mercredi 28 octobre 2015

トルストイの 『人生論』 を読む

 

先日、アンジェに向かう直前にトルストイの『人生論』を持って出た

アパルトマンの出口には書棚が付いている

そこに置いているのは、殆ど日本語の本である

外に出る前に、目に付いた本を手に取って立ちながら読むことがある

それが意外に深い印象を残すことに気が付いた

短時間だと分かっているからなのか、立って読むからなのか

いずれにせよ、その時の気分に合うものの場合、そのまま持ち出すのが習い性となった

問題の『人生論』は、数年前に帰国した折、古本屋で手に入れたものである

若い時に読んでいたのかもしれないが、記憶に残っていない

いつものように、いつの日か読むことになるだろうと思ったのだろう


これは多くの人が指摘しているが、所謂人生論とは一味も二味も違う

生命論や科学論(より正確には、科学批判か)から始まっているからである

それが今の自分にはよく入ってくる理由だったのかもしれない

以前にトルストイと科学者メチニコフの対比を取り上げたことがある


メチニコフはトルストイに深い尊敬の念を抱いていた

そして、科学こそ、病める人類を救い出す唯一のものであると考えていた

一方のトルストイは、科学ですべてが解決できると考えているメチニコフを浅はかな人間と見ていた

この視点の違いは、こちらに渡る前に自分が抱いていた疑問とも深く関わるものであった

 『人生論』では、なぜトルストイがそう考えたのかが力強く展開されている

やや執拗に過ぎるとも思えるが、彼の考えは手に取るように分かる


人生(生命)とは、人が生まれてから死ぬまでの間だとわれわれは考えている

しかし、トルストイはこの考えに真っ向から反対する

人間として歩み始めるのは、理性的な意識が生まれた時である

そう言うのである

まさに、人間として生まれるのではなく、人間に成るのである

意識の問題もこれまでに触れてきた

外界に反応するだけの状態は、一次意識に留まっている

その状態を振り返ることができるようになると、二次意識が現れたことになる

そのことを意識し、そこに理性を持ち込むことが重要になる

彼が言う「理性の法則に従属させる」とは、二次意識、理性を伴った内省の強化のことではないか

それが達成した時、時間と空間は消えるという

そこでは自分一人の幸福を求めることにはならない

そう考えるのは理性的ではなく、人生の目的でもないからだ

そう考えることができるようになった時、初めて人間に成る

そこから真の人生(生命)が始まると言いたいようである


途中までしか読めなかったが、トルストイの言いたいところは掴めたという感触を持った




トルストイ幻想 (2010-10-29)













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