jeudi 31 mai 2012

ロッテルダム散策、ロダンの 「歩く男」 と再会

L'Homme qui marche (1905)
 Auguste Rodin (1840-1917)


本日は曇り
今回の旅は晴れと曇りが交互に来ている
今日はロッテルダムまで人に会いに出かけたが、長い一日になった
詳細は明日以降にまとめてみたい

エラスムス大学でのランデブーを終え、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館に向かう
街にはメトロで出て、適当なところから散策にした
ところが、いつものように目的地とは全く違う方向に歩いていた
本当に困ったものである

しかし、今日もそのお蔭になる瞬間が待っていた
7年ぶりにロダンの 「歩く人」 と対面することになったのだ
最初は気付かなかったが、運河沿いに置かれた作品群の中にあった
屋外で見るのはこれが初めて
以前に観たのはパリのロダン美術館だった
今回はその時には感じなかった精気というか力強さに溢れた作品であることを発見
正式の日本語訳は知らないが、谷口ジローさんの 「歩く人」 に合わせて考えていた
今日観た印象では 「歩く男」 の方がよさそうだ

谷口ジロー (2005-05-18)


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これまでいくつかの町に行ったが、英語で話しかけると皆さんすぐに英語で返してくれる
英語を話すことに躊躇する必要がないという気持ちにさせてくれる
オランダでの英語の扱いはどのようになっているのだろうか

そしてフレンドリーな印象がある
学生時代に来た時には、第2次大戦の影響であまりよく思われていないのではないかという印象が残った
しかし、今回は予想以上に気持ちの良い滞在になっている
まだ1週間にも満たないのだが、、、





mercredi 30 mai 2012

デルフトの朝の時間を味わい尽くす


昨日とは打って変わって、完璧に晴れ上がったデルフトである
朝から散策に出る
初日に歩いたあたりは町の中心から離れたところだったことがわかる
それだけに人々の暮らしがより近くに感じられたのかもしれない

感じの良い運河に浮かぶカフェ・レストランがあったので、そこで朝の時間を味わうことにした
早いせいか、お客さんがまだ少ない
目の前にオールド・チャーチ (Oude Kerk) が見え、朝の空気が何とも気持ち良い
 運河沿いの道を挟んでお店があるが、そちらも捨てがたい


 Stads-Koffyhuis (Village Coffee House)



今朝は新鮮な時間の流れの中、17世紀のオランダに想像を羽ばたかせる
満ちた時間を味わったのは、離れて見るとこんな感じのところだった
 


しばらく行くと、教会横でデッサンをしている人と言葉を交わしている人がいる
わたしも加わり、暫し進み具合を眺める


普通のリブレリーがあったので入ってみるが、フランス語のものは置いていない
英語はどうかと聞いてみると、その場所まで案内してくれる
一冊気になる小説があったが、おそらく読むことにはならないだろうと思い、名前を控えるだけにした
さらに歩を進めると、古本屋が現れた

 
 M. Peter Seij

 中はほとんどオランダ語なので、フランス語か英語のできれば哲学関連の場所を聞く
哲学はご本人の興味の中心にあるとのことで、英語の哲学的なものが置かれた棚を教えてもらう
あまり古いものはなかったが、記念に数冊手に入れた
また2階もあると言って案内してくれる
そこに少ないながらフランス語のものがあり、1冊に手が伸びた
降りて勘定をしようとすると、オランダの哲学者を書き出したメモを渡してくれる
そして店を出る時、自分の書いた詩と自分がモデルになった写真のポストカードを袋の中に投げ込んでくれた
よく理解できないのは残念である



 
午後からは空気が急に濁ってきて、時がだらしなく流れるように感じる
今日は午前中で終わったのだと察し、市庁舎裏のカフェでデジュネを取った後、当て所もなく歩く
何となくデルフトの雰囲気がわかってくるような散策になった




 Stadhuis van Delft


(Hugo Grotius, 1583-1645)
















mardi 29 mai 2012

ライデン散策の後、ラインスブルフのスピノザ・ハウスへ


朝起きるとデルフトは雨
降り止みそうでもないのでライデンまで足を伸ばすことにした
往復で9.50ユーロ
少し時間がかかるのではないかと想像する

アムステルダム行の電車はほぼ満席
やっと見つけたところは、出口近くの一角で3人が座っていた
すぐ横が一等だったので確かめると、こんな答えが返ってきた
一等ではないと思いますよ、ただ私たちは一等ですが

声の大きいアメリカ人らしい人が横になったおそらく地元の人と話している
こちらにも何を読んでいるのかと聞いてくる
スピノザに関するものだと言うと、いろいろ話しかけてきた
後でわかったことだが、彼はキリスト教の伝道師のようであった

スピノザの唱える神と自然が同じものなどという考えは、当然のことながら受け入れられない
彼の考えでは、宗教は信じるかどうかが問題
何かをしなければ天国に行けませんと説くのは本物ではないという
みなさん、彼の説教を聞いていた
 長い旅かと思ったが、30分もしないうちにライデンに着いたのではないだろうか

話の中で、ミッションということについて考えていた
こちらに来てから使命感とでも言うべきものが生まれてきている
今までにはなかったことである
それは、存在そのものの意味について考えることと結びついている
なぜ存在しているのか、ということである
それを突き詰めるにはよい環境にいるのではないか
そう彼の話を聞きながら考えていた


今日の目的は、ラインスブルフ (Rijnsburg) にあるスピノザ・ハウス (Spinozahuis) を訪ねること
駅を降り、インフォメーションセンターで交通案内を聞いてから街に出た
オランダと聞くと私の中では運河だが、ライデンも例外ではない
それが心を鎮めてくれる
町が近く感じられる
1時間ほど歩き、カフェでデジュネを取ってからスピノザ・ハウスに向かった
 







バスは駅前から出た
4ユーロとのことで、何となく遠くにあると想像していた
そのため行路の後半から駅名を確かめていたが、いつまで経っても目的の Spinozalaan が現れない
そして運転手の終点ですよ、の声が聞こえる
北海に面したカットワイク (Katwijk)まで行ったのである
誤りは豊穣の母
2008年年末のオステンド以来、久しぶりに北海を眺めることができた

どうしようかと考えようとした時、そこまで連れて行きますよ、そのまま乗って、と運転手が言ってくれる
まさに迷える者に手を差し伸べていただいた感じだ
感謝の挨拶をしてからバスを降りた 

 バス停の名前が Spinozalaan となっているので、その道がそうかと思っていたがそこにはそれらしい建物がない
しばらく歩き回り、3人目の人が "You are on the right track." と言ってくれる


Spinozalaan 29, Rijnsburg



静かな住宅地にその家はあった
入口が閉まっている
ノックしてしばらくすると、扉を開ける音が聞こえた
上と下が別々になっている

人があまり来ないので、普段は閉めているの、
下を開けるのが大変なの、と言いながら開けてくれたのが管理をされているトニー・ティンバーゲンさん


 Mme. Tonny Timbergen


彼女のお話を聞きながら、スピノザさんが1661年から1663年まで借りていた部屋のある家の中を歩く
急な階段を上った2階にも展示品とビデオがあるが、オランダ語がほとんどなので眺めるだけ
スピノザのファンであったアインシュタインさんがここを訪問したという記帳があった
1920年11月2日のことである

中のものは著作権があるので公開できないが、トニーさんはそこから除外していただいた
オランダでの哲学の受け止め方を聞いてみた
彼女によると小学校から哲学を教えられたという
彼女も教えに行ったことがあるが人数は少なかったとのこと
哲学は贅沢品なの、というのが彼女の言葉であった
生活に必要なものが揃った後にそこに向かうという意味なのだろうか
この訪問から広がるものについては、いずれ書いてみたい


ライデンと聞くとどこか懐かしい気分がしていた
それがなぜなのか、こちらに来てはっきりした
研究を始めた時の領域の研究者にライデン大学の方がいたからである
HLA研究のパイオニアであるファン・ルート(J.J. van Rood, 1926-)教授である

何とラインスブルフからライデンに戻ると駅裏に着き、そこにライデン大学の病院があるではないか
本当にどうしてこうもタイミングよく現れてくれるのか
早速、突撃を試みた
案内の方は、名前は聞いたことがありますが、もうお辞めになってから長いのでは、と言いながら当たってくれる
今、年齢を調べてみて驚いたが、86歳である
自分のことは頭にないのだから世話が焼ける
 秘書の電話もご本人の電話も鳴りっぱなしであった

 確かに、現場に入ると予想もしなかったことが頭に浮かんでくる
旅の面白さの一つだろう


これは大学病院のホールの壁である
右側には電気泳動の図を掲げている
科学の結果を示すためではなく、それを芸術作品として提示している
その心は今のわたしにはよくわかるのである

ここでも何度か触れていることになる
現場を離れてから、科学の結果の映像それ自体が美しいことに気付いたからである
現場にいる時には、その図の示すメッセージが重要で、それがわかると事足りる
しかし、今では図全体をそこにあるものとして楽しむ余裕が出てきたのである
いつの頃からか、スライドを芸術作品として観るようになっている
変な手を加えて科学と芸術の融合などというのではなく、そのものが美しいということを示す
その心がわたしを悦ばせてくれる



ライデンの町を再び歩き、カフェに入ってしばらくするとそれまで曇っていた空が遂に泣き出した
やれやれと思っていると、今日初めて青空が現れてくれた
長い一日を締めくくるため、久しぶりにビールを口にした


今日はそのカフェからのアップになった
まだデルフトに戻る行路が残っている



lundi 28 mai 2012

デルフト到着


今日の午後、オランダはデルフトに到着
パリ北駅から2時間半でロッテルダム
そこから切符を買うと1.80ユーロ
10分程度の都市線であった

オランダと言えば、学生時代にアムステルダムに一度来ただけなので久しぶりである
デカルトさんが20年もの間隠れていたオランダ
スピノザ家が異端審問厳しきポルトガルから逃れてきた自由の国オランダ
そこで少しの間、時を過ごしてみようという魂胆である
 
 
染み付いた記憶では、オランダと聞くと自転車となる
そのせいかどうか、駅周辺の自転車の姿には目を見張る
日本でも駅の乗り捨て自転車が問題になっていたようにも記憶しているのだが



 ホテルは駅前を少し歩かなければならないものと思っていたが、目の前にあり嬉しくなる
こじんまりとした落ち着いたホテルだ
早速、周辺の散策に出た



ロッテルダムとハーグの間にあるデルフト
この町もこじんまりしている
今日は Lundi de Pentecôte (聖霊降臨祭の月曜日)で祝日なので、ほとんどのお店は閉まっている
しばらく行くと、小さな運河が現れた
なかなか雰囲気が良い
運河沿いに歩くことにする
  



それにしても何と形容すればよいのだろうか
今のところ、静かで peaceful としか言いようがない
人間が町の中にしっかりといるという印象である


 

船尾に Delft と書かれた船の手入れをしている親子に会った
元は日本だが、今回はパリからだと答えると、それはお近くから、と返してくれる
写真を、とお願いすると、急いで後ろに国旗を立てていた
国民性の違いなのか、その反応に少しだけ驚くが、好ましいとも思っていた
8歳の息子さんの陰になっていて見にくいが


 水遊びをする子供たちがいたり、道にテーブルを出して語り合っている大人たちがいたりする
実に長閑な満ち足りて見える時が流れている
暫しの間、その時が消え、この風景とともにいた





この旅がどのようなものになるのか、今はわからない
今回はいつになく少しだけ調べたのだが、そのメモを忘れてきた
何かが静かに進行しているのか、やはり予備知識など無用だと思ったのか



dimanche 27 mai 2012

思いもつかなかった大転換を迫るもの




先週は後半に疲れが出たと感じていた
昨日はくしゃみと鼻水で風邪の症状が出て頂点に達した
疲れていることを知らせてくれるサインである

 なぜなのかはっきりしなかったが、ブログを読み直してみてわかった
月曜から雨に当たり、長い間カフェで読んでいた
それだけではなく、その日は朝まで何やら聴いていたようだ
それが徐々に出てきたのだろう
週の初めが遠くに感じられる


ところで、体調の悪い時に何かが現れることがある
そういう時でないと、何かを変えるようなことは出てこないようでもある
 そもそも酷い花粉症でなければ、わたしがこちらに渡ってくるなどということにはなっていなかっただろう

体調の悪い時は普段の精神状態ではなくなるため、これまで隠れていたものが見えてくることがある
また、頭の中が乱れた状態になるので、それまで別のところにあったものが隣に来ることがある
朝、お茶を入れている時、それまで全く結びつくことのなかった二つのことが一緒に口をついて出たのだ

これまで自分の中では枠を設けることなく、とにかく晒すということをやってきた
本業のために集中するというやり方を採ってこなかった
この時期、それはあまりにも詰まらなく見えたからである
そのため、所謂本業の占める範囲が著しく限られることになった
もともと 「それ以外」 の方が好みなのだから致し方ない

そこで困ったのは、本業への意欲が次第に削がれていったことだった
全く書く気分にならなくなったのである
そもそもそれ自体が目的ではなかったのではあるが、、

ところが昨日浮かんできた二つのことは、本業とそれ以外からのものだったのである
今の状態を劇的に変える可能性のあるこの出来事の意味を、バルコンにも出て考えてみた
その結果、今のところこういうことになった

 自分がそうだと決めていた本題は、実は自分が本当に書きたいものではなかったのではないか
それ以外をやる中で、当初決めていた本題では満足しなくなっていたのではないか
しかし、その状態を抜け出す方法も見つからずにいただけではないのか

 今回のお告げは、今まで別物だと思っていたことを結びつけてはどうかというものに見える
そうだとすれば、本題とそれ以外を結びつけるという発想の大転換を迫るものである
つまり、これまでやってきたことのすべてをそこに生かすことができる可能性が出てきたことになる
それこそ、専門とそれ以外を結びつけるというわたしが理想とする道でもある
その道を歩み始めてはどうか

どんな展開になるのか全くわからないが、少なくとも書きたい気分になってきたことだけは確かである




体と精神は確かに繋がっている
精神が体を率いることもあるだろう
その一方で、体が精神を賦活することがある
これまでの経験では、そのようなことが起こるのは体が病的な状態にある時に限られていた
 病的状態に意味があると考えたい理由がそこにある


この日が本当に意味あるものであったのかどうか
これから長い観察が必要になるだろう



samedi 26 mai 2012

緑が目に染みる暑い一日



 昨日も暑い一日だった
午後から久しぶりに研究所のビブリオテークへ
新刊本やテーマを選んで本を紹介するコーナーがあるが、今日も興味深い本が目につく
早速、数冊を注文する

哲学関係の総説を読む
新しい人なので、なかなか入ってこない
その人の頭の使い方が言葉の選び方、文章の作り方に反映されるのだろう
それに慣れるのに時間がかかる
先日、以前に読んでピンとこなかったものに目を通してみたところ、すらすらと入ってきて驚いた
その周辺の知識の量も関係しているのかもしれない
  

疲れがたまっているようなので、4時間ほどで出てカフェへ
緑が目に染みる季節になってきた







vendredi 25 mai 2012

バルコンに出る効果



本日も快晴だ
早速バルコンに出る
出るとすぐに頭が働き始める
以前からなぜなのか不思議に思っていた
今日、こんな対比が浮かんできた

部屋の中にいる時には、「こと」 の中にいる
内から見ていることになり、多くの場合 complaisant に近い状態にある
言ってしまうと、その中で何となく満足している
それが外に出た途端、その状態が見えてくる
critique することが可能な状態になるだけではなく、contemplatif な状態に入ることもできる
批判と瞑想へと自然に誘われるのだ
哲学する姿勢の中に、内からではなくそこから出てものを見るということが入っている意味がよくわかる

場所を変える、それだけで思索が誘導される
古代ギリシャの時代から人類が気付いていたことになる
あるいは、古代ギリシャ人が発見したことと言うべきなのか




jeudi 24 mai 2012

夏来る



 荷物を背負って街を歩いている時、カントがケーニヒスベルクの町を歩いている姿が浮かんでくる
あるいは、プロヴァンスの畑道を画具を抱えて行くゴッホが浮かんでくる
そんなイメージと重ねているかのように

今日も午後から外に出たが、とにかく暑い
 カフェに落ち着いても体が熱く、眠くなる
今日は2時間足らずでお暇した

帰ってそのあたりをひっくり返していると、懐かしいものが出てきた
先日も紹介したスピノザさんの記事が出ている Le Point である
丁度日本からパリに移る時期に読んでいたのでこちらにあったのだろう
 他にも雑誌の特集で面白いものが現れた

 
 お昼のラジオでは福間洸太朗という日本人ピアニストが紹介されていた
現在ベルリン在住だが、パリの音楽院で教育を受けたためか、ちゃんとしたフランス語を話していた
言葉はやはり若い時でないと駄目なのか
 6月12日にはパリでコンサートをやるとのことであった










mercredi 23 mai 2012

スローターダイクさんと世界創造のための自己変革を考える


Ninguen (2000)
Tominaga Atsuya / 冨長敦也 (1961-)


午前中曇っていたが、午後から晴れ渡ってくれた
この朝はデンマークの方とやり取りしたり、日本からのメールに対応したり
資料を読まなければならないので、結構時間がかかる

それとは別に、以前にいただいたメールを読み直している時、発見をする
この世界に大きな変化は起こっていないだろうなどという思い込みがあると、見過ごすことになる
これは結構大きなことだったので周辺を調べる
わたしが知らなかっただけの話なのだが、、

ただ、そう言ってしまうと、すべてがそうなる
わたしとは別に、すべてはそこにあるのだから
あるいは、わたしが気付かないものは存在しないのか
そうかもしれないが、その立場を今は採っていない


午後から近くのカフェでスローターダイクさん(Peter Sloterdijk, 1947-)を読む
調べてみると、もう3年近い時間が経っている
巡り巡ってという印象だ
その本はハイデルベルグの免疫学者ブルーノ・キュースキさん(Bruno Kyewski)に紹介されたもの
丁度、パリにセミナーに来られた時のことである
その日の経過は以下の記事にある


本の原題は、Du mußt dein Leben ändern (2009)
昨年出た仏訳は、Tu dois changer ta vie (2011)
日本ではまだ訳されていないようだ

この世界を変えるのではなく、あなた自身の生活、人生を変えなければならないと言っている
世界の改良ではなく、自己改良を目指しなさいということだろう
今日はイントロを読み始めたが、言い回し、つまり彼の世界と頭の使い方がなかなか馴染まない
30ページほどを3時間かかって読む
印象に残ったところを少しだけ



Ninguen (1999)
Tominaga Atsuya / 冨長敦也 (1961-)


最早太陽のもとには新しいものなどないように見える
しかし、認識の面からいうとあるのだという
つまり、見方を変えるということ、新しい見方を獲得すること
それは、分かっているように見えることに纏わり付いた衣を剥ぐことができるか否か、
これまでと異なる言葉で 「こと」 を記述できるかどうかにかかってくる
精神性とか道徳とか倫理などと言われるものに、全く新しい言葉を与えることができるのか

それを彼は "explicitation" という言葉で説明している
折り畳まれるようにされている "implicite" な状態に対して風呂敷を広げるようにするこの行為
「こと」 を明白にするという営みを表現するのには適切な選択に見える 
この過程がうまく行くと、意表突くような、しかし無視できないような効果が出ると言っている
そして、それこそが太陽のもとの新しいものになるのだろう


それからオーガニズム、社会、文化を包括する知として免疫学の成果を挙げている
おそらく、これがキュースキさんがわたしにこの本を薦めた理由になるのだろう
スローターダイクさんは免疫システムが世界をよく説明するのだと言いたいようだ
生物学的世界、文化的・社会的・軍事的世界、精神運動の過程

そして、これまで何度も取り上げている生物学的世界と文化的世界の乖離を指摘している
自然と行動、自然科学と人文科学
この間には直接の移行はない
そこに橋を架ける必要があるのだ
橋の中央を繋ぐためには、教育、訓練、運動が欠かせない
この橋の建設なしに人間になることはできない
この運動を常にし続けなければならないのが、われわれの存在の本質なのかもしれない


この中で 「人間の園」 (le jardin de l'humain) という言葉が紹介されている
物理学者のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーさん(C F. von Weizsäcker, 1912-2007)の言葉だという
そこでは植物(自然)と芸術が出会い、上に挙げた対立が昇華される
そこに入ると、内的・外的な運動が最高のレベルに達する
Le jardin と聞くと、すぐにエピクロスの園を思い出す
それらが新しい文化を創造する空間、人間に近づく空間であるとすれば、
その建設はすべての人に求められているのかもしれない