lundi 5 janvier 2015

この 「出来事」 にどう向き合うことができるのか


昨日、霧のブリュッセルからパリに戻ってきた

そう言えば、先日のシャルトルも最終日の朝は霧に霞んでいた

ただ、今回はタリスの出発時刻を間違えて覚えていたため、乗り遅れてしまった

そのため、往復の1.5倍の料金を払わなければならなかった

しかし、そんなことは霞んでしまうほどの 「出来事」 に遭遇

一瞬にして景色が変わるという想定外の年の始めとなった

この 「出来事」 がどういう影響を及ぼし、どんな意味を持ってくるのか

それは、この 「出来事」 にどう向き合うのかに掛ってきそうだ


前ブログに、こんな記事を書いていたことを思い出した

今読み返すと、少しわかり難いところもあるが、、、



冒頭には、こんなことが書かれてある

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アラン・バディウ(1937-)さんは、1988年に大著 「存在と出来事」 (L’Être et l’Événement) を発表した

バディウさんの言う 「出来事」 とは、それによって主体を実行や真理との和解に至らしめるもの

全なるものを超え、揺さぶり、全ならしめないようにするもの

それは新しい可能性の創造であり、この可能性こそ真理である

主体にとって真理と出会うとは、「出来事」 に忠実に向き合うことなのである

人間とは、すべての人間が規定されている死や有限性から脱した時にしか実現しないもの

われわれは、無限、絶対、そして考えられている人間の性質を超えたものに到達できるのである

そして、これこそが唯一の生の徴である

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