mercredi 29 octobre 2014

第8回 サイファイ・カフェSHE のお知らせ



第8回サイファイ・カフェSHEを以下の要領で開催いたします
 

テーマ: 「インテリジェント・デザインを哲学する」

日時: 2014年11月27日(木)、28日(金) 18:20~20:00  

定員: 約15名 (両日とも同じ内容です)


会終了後、懇親会を予定しております

この世界を理解するために、人類は古くから神話、宗教、日常の常識などを用いてきました。しかし、それとは一線を画す方法として科学を編み出しました。この試みでは、長い歴史を持つ科学の中で人類が何を考え、何を行ってきたのかについて、毎回一つのテーマに絞り、振り返ります。そこでは科学の成果だけではなく、その背後にどのような歴史や哲学があるのかという点に注目し、新しい視点を模索します。このような営みを積み上げることにより、最終的に人間という存在の理解に繋がることを目指しています。

今回はインテリジェント・デザイン(ID)を取り上げます。生物の在り様を説明する考え方として、ダーウィンによる変異と自然選択による漸進的な進化が広く受容されています。この説では、生命は行く先が決まっていないopen-endedな過程を歩むと想定しています。しかし、これらの思想では生命や意識の出現などは説明できないとして、宇宙や生命は「知性ある原因(デザイナー)」による方向性を持った過程だと唱えるIDが現れました。しかし、正統派の科学者の批判の対象になっています。一方、この考え方に共感を示す哲学者も現れています。生物の存在を考える上でIDには聞くべき点は何もないのでしょうか。今回も講師がIDの骨子を30分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。


参加を希望される方は、希望日と懇親会参加の有無を添えて 
she.yakura@gmail.comまでお知らせください  

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

よろしくお願いいたします






mardi 28 octobre 2014

第2回 生き方としての哲学を語る 「カフェフィロ PAWL」 のご案内




第2回カフェフィロ PAWLを以下の要領で開催いたします

PAWLは "Philosophy As a Way of Life" の略で、「生き方としての哲学」 を表しています

案内ポスター

テーマ: 「エピクロス: その物理学、哲学、生き方」

日時: 2014年11月21日(金) 18:20~20:00
 
哲学には、大きく二つの流れがあるように見えます。一つは、大学でやられている哲学 で、体系の構築を目指す哲学です。これに対して、自己の創造や人生を一つの芸術作品にしようとするような生きることに直結する哲学があります。カフェフィ ロPAWLは、長い間劣勢にあった後者の流れの中を歩む予定です。当面の間、生きることに関わる哲学を展開した哲学者の歩みを振り返りながら、そこで問題 にされたテーマをわれわれ自身に引き付けて考え、語り合うことを中心に据えることにしました。このような営みの中で、われわれの生き方に新しい風を吹き込 み、人間存在そのものに対する理解を深めることができれば素晴らしいと思っています。
第2回のPAWLでは、古代ギリシャのエピクロス(341 BC - 270 BC)を取り上げ、その科学と哲学、さらに生き方について語り合う予定です。エピクロスの自然科学によると、この世界は原子と空虚から構成され、何ものの支配も受けることなく原子は「空」の中を動き、偶然によってその動きが乱れた時に「もの・こと」が現れるとされます。彼の哲学はエピキュリアンとして現代でも誤って理解されている場合がありますが、長い間排斥された歴史があります。一体、彼の追及した快楽とはどのようなものだったのでしょうか。その点を理解すると、現代でも色褪せない彼の哲学が浮かび上がってきます。彼の科学、哲学、生き方を中心に講師が30分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換していただき、懇親会においても継続する予定です。

定員: 約15名

会場: カルフール C会議室

Carrefour


興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

参加を希望される方は、she.yakura@gmail.comまでご連絡いただければ幸いです

よろしくお願いいたします





lundi 27 octobre 2014

パリに戻る



本日、予定通りパリ・モンパルナス駅に着いた

久し振りに近くのカフェに立ち寄り、この数日間を振り返ってからアパルトマンに戻った





dimanche 26 octobre 2014

快晴のボルドーで、新たな発見

 L'Obélisque (2005)
Ivan Theimer (1944-)


午後から素晴らしい快晴になった

朝の空からその後を予想できない点で、パリの空に似て変わりやすい

折角なので、街に出ることにした

駅の方から真直ぐ中心部に向かって歩いて行くと、ヴィクトワール広場(Place de la Victoire)に着いた

振り返れば、これまでじっくり見ることがなかったところになる



Deux tortues (2005)
Ivan Theimer (1944-)


オベリスクの近くには同じ作者による親子のカメが置かれている

ボルドーのカメだけあって、ブドウ好きのようである

そこまではそうですかという感じだったのだが、近付いて甲羅や体を見て、驚いた

そこには想像を超える世界が広がっていたからだ



 これはほんの一部で、見ていると全く飽きない

その中に吸い込まれ、時間を完全に忘れる


 そこから目を上げると、ボルドー大学(Université de Bordeaux)の医学部が見える

その正面に立つと、左右にやや煤けた「自然」と「科学」の像が目に入る

 

 
 

以前はボルドー第2大学だったが、今年から第1、4と一緒になり、ボルドー大学として生まれ変わった

第3大学は、ボルドー大学モンテーニュ(Université Bordeaux Montaigne)として独立を保ったようである

今日も発見に溢れていた
















霧のボルドー


今朝のボルドーは霧に霞んでいる

昨日は僅か4時間ほど歩いただけだが、体が痛い

日頃の運動不足が祟ったのか

今日は静かに過ごしたいものである



時計とパソコンの時刻が違っている

一瞬、一時間得したような気になる

いよいよ冬時間が始まったことを知る





samedi 25 octobre 2014

遂に、ラ・ブレード城 (Le château de La Brède) 訪問



これまでの訪問では果たせなかったモンテスキュー(1689-1755)のお城をやっと見ることができた

モンテスキューについては何度か触れているが、前ブログにも記事がある

ボルドー三日目、モンテスキューが急に近くなる (2009-02-07): この日は劇的な流れだった



 今日の午後、ボルドーから南にバスで1時間、ラ・ブレード(La Brède)という小さな町に向かった

ラ・ブレード城 (Le château de La Brède)を見るためである

バス停から20分ほど車道沿いに歩くと入口は見えた

広大な敷地に入ると、遠くに目指すお城は見えた




兎に角、広い空間にあるので、何とも言えない解放感がある

お城の周りのお堀も素晴らしい自然の鏡になっていた

お堀は、最深3メートルとのこと

飛び込まないようにとの注意書きがあったように記憶している

鯉が沢山放たれていた



1時間毎に案内がある

案内の方は明瞭なフランス語で淀みなく話していた

時に劇場的でさえあるその話し振りは魅力的であった 



お城の向かいの芝で草を食む牛の群れを見つける

近付くと、興味津々なのかわたしの目の中を覗き込み、数分の間その目を逸らすことはなかった

最近、動物たちが離れないという現象に気付いていたが、より進化した動物ではその傾向が明瞭になる

そんなことを思いながら、この状態の中にいた



夜、ボルドーに着いてから市内を走るバスに乗り換えて帰ってきた

運転手に、おいくらですかと訊ねると、今チケットがないので無料ですとの返事

こんな答えがごく普通に返ってくる空気が、何とも言えず良い





vendredi 24 octobre 2014

ボルドー到着


今日のお昼過ぎ、ボルドーに着いた

パリ・モンパルナス駅を10分遅れで出発、3時間半の旅であった

これまで何度か来ているので、特別な感慨は湧いて来ない

今年は5月に訪問しているので、2回目になる

今回は、5月にできなかったことをやっておきたいという心でやって来た

 どうなるだろうか










jeudi 23 octobre 2014

二つのデジャヴュ


今日の午前中、新学期に向けての書類を出しに大学に向かった

今年はドクターコース3年の倍になる6年目なので、学生としては最後の年になる

これまでもそうだが、自動的に進級するわけではない

毎年、進捗状況を報告し、審査される

今回はその他に、なぜまだ大学院にいる必要があるのかを説明した手紙を要求された

La demande de dérogation という

これが認められれば、最後の学生生活を送ることができることになる


さて、このところの心象風景の変化は過去に出会ったことがあるように感じていた

一つは、科学者としての研究生活を終えることになる数年前に浮かんで来た景色である

それは、研究の海の中にどっぷりと浸かっていたところから海辺の方にゆっくり歩いているイメージである

海面から顔が覗き、「それ以外」の世界が視界に入るようになる状態とも言えるだろう


二つ目は、今日の写真にある景色を見た時に浮かんで来た感慨である

それは、不思議なことに「懐かしさ」と言えるものであった

つまり、現在を未来から見ている視線がそこにあるのである

現在が過去になっているのである

この感覚も一つのプロジェが終わりかかる頃に訪れるもので、これまで何度も経験している

これらのデジャヴュは、なぜかしっとりした感情を運んで来てくれるのである




mardi 21 octobre 2014

アポステリオリの省察から現場の思考へ


振り返りながら考えてきた学生時代だが、このところ様子が変わってきている

学生生活が終わるのは眺めていればよいが、終わらせることは大変である

やっとそう気付いたのか、少しずつ臨場感が戻りつつある

遅きに失した感は拭えないが、できるところまでやってみようという気になってきたようである

この変容に体が付いて行けるのか、それは様子を見るしかなさそうだ

これまで満ちた時を刻むことができただけでもお釣りが来るのだが・・・







samedi 18 octobre 2014

ヨーロッパの空の下


最近、拙エッセイを紹介させていただいた

そのエッセイについて、この夏パリあるいはヨーロッパを訪れた方から同じような感想が届いた

日本で読んでいた時と、例えばパリのカフェで読む時とでは印象が全く違うというのだ

パリ以外の町もあったので、ヨーロッパの空の下で読むと何かが違うと言い替えた方がよいかもしれない

それがなぜなのかはわからない

そこで話題になっていることが、日本の空気の中ではそれほど問題にされていないということなのか

より普遍的なテーマ、時に宗教的なテーマも含まれている

こちらの文物に触れ景色の中に身を置くことにより、奥底に眠っていたものが呼び覚まされるということなのか

あるいは、こちらの緩やかな時の流れの中で立ち止まり、自らに還りながら読むことができるということなのか

文章は何ら変わっていないので、受け取る側の状態による変化になる

ということは、今全く興味が湧いてこない場合でも将来変化が起こることもあり得ることになる

少しだけ希望が湧いてくるエピソードであった



dimanche 19 octobre 2014

考え直してみると、書いている自分についても同じことが言えるかもしれない

もしこちらにいなければ、同じようなことに目が向かったかどうかわからない

哲学的なことはもとより、普遍的なテーマについても自然に語っている

それは、こちらにいたからこそ書けたのではないかという気もする

 こちらでの時間がどこかに働きかけ、感受性や思考方法に影響を与えている可能性がある

ただ、それを自分で感じることは極めて難しい

自分の中では、これまでと連続しているという感覚の方が強いからだ

岡目八目とは、よく言ったものである






jeudi 16 octobre 2014

講演会 「科学における知の基盤を探る」 のお知らせ


科学と哲学に関わる講演会のご案内をいただきました

興味をお持ちの方は奮ってご参加を!


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「科学における知の基盤を探る」 講演会開催のご案内 
日時: 2014年11月18日(火)13:30~17:30
会場: 日仏会館ホール
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿3-9-25
入場料: 無料

  演題Ⅰ

「科学思想の源泉としてのフランス─デカルトから啓蒙思想へ─」

村上 陽一郎氏(東京大学名誉教授)

演題Ⅱ

「モノー 『偶然と必然』: 生物の生物らしさを分子から理解しようとする思索のあゆみ」

佐藤 直樹氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)

演題Ⅲ

「新しい自然誌(Histoire naturelle)を求めて」

中村 桂子氏(JT生命誌研究館館長)


参加ご希望の方は、池田忠生 tdikeda@ae.auone-net.jp にお申し込みください。

定員になり次第、受付を終了させていただきます。





mercredi 15 octobre 2014

連載エッセイ第21回 「17世紀の科学から豊穣と悦びのオランダの旅へ」

William Butler Yeats (1865-1939), an Irish poet
@Leyde (2012.5.29) 


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第21回エッセイを紹介いたします


« Un regard de Paris sur ce monde »

17世紀の科学から豊穣と悦びのオランダの旅へ

医学のあゆみ (2013.10.12) 247 (2): 213-217, 2013


 ご一読、ご批判いただければ幸いです





mardi 14 octobre 2014

ランスの彫刻、その後


先日訪問したランス(Lens)の町には、同じ作家のものとみられる彫刻が随所に見られた

その彫刻家が気になっていたが、自らの作品について語っているビデオが見つかった


イタリア語で炭坑夫を意味する Minatore と題する展覧会をやったようである

この町が炭鉱の町だったので、そこに関わった人へのオマージュなのだろう

このビデオに出てくる作品はほとんど見ていることが分かった

これらの作品に特にメッセージはなく、観て何かを感じてほしいとのこと





lundi 13 octobre 2014

連載エッセイ第20回 「ネガティブ・ケイパビリティ、あるいは不確実さの中に居続ける力」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第20回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2013.9.14) 246 (11): 989-993, 2013


 ご一読、ご批判いただければ幸いです






samedi 11 octobre 2014

久し振りのインプロヴィゼーション


今朝、バルコンに出る

暫くすると、理想的な空になった

晴れ上がった空に次々に飛行機雲が現れ、低空には旅客機が飛んでいる

アパルトマンのどこからか水の滴り落ちる音が聞こえる

ボストンの最初の冬の雪の翌日に聞いた雪が融けて滴り落ちる音が蘇ってきた

暫くすると、中庭からリコーダーのメロディーが流れてきた

懐かしさを誘うその音色を聴いているうちに自分でも演奏したくなり、予定を変更して街に出た

 楽器屋さんに入り、いくつか試して手ごろなものを手に入れる

教則本が数軒離れた姉妹店にあるとのことで出掛ける

結構、人で溢れていた

このように自分の体を使ってみようなどと考えるとは、驚きである


店を出て向かいのカフェに入ると、ギターの音が聞こえる

お客さん7-8人が輪になり、その中のお一人が奏でる音楽を時に手足でリズムを取りながら聴いている

わたしも御相伴に与った

ネットに繋がったのでメール箱を開けてみると、イタリアから便りが届いている

モディアノさんのインタビューの情報であった


何か全体が心浮き立つ音楽のような流れであった

久し振りのインプロヴァイズされた一日と言えるかもしれない



夜、モディアノさんのインタビューを聴いてみた

如何にもフランス人らしい、一筋縄ではいかない、ソフトな語りである

問いに対して、インタビュアーと同じ平面で、誠実に、考えながら答えているという印象を受ける

ということで、好感を持った

小説を読むのは、かなり先になりそうである







 

lundi 6 octobre 2014

アンドレ・グリュックスマンによるヴォルテール


今日のお昼にパリに戻った

ランスに向かう前、パリ北駅のキオスクで雑誌をいくつか手に入れた

ル・ポワンには、ヨーロッパの衰退を大きく取り上げた記事がいくつか出ていた

その中にアンドレ・グリュックスマン(André Glucksmann, 1937-)さんのインタビューがあった

久し振りに車内で読んできた

この方に関しては、かなり早い時期に取り上げている



最新刊 Voltaire contre-attaque が今日から書店に並ぶという

以下に、彼の言葉を掻い摘んで書き留めておきたい

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今緊急に求められることは、ヴォルテールが高く明確に掲げたコスモポリタン的自由を救済すること

フランスでも左右の保守派から攻撃に晒され、3世紀に亘るヴォルテールの緩やかな破壊が起こっている

この流れに対して闘う意思を示す意味もあり、この本を書いた

20世紀半ばの知識人はヘーゲル、マルクス、ハイデッガーとは対照的にヴォルテールを哲学者と見做さなくなった

哲学の中で教育されなくなったが、彼こそ最も現代的な哲学者である

彼は人種、グループ、国の境界などの根ざすもの、狂信主義を拒否した点でわれわれの同時代人なのである

ヴォルテール主義者であるということは、永遠に続く「揺れ」を受け入れること


今回、『カンディード』(Candide ou l'Optimisme, 1759)を読み、ヴォルテールを救済した

カンディードはわれわれの時代の人間である

その対極にあるのが、『ザディーグ』(Zadig ou la Destinée, 1747)である

こちらは才能に溢れ、金持ちの思想家として始め、そしてそのままで終わる

一方のカンディードはどこから来て、どこに行くのかも知らない

祖国も国境もない

いろいろな出来事に耐えるのは、彼の良心だけが基礎になる

ザディーグは運命を感じ取るが、カンディードは偶然を容認する

カンディードは共同体や国家に属さない

世界に開かれたヨーロッパ人であり、世界人である

啓蒙時代の人間なのである

あらゆる場所にいると同時にどこにもいない、発見する人間なのである

旅行者として過激に、そして永遠に生き続けるのである

共同体や国に属する人間が多数派なのに対し、国境を持たない人間は例外であり、多数派になることはない



外に開かれるに従い、逆に国家の感情が生まれるのは自然だとも言える
 
しかし、その場合の祖国は他者に対して閉じていて、最早時代遅れになっていて、機能しない

それは、19世紀から20世紀の三分の二の時代を占めた考えだった

ヨーロッパの冒険の偉大さを見ることができないというのは、恐ろしい衰弱である


フランス人が抱える不安に、アイデンティティの消失がある

しかし、アイデンティティとは与えられ、固定されたものではない

作られるものであり、修正されるものである

フランス人のアイデンティティは、共和主義と結びついている

アイデンティティは存在したのではなく、一つの契約を新たに発明したのである


プーチンは酷いやり方で自由主義とコスモポリタニズムに抗する動きを進めている

それが西洋人の一定部分を誘惑しており、このまま行くと戦争しかないかもしれない

われわれヨーロッパ人は何を護るべきかを知らない

ヴォルテールは何をどう護るのかを知っていた

この本を書いた理由はそこにある


普遍的な言説は政治的、知的エリートが打ち上げるものではない

彼らはヨーロッパという計画の基礎を揺るがすような面倒なことに立ち向かうことをしない

フランスのエリートには、親ロシアの心情がある

西ヨーロッパに見られるように、フランスには権力と金、武力さえも愛する心情を持っている

本質において、ヒットラー主義とプーチン主義にそれほどの差はない

勿論、プーチンはヒットラーではない(少なくとも今のところ)

しかし、ヨーロッパにおける国境を描き直そうとする彼の野心は、冷戦以来の危機である


わたしを善悪二元論者とする批判もあるようだが、そうは思わない

18世紀以来、二つのロシアがある

プーシキンの考えを好んでいるという意味で、わたしは善悪二元論者ではない

この大陸にはイデオロギーの対立が消えることがない

われわれの病理は善悪二元論ではなく、明晰さを最早持ち合わせなくなっていることである


イラクやリビアの状況を見ると、われわれの価値を輸出することがうまく行かなくなっているのではないか

自由という素晴らしい考えが空から降ってくるという見方が通用しなくなっていることは確かだ

普遍的な言説は、イスラムの脅威やプーチン主義、そして明日の中国に対しては力を持たないだろう

しかし、何もしないのでは解決にならない

われわれはほとんど最初から普遍主義者で、敵対者からもそう見られている
 
その立場を自ら否定することは、彼らの欲望を強めるだけである

  
2万人とも言われるロマは生贄となっている

道端に寝、貧民窟を彷徨い、社会に同化できないでいる

その一握りが6千万のフランス人を震え上がらせているというが、それはあり得ないことだ

安全や健康の問題になるという

確かにロマの行動には問題があるが、それは根っからのフランス人についても言えることだ

寧ろ、ロマが公共の危険になるというコンセンサスができていることこそ危険である

わたしが分析しようとしているのは、このことだ


5億人のヨーロッパ人はこれまでの覇権を失っていると感じていると言うが、全体としては最も豊かである

グローバリゼーションによる恩恵も受けている

しかし、そこに新たなチャンスがあると考えるのではなく、富と安全が危機に晒される要因を見ている

そこでは、ロマは何の脅威にもならない

寧ろ、ヨーロッパがヨーロッパであることの脅威を早く処理しなければならない

ヨーロッパは親アメリカであった

エリートの祖国のために親ロシアであった

自らの力に頼る大胆さを持ち合わせなかった

その挑戦に応じることも敢えてしない



カンディードの精神をどのように21世紀の政治に甦らすのか

それは、悪や専制政治やテロリズムに立ち向かう意志

生き方、考え方として、不確実性と寛容を受け入れること

民主的な庭を耕し、その扉を開く能力


これからの問題は、誰かがEUの原理である自由と寛容を引き継がなければならないということ

左右の選択ではなく、国家主義の中に閉じ籠る誘惑を拒否するか否かの選択である

ヨーロッパが経済的にもっとしっかりしていれば、影響力もあり、聞く耳を持たれると言われる

しかし、最も豊かな大陸であるヨーロッパの弱点を強調すべきではない

ヨーロッパ人は道徳的であり、精神的なのだ

もしわれわれが動かなければ、事態は悪化するだろう


フランスでの共同体主義の高まりにより、共和主義精神、そしてヴォルテール的言説は弱まっている

ただ、弱まってはいるが、死んではいない

ヨーロッパ的共和主義は蘇るだろう

わたしのヨーロッパが文学的であり、哲学的だと言うが、文学を軽視してはいけない

モンテーニュはアンリ4世とともに宗教戦争に終止符を打った

ヴォルテールは世俗主義(ライシテ)と寛容を発明し、人権宣言への道を拓いた

ソルジェニーツィンはレーガンと同様にベルリンの壁崩壊に貢献した

今も世界に語り掛ける偉大なヨーロッパ人を挙げるとすれば、・・・・・・・・・ ヴァーツラフ・ハヴェル

そして、自由を護るために専制に立ち向かっている世界に散らばる異端の思想家たちである  


(ランスのホテルの床で目が合った)




dimanche 5 octobre 2014

Louvre-Lens を訪問



今朝は、近くのカフェで2時間ほど仕事をしてからルーブル-ランスに向かった

その美術館は、広々とした自然の中にあった



ランスは炭鉱で栄えた町のようで、関連の施設や記念館などがある

ここは2012年12月に開館したようだが、元は炭鉱の跡地とのこと

設計を担当したのは、SANAA (Sejima And Nishizawa And Associates) 

妹島和世西沢立衛のご両人だ

そう言えば、以前にどこかで読んだような記憶が蘇ってきた

とにかく広い敷地に建物が広がっているで、一枚の写真に収めることができない

ガラスとアルミで出来ているとのことで、見ていて気持ちがよい



今日は入場無料になっていた

中に入ってもこの開放感

ここの空間を味わうだけでも十分である



それだけでも広いのだが、壁がぼんやり反射するようになっているので、さらに広く感じる

境がはっきりしないので、どこか雲の中に浮いているようにも感じる


ガラスのパビリオン (Pavillon de Verre)


ガラス越しの景色もなかなか味があった



炭鉱を記念して残してあるのか、遠くにボタ山が二つ見える


Figure de Fantasie (1769)
 Jean Honoré Fragonard (1732-1806)


今回の展示の中では、特に彫刻に魅せられるものが多かった

古代エジプトから中世にかけての作品が素晴らしかった

それとは別に、長い間ディドロの肖像だと思われていたフラゴナールの作品に出会った

わたしもそう思い、前ブログの主として使っていたものである

筆遣いや色遣いが柔らかく、気に入っていたのだが、実物は想像を超えていた

しかし、これはディドロではないという

ディドロは栗色の目をしていたようだが、こちらは目が青く、題名も確認できないらしい




 なかなか諦めきれず、近寄ってじっくりと眺める

近くにはジャン・アントワーヌ・ウードンの 「哲学者ドゥニ・ディドロ」 と題する胸像が置かれていた


 Le philosophe Denis Diderot (1775)
Jean Antoine Houdon (1741-1828)



2014年10月5日


ところで、今日は中心街の至るところに出店が出て、昨日が嘘のような物凄い人出

 歩くのに一苦労した

これ程までに人が出ているのに驚いた

空から写真を撮ることができれば、興味深い図が見られるはずだ


2014年10月4日



人ごみの中でこんなパンフレットを貰った

「ランスを救うために、私たちの町を目覚めさせましょう」 とある

今日の催し物もその一環になるのだろうか






ランス散策


昨日、ホテルに落ち着いた後、散策に出た

ランス駅前のビルは、すべて廃屋状態



駅前にあった彫刻だが、この彫刻家の作品が街に溢れていることを後で知ることになる







この作品の写真を撮っている時だった

後から 「ムッシュー」 という声が聞こえた

振り返ると若者二人がいて、写真を撮ってほしいという

カメラは?と訊くと、「あなたので」 という

後で送ってほしいのかと訊くと、撮ってもらうだけでOKという

不思議なカップルだった

やはり、ここはフランスか