤーはメッセージを上下でやり取りするためのものだった


お話の中で印象に残ったことを一つだけ
日本の国会では大臣や官僚が座る席が雛壇とか言って上に控えている 
一方のセナでは大臣席は議員の側の一番下にあり、そこに降りていけば話ができるような構造になっているという

矢印はイヴさん

下から上に向かって訴えかける
日常の感覚で議論するような場になっているようでもある
形のなかに精神が現れているのか
国会改革はまさしくその構造改革から始めなければ駄目なのかもしれない


最後にエリアンヌさんからお心遣いをいただき、感激
その中には、フランスとセナの歴史資料やDVD、地元の交響楽団のCDなどが入っていた
エリアンヌさんには改めて感謝したい

これからフランスの近代史を勉強しなければならないのは辛いところではある
だが、少しだけフランスが身近に感じられるようになったセナ訪問であった





mercredi 20 juin 2012

新しい正確な言葉で世界を発見する



ETV 特集 「不滅のプロジェクト」 という番組を観る
核燃料サイクルの計画に関わった役人、電力会社の人、研究者の証言を軸として番組が組み立てられていた
まず感じたのは、会議の中で使われる日本語が曖昧なことである
対象や自らの考えを言語化する過程に厳密さがないのである
したがって、そこにある現実や問題が論理性や広がりをもって見えてこないのである
その人に見えている世界が限定された曖昧なものでしかないことを反映しているように見えたのである
自らを振り返っても、そのような文化の中で生きていたような気がしているのでわかるところもあるのだが、、
 
わたしが言葉の問題だという場合、言葉からイメージされるものの広がり、鮮明さ、深さを意味している
論理的に時間をかけて考えた結果を正確に再現している言葉とは感じないのである
問題の本質を抉るような言葉に乏しいのである
われわれには本質に迫ろうとする意欲がないのだろうか
われわれは母国語を操る能力が劣っているのだろうか

言葉によって初めて存在が、すなわち世界が現れるという立場がある
この立場を採れば、われわれの見ている世界は限られた曖昧なものでしかないことになる
ある意味では、自らに目隠しをしていることになる
われわれの見ている世界と別の言語能力を持つ民族が見ている世界とは違うことを意味している

これからは、言葉によってこの世界を発見し直す必要があるのではないか
この世界を当たり前のものとしてではなく、真っ新な心持で記述し直す必要があるのではないか
そんな心持で言葉を探し、並べ替え、必要とあれば創り、磨かなければならないのではないか

このような瞑想の時間があった薄曇りの朝





mardi 19 juin 2012

魂を揺さぶる音楽とは



日本の歌謡曲を聴いてみる
懐かしい曲で、気分が高揚してくる
しばらくすると、それはわたしの内部の表層を刺激しているに過ぎないと感じるようになる
その内部を精神と呼ぶか、魂、あるいは心と呼ぶのかはわからない
ただ、湧いてくる感情が単純で明快で浅いのである

ジャズとかクラシックの場合、湧き起こる感情が形容しようのない複雑なものであることが多い
内部に蓄積した過去から現在に至る記憶の藪の中に引き込まれることもある
より深いところから感情が湧いてくるように見えるのである

魂を揺さぶる、という表現が存在する意味が少しだけわかりかけているのか
いずれそのような音楽に出会ってみたいものである
ただ、すでに相当の音楽を聴いているはずである
そのような時が来るとすれば、それは音楽というよりは受け手の状況が変わっている時なのかもしれない

そんなことを初めて意識したある日の夜




lundi 18 juin 2012

「エポケー」、あるいは5年ぶりの 「先送り」 再再々考



今日のビブリオテーク
古代ギリシャの懐疑派が用いたエポケーという方法が出てきた
フランス語では Épochè、英語では Epoché となるようだ
元々は 「止める、中断する」 ことを指しているが、哲学の領域では 「判断の保留」 を意味する
 この言葉に触れた時、7年前に始まる先送りについての思索の跡を思い出していた

先送り Esprit critique (2005-06-04)
「先送り」 再々考 (2007-09-24)

2005年には、自らの先送りの癖を批判的に見ている
その1年後、皆さんとお酒を飲んでいる時、先送りは必ずしも間違っていないのではないかという考えが浮かんでくる
一瞬のことであった
さらにその1年後、モンテーニュさんの懐疑主義と重なっていたことを知る
それから5年経った今日、再びこの問題が顔を出したことになる

わたしが気付いた問題は、2000年以上前から人類が考えていたことだったのである
すべてはわれわれの祖先によって考えられているはず、と考えている者にとっては驚くに当たらない
ただ、その声を聞かずに自分で見つけ出した時には仄かな悦びが訪れる
これはわたしが好む予習をしないで出かける旅に似ている
そこではすべてが自分の発見になるからだ
勉強嫌いにはそれが一番向いているとも言えるのだが、、、




dimanche 17 juin 2012

もうすぐ300歳になるルソーさんの夢想から

(1712.6..28-1778.7.2)


先日触れたジャン・ジャック・ルソーさんの 「孤独な散歩者の夢想」 には感じるところが多い
引用を始めると終わらなくなるくらいだ
少し長めになるが、今野一雄訳で


第一の散歩
「慰めも、希望も、平和も自分の内部にしかみいだされないのだから、わたしは余生をひとりで暮らし、もう自分以外のことは考えるべきではないし、考えたくもない。わたしはこうした状態において、かつてわたしの 『告白』 と呼んだきびしい誠実な検討のつづきにとりかかる。わたしは自分というものの研究に晩年を捧げ、遠からず出さなければならない報告をいまから準備する。自分の魂と語り合う楽しみに浸りきろうではないか。この楽しみこそ人々がわたしから奪い去ることのできない唯一の楽しみなのだから。自分の内面的傾向について反省を重ねることによって、それをさらによいほうに向け、なお残っているかもしれぬ悪を改めることができるなら、わたしの省察は全然無益なことにならないし、もう地上にあってはなんの役にもたたないにせよ、わたしは晩年をまったくむだにすごしたということにはならないだろう」
「わたしはモンテーニュと同一の計画を立てているのだが、その目的はかれのとは全然逆である。というのは、かれはその 『随想録』 をもっぱら他人のために書いたのだが、わたしはひたすら自分のためにわたしの夢想をしるすのだ。わたしがもっと年をとり、この世を去る時が近づいて、いまそう願っているように、そのときも現在と同じ心境にあるならば、これを読むことは書くときに味わった楽しさを思い起こさせ、過ぎ去った時代を胸によみがえらせ、いわばわたしの存在を二重にしてくれるだろう。人々にはお気の毒だが、わたしはなお魅力ある交遊を楽しむことができ、老いはてたわたしは、別の年ごろの自分とともに暮らすことになるだろう。自分ほど年をとっていない友人とともに暮らすように」


第三の散歩
「わたしはわたしよりもはるかに学者らしく哲学する人にはたくさん出会ったことがあるけれども、その人たちの哲学はいわばかれらにとって無縁のものであった。他人より物知りになろうとするかれらは、そこらにみられるなにか器械のようなものを研究するのと同じく、たんなる好奇心をもって宇宙を研究し、どんなふうにそれが組み立てられているのかを知ろうとしていた。かれらが人間性を研究するのはそれについて学者らしい話をするためで、自分を知るためではない。かれらが勉強するのは他人を教えるためで、自分の内部を明らかにするためではない。かれらのうちの多くの者は、書物を書くことだけを考え、どんな書物であろうと、ただ世に迎えられさえすればいいのである。書物を書きあげて出版してしまうと、もうその内容にはいっこうに関心をもたない。ただそれを他人に受け入れさせることが、またそれが攻撃される場合には、弁護することが問題となるにすぎない」
 「結局、わたしは自分にこう言った。達者にしゃべる連中の詭弁にいつまでも翻弄されているのか?かれらがお説教する思想、あれほど熱心に他人に押しつけようとしている思想は、ほんとうにかれら自身の思想であるかどうか、それさえはっきりしないのだ。・・・ かれらの哲学は他人のための哲学だ。わたしは自分のための哲学を必要とするのだ。これからの生涯にたいする確乎たる行動の規準をみいだすために、時機をうしなわないうちに全力をつくしてそれを探求しよう。自分はいま成熟して、悟性がもっとも発達した年齢にある。自分はもう人生の下り坂にかかっている。これ以上待っていたのでは、熟慮の時ではなくなるし、自分のあらゆる能力を使用することもできなくなる。わたしの知能は活動力をうしなって、今日ならばあたえられた最善をもってなしうることをそのときにはもうできなくなる。この有利な時機を捕えようではないか」


Jean-Jacques Rousseau méditant dans le parc de La Rochecordon (1770)
Alexandre-Hyacinthe Dunouy (1757–1841)


第五の散歩
「これまでにわたしが住んだすべての場所 (それにはすばらしいところもあったのだが) のなかでビエーヌ湖のまんなかにあるサン・ピエール島のように、ほんとうにわたしを幸福にしてくれたところ、深い愛惜の念を心に残したところはほかにない。・・・  ビエーヌ湖の湖畔はジュネーヴ湖の湖畔にくらべるといっそう野性的でロマンチックである。それは巖や森が水ぎわまで迫っているからだ。けれども景色はやはり明るく美しい。高地やぶどう畑は少なく、聚落や人家はまばらでも、そこには自然のままの草原や、牧場や、木立の陰の休息の場所がたくさんあって、起伏と濃淡に富んでいる。湖畔には幸いにも車馬の往来に便利な街道もないので、この地方を訪れる旅行者は少ないが、そこは孤独な瞑想者、思いのままに自然の魅力に酔いしれ、静寂のうちに心を落ちつけて、その静寂を破るものはただ鷲の叫び声、時折りきこえてくるなにかしらぬ鳥のさえずり、そして山から落ちてくる奔流の響き――こういう境地を愛する者にとっては興味あるところだ」
「しかし魂が十分に強固な地盤をみいだして、そこにすっかり安住し、そこに自らの全存在を集中して、過去を呼び起こす必要もなく未来を思いわずらう必要もないような状態、時間は魂にとってなんの意義ももたないような状態、いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起のあとかたもなく、欠乏や享有の、快楽や苦痛の、願望や恐怖のいかなる感情もなく、ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば、この状態がつづくかぎり、そこにある人は幸福な人と呼ぶことができよう。・・・ こうした状態こそわたしがサン・ピエール島において、あるいは水のまにまにただよわせておく舟のなかに身をよこたえて、あるいは波立ちさわぐ湖の岸べにすわって、またはほかの美しい川のほとりや砂礫の上をさらさらと流れる細流のかたわらで、孤独な夢想にふけりながら、しばしば経験した状態なのである」
「あのような生活をもういちどよみがえらせることはできないものか?あのなつかしい島に行って、ふたたびそこを離れることなく、対岸の住人にはだれにも会わないで、わたしの一生を終えることはできないものか?」








samedi 16 juin 2012

ユングさんとフロイトさん再び

 カール・ユング (Carl Gustav Jung、1875-1961)


昨年末に観た映画 A Dangerous Method は日本ではまだ公開されていないのだろうか
ル・モンドの特集雑誌の記事を目にして、そんな疑問が湧いていた
この記事では、ユングさんとフロイトさんの思想について簡単に触れている
映画で感じ取ったのは、精神分析という学問の捉え方に両者の大きな違いがあることだった
1913年の訣別の背後にはこれがあるのではないか
ぼんやりとそんなことを考えていた

ユングさんは子供の頃から自然の中で恍惚を味わい、汎神論への嗜好があったという
 そのため、牧師の息子として育った彼は、プロテスタントの信仰と汎神論との間で引き裂かれることになる
ただ、公式にはキリスト教信者であると宣言していた
師フロイトさんとの訣別は、宗教の問題、神話をどう扱うかの問題が原因だとこの記事では言っている
この訣別後、ユングさんは重い鬱に陥り、その様子は 「赤の書」 で窺うことができる

 それとは別に、人間は性と精神性という二つの力によって導かれていると彼は考えていた
精神性とは天空の女性的なものであるのに対し、性とは地上の男性的なものを指している 
われわれの日常における両者の違いを理解した上で、この二つを結びつけることを彼は目指した

プラトンの官能と聖パウロの無条件の愛アガペー
 この二つとともに未知なる神を求めて長い道なき道を歩むのが人間であると彼は結論する
そのため、彼はあらゆる宗教に目を向ける
鈴木大拙との接触で発見した仏教、中国の老荘思想、インドやエジプト、さらにアメリカインディアンの宗教にまでも

彼自身は神の存在は信じていなかったようだが、神のようなイメージが精神に生まれることには興味を示した
 われわれの精神は本来的に宗教的なものだと常々語っていたという


ジークムント・フロイト (Sigmund Freud, 1856-1939)


一方のフロイトさんはハンブルグの偉大なるラビの末裔である母を持つユダヤ教の家庭に育った
しかし、早くからすべての宗教に対して強い反発を覚える
結局のところ、宗教は不安に対する防衛システムでしかないと彼は見たのである
これが自分の後継者と考えていたユングさんとの訣別の原因になった
ロマン・ロランさんが言う le sentiment océanique (宗教を超えた神秘的な感情)をフロイトさんは理解できなかったという
神秘的なものは蒙昧主義に繋がるもので、宗教は間違った理想化であると考えていた
そして、自らをユダヤの無神論者と規定していた


ユングさんとフロイトさんの対立
それは現代人の世界の観方における対立の一つの型を表しているようにも見える






vendredi 15 juin 2012

「それ以外」 の世界が広がると見えてくるもの

 烏山一先生 (東京医科歯科大学)


今日は朝から予想外に集中できたようだ
拡散から集中にハンドルが切れているように感じる
まだ3つくらいのことを相手にしている状態だが、それぞれが飛び散っていかないようにしている
地上に降りてもそのことに抵抗がなくなっているように見える
よい傾向ではないだろうか

夜は現役時代に同じプロジェクト研究をしていた烏山さんとディネをご一緒した
スイスの学会の後、パスツール研究所を訪問されたとのこと
お忙しい中、お時間を割いていただいた
その心を伺ってみると、こういうことのようである
このような変わった道に入った人間が一体どういうことを考えて生きているのか
そのあたりを探ってみたい、ざっくばらんに哲学談義をしてみたい
ということになるのだろうか

日本の忙しい現実の中にいると、なかなかそのような時間が取れないという
そのような話をしていないからと言って、興味がないわけではない
形には現れていないからと言って、心がないわけではない
その心を簡単には表現できない状況に置かれているに過ぎない、ということになるのだろうか
この道に入り、いろいろな方とお話をして感じることは、まさにこのことである

 現役の時には想像できなかったような話題に花が咲いた
印象に残ったことは、終始強調されていた曖昧さや泥臭さ、言葉は悪いがいい加減さの大切さであった
余りにもきれいな世界、コントロールされた世界への抵抗感だろうか
当然のことのように、烏山さんの恩師になる多田富雄先生のことや日本の現状にも話が及んだ

 また、拙エッセイも読んでいただいているとのこと
行間から何か香りが漂ってくるようだとの評はワインのせいだろうが、新鮮に映るというのはよく理解できる 
益々ドライになる研究論文や事務関係の文章に埋もれていると、それが自然な反応だろうと想像できるからだ
科学者を取り巻く状況から人間的な要素が削ぎ落され、管理された潤いのない世界になっているように見えるからでもある

ご本人の言によると、齢を重ねるごとに 「それ以外」 の世界の大切さを感じるようになってきたとのこと
このような変化も感受性を上げているのかもしれない
これからも哲学談義ができそうな期待を抱かせてくれる時間となった
研究も順調に進んでいるようにお見受けした
益々のご活躍を期待したい








jeudi 14 juin 2012

「もの・こと」 の根を探ろうとする

M.C. Escher (1921)


見えている現実を正当に評価する
その上で、それらの背後にあるもの、その現実を動かしている元にあるものを探ること
それが人間の精神活動の初めにあった動きだろう
ミレトス出身のタレス (c. 624 BC-c. 546 BC) は世界は水から成っていると考えた
それが哲学の始まりで、その後いろいろな哲学者が続いた
 科学はその営みから生まれたと言われている

科学者は長い間、ある現象の元にあるものとして超越的な存在を考えた
科学者は自然現象の背後にあるだろう統一的な原理を探そうとした
超越的な存在が創造した世界にはその意思が働いていると考えたからである

一般的に、われわれはそういう考え方をしない
現象を集めて、すべてに矛盾しない原理とも言える構造を探し出そうとする運動に乏しいように見える
苦手なのである
 その場合、末梢の目の前の現象に流され、世界を統一的に理解できない状態のまま過ごすことになる
何らかの前提がないと 「こと」 を説明できないからだ

その状態から抜け出るためには、現実から少し距離をとる必要がある

離れて 「もの」 を観る
そして、厳密に考えようとする

これがわたしの哲学的態度の第一歩である
哲学アレルギーの場合には、敢えて哲学と言う必要はないだろう
このような精神運動を意識的に始めること
そうすることにより、世界がはっきりと見え始め、どこに問題があるのかがわかってくるだろう
 そんな期待を抱いて、この道を歩いているのではないか

昨日の記事と日本のニュースに触れ、こんな考えが浮かんできた快晴の朝




mercredi 13 juin 2012

ヒラリー・パトナムさんによる 「どのように語るのか」


ヒラリー・パトナムさん(Hilary Putnam, 1926-)の新刊本を読む
広く見ると、科学と哲学が話題になっている
科学と哲学の関係については同意するところが多い

ここでは、その中で取り上げられていた言葉の問題について、少しだけ
わかりやすい言葉で書かれたその主張は、哲学者が陥りがちな点を突いている
それだけではなく、われわれの問題をも炙り出しているように見える
こんな具合である

"Save the appearances"
この世界を理論化する時に、見えているものを正当に評価する必要があるということ
これはアリストテレスの時代から哲学の目指すところであった
換言すると、ごく普通の言葉を大切にするということ

トルストイの小説は単なる娯楽ではなく、人間の社会生活、個人生活の機微をどのように捉えるのかを教えてくれる
そこでは、われわれの日常に与えられた言葉でその機微を表現することが求められる

「どのように語るのか」 の妥当性については哲学者の問題だが、それだけではない
 なぜ哲学者の問題なのか
それは日常の言葉を馬鹿にした途端、その語りはわれわれの実際の生を語る資格を失ってしまうからである
それが哲学者の問題に留まらないのは、日常の言葉への軽蔑には取りも直さず人間への軽蔑が含まれているからである



mardi 12 juin 2012

今期初めての教授とのランデブー

Surface with vibrating texture (1962)


大学ではドクターの3年目に入っている
本来であれば今年で終わりのはずだが、その気配は全く感じられない
今日、ほとんど1年ぶりで教授とのランデブーがあった

これまで長い間空を飛んでいる状態だった
エッシャーさんの 「昼と夜」 の鳥のように 
飛んでいる間にそれまでの見方が変わってしまったのだろう
当初のテーマでは満たされなくなっていた
あるいは、テーマが熟してきたと言い換えてみたい心境である
それと、地上に降りなければ落ち着いて「こと」に当たることができない心理状態でもあった
最近になり、この状態がやっと解けてきたようである

久しぶりのディスカッションのせいか、新鮮で考えさせられる時間となった
最終的には今考えていることをさらに絞り込み、明確で深いものにすることになった
それが纏まったところで再びディスカッションになり、明確でより深いものと認定されれば書き始めることになるのだろう
今の段階では、更なるレフレクシオンが必要になりそうだ

別れ際、旅などでお忙しそうですが、と言ってにっこりしていたのには驚いた
どこかでこのブログに辿り着いたのだろうか
ヨーロッパは文化的に多様で興味が尽きませんので、と答えていた





lundi 11 juin 2012

オランダとフランスのエスプリ

Weide met koeien (1902-1905)
(Pasture with cows)
Piet Mondriaan (1872-1944)


これまで何気なくイタリア人だと思っていた節がある
今回、そのことに気が付いた
彼の抽象画は画集で観た方が落ち着くところがあるという印象を持っていた
その印象は今回も変わらなかった

ただ、このような絵を描いていることは知らなかった
抽象に近づきつつあるとでも言うのだろうか
それにしても、長閑な景色だ


***  ***  ***

6月号の 「医学のあゆみ」 でこの春までコレージュ・ド・フランスの教授だったフィリップ・クリルキーさんの本を取り上げた

『利他主義のとき』

安定したシステムを維持するためには人の善意に頼るのではなく、義務としての利他主義が必要だと説いている
善意は施されることもあるし、そうでないこともある
善意はその背後にある悲惨を覆い隠す効果もあるからだ
また、この世界を理解する時には単なる知の追求だけでは不十分で、そこに倫理の支えがなければならないとも説いている
エッセイは、この主張に触れて始まった瞑想の跡を纏めたものである

先日、そのエッセイをクリルスキーさんにお送りしたところ、丁重なお礼の返事が届いた
その中に、病気などが再発するという意味の "récidiver" という言葉を使っている文章があり、思わずニンマリする
昨年、また本を出してしまいまして、というニュアンスが滲み出ていたからである
こんな言葉の選び方
これなどはフランス的な奥ゆかしさ、エスプリと言えるのだろうか

『利他主義宣言』

まだ手にしていないが、前著よりはさらに一歩進んでいそうなタイトルである
 こういう本を味わう余裕は今の日本にあるのだろうか
翻訳される方が出てきてもよさそうである