不規則な生活が祟ったのか、体の芯に疲れを感じる
それにしても何という凪の状態なのだろう
これがその終わりなの、という印象である
このあっけなさに似たものは、以前にも経験している
それは、仕事を辞める時の精神状態である
気が付いたら終わっていたというあっけない感覚である
なぜそうなったのか
真剣さがなかったための必然だったのか
おそらく、そうではないだろう
これは単なる区切りで、それほど大袈裟な終りではないと知っていたからではないのか
終わりは一番最後に来るのだと知っていたからではないのか
週の初めの数日は、今思い返しても実に不思議な時間だった
まさに異空間での体験だった
そこから抜け出た今、それが嘘のように感じられる
その世界にいる時、この瞬間に全力で打ち込んでいるので時間が消えている
それは永遠であり、無限である
それは永遠であり、無限である
しかし、完全にはその中に入り切っていない
時間に追われているとどこかで感じている
時間に追われているとどこかで感じている
その時、本当に生きるとはこれくらいの緊迫感で現在に向き合うことなのではないかと感じた
一日とは持ちそうにないのだが、、
もう一つは、その時の意識が自分の一番深いところまで落ちて行っているということ
この状態にまで降りてきたことは、こちらに来て初めてではなかったのか
そこまで行かなければ、「こと」には当たれないものなのか
その地点からここ数年を見ると、ふわふわと宙に浮くような生活をしていたのかが明らかになる
いくら「こと」に当たろうとしてもできなかった訳である
ただ、最初からこの状態で生活していたとしたならば、何と詰まらない時間となっていたことだろう
ふわふわとした宙に浮いていたあの生活が、かけがえのないものに見えてくる
おそらく、この二つの状態の行き来(va-et-vient)が重要なのだろう
最初に純粋体験があり、そのことについての思索が後から付いてくる
そして、その思索から生まれたものの方向にさらに純粋体験を求めて飛び立つ
この行き来がうまく行くと、生きることに奥行きが出て来そうである
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