vendredi 13 septembre 2013

興福寺中金堂へ瓦を奉納、千葉大学での講義で新しいアプローチの必要性に気付く


今朝、北円堂無著世親の像を目指して興福寺

いつでも見ることができると思っていた浅はかさ

今年は南円堂創建1,200年で 南円堂と併せて北円堂も4月から2カ月ほど公開していたという

これからであれば10月の一日だけとのこと

何ともはや

ただ、おみくじは大吉

平成30年落慶予定の中金堂

思うところを墨書した瓦を奉納した


午後東京に戻り、夕方「高い教養を涵養する特論」の講義のため千葉大学へ

指導的人材を育成するリーディング・プログラムで、院生の10%を選抜したようである

このブログラムの責任者は、徳久剛史先生

もう30年以上前、わたしがまだアメリカにいる時のこと

一時帰国して谷口克先生(現、理研)の教室でセミナーをさせていただいたことがある

 その時に若き徳久先生とディスカッションの機会を持ったことが蘇ってきた

よもや、30年後に同じ大学で哲学を語るようになろうとは想像さえできなかった

人生の不思議である


話のタイトルは 「新しい 『知のエティック』 を考える」 とした

昨日も院生が中心だったが、今日も同様

質問は職員からが主で、学生からの質問はなかった

質疑応答の後に質問に来た学生さんと話したところでは、話自体が難しかったとのこと

教養課程が縮小されていることは聞いていたが、その影響なのだろうか


文系の基礎知識が不足していることもあるのだろうが、それだけではなさそうである

わたしの指摘している問題は現役の科学者に関わるものである

そのため、学生の立場では問題そのものを体で理解できていない可能性がある

最初の問題意識を共有できていないので、その先が何のための議論なのかわからないことになる

そもそも大学院とは、全人的な状態にある人間を専門性の枠の中に入れる機関である

その意味では、彼らはわたしの指摘する問題をまだ抱えていない可能性が高い

教育者ではなく教育を受ける身であるため、そこのところが盲点になっていたことに気付いたのである

 今回の内容がファカルティ・レベルでは好評だったことも、このことの傍証になるかも知れない


当日の司会は斉藤哲一郎先生が担当された

時がスムーズに流れるように、随時適切な質問を出していただいたのは有難かった

プログラム関係者の皆様に改めて感謝したい



昨日よりもさらに明確になったこと

それは、学生に対しては研究者向けとは違う新しいアプローチが必要になるということ

自らの学生時代の頭を復元することは困難を極めるが、今後の課題になりそうだ

 今週の大きな発見であった



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