samedi 31 mai 2014

ダイナミックな一日を振り返る


昨日はまだ続きがあった

ボルドーに戻り、砂を落としてから街に出た

丁度この通りに入った時、サンティアゴ・デ・コンポステーラに繋がる巡礼路を示す印が目に入った

 ホタテガイ(Coquille Saint-Jacques)のマークである



この写真を撮っている時だった

通りかかった女性が、すぐ前に案内所があるので寄ってみてはいかがですか、と声を掛けてきた


 

中に入るとボランティアで働いている方がお相手をしてくれた

パンフレットなどをいただいた後、奥の方にある巡礼者が体を休める場所に案内される

必要な設備は揃っていて新しい
 
僅か1週間ほど前にアラン・ジュペ(Alain Marie Juppé、1945-) 市長臨席のもとにオープンしたばかりだという

 

 左のお二人がボランティアの方で、後から来られた右の方が事務局の責任者とのこと

 案内をしてくれた左の男性の市長評は高かった

それまでのくすんだボルドーを明るく動きのある町に変容させてくれたという




日本を出る前にサン・ジャック・ド・コンポステルへの道を特集した番組を観ていたことを思い出す

2007年のことである

一度様子を見るのも面白いのではないか、そんな考えが一瞬浮かぶ


今調べたところ、最近は当てにならない記憶に間違いはなかった

世界ふれあい街歩き 「巡礼の道」 (2007-08-06)

まさしく、こちらに渡った月の初めだった




メゾン・デュ・ぺルランを出て暫く散策

一日お付き合いいただいた方とサン・ピエール教会前の広場にあるレストランでディネ



 

そして日没近くになり、この日二度目の周りが見えなくなる経験をする

狭い道の両側の建物に落日の太陽が嵌まり込み、辺り一面が暗くなった

その時、太陽の光がわたしを照らし包み込んだのである

今度は真っ白に光り輝く世界が目の前に広がった

数分は続いたと思う

それにしても何が起こるかわからない


 
ディネの後、人で溢れる金曜の夜の街を歩く

そう言えば、ピラの砂丘にもたくさんの人が来ていた

木曜日がキリストの昇天を祝う祝日(Ascension)だったので、飛び石連休になっていたようだ


 Sanna de Jaume Plensa


ダイナミックな一日を振り返りながら、連日のサンナさんに挨拶して帰路に着いた






vendredi 30 mai 2014

アルカションでの対面の後、ピラでハプニング


天気予報を裏切る好天の下、アルカション(Arcachon)へ向かう

ボルドーからは1時間弱で着いた

まず海洋博物館へ

いろいろな表情との対面を愉しむ




 
























予想外の収穫があった博物館を出て、デジュネ

その後、ヨーロッパで最も高い砂丘といわれるピラの大砂丘La Grande Dune de Pilat)へ急ぐ

何とかアルカション駅前発のバスに間に合い、20分ほど揺られてピラへ

他人のことは言えないが、荒っぽい運転であった



 ピラ到着早々、砂丘の階段を登り始める

日ごろの運動不足のせいか、はたまたデジュネのワインのせいか、続けて登ることができない

休みながらの登りになった






途中、元気よく砂丘を走り下りる若者がいる

若さの素晴らしさだろう




 やっとのことで頂上までたどり着いて暫くすると、異変が起こった

周りの景色が銀色に明るく輝いて、ものの輪郭が見えなくなった

砂の上に置いたはずのペットボトルも銀色の中に溶けてしまい、どこにあるのかわからないのだ

このままいけば失神ではないかと思ったが、次第に銀色が退き、輪郭が見えるようになった

本当に何が起こるかわからない

1時間ほど砂の上で砂混じりの風を浴びながらゆっくりする



落ち着いたところで、砂丘を下ってきた

砂まみれになるが、階段よりは早く、楽でもあった







jeudi 29 mai 2014

ボルドー散策


ボルドー中心部を散策

 去年は修復中だったように記憶しているジロンドの記念碑の彫刻も見られるようになっていた

カンコンス広場にいるモンテーニュさんとモンテスキューさんとも再会



 

 


 Sanna de Jaume Plensa
@ Place de la Comédie


ジョーム・プレンザさんがここにも作品を出していた

実は3年ほど前。ニースのマセナ広場(Place Masséna)で彼の作品を見ていたことを思い出す



地元の方とディネ

気が付くと3時間ほどがあっという間に経過していた







一年振りのボルドー


一年振りのボルドーである

別の場所で考えるために

 天気予報は芳しくなかったが、パリは晴れでボルドーも青空が見えている

 途中、前の方に故障車がいるとのことで20分の遅れがあったが、ボルドーにはほぼ定時に到着

TGVでは珍しくない出来事だ


車中、これまでのメモを読みながら来た

ほとんどが念仏のようなものの中に、それができていれば素晴らしいのだが、、、というのもある

瞑想と称する何もしない時間から抜け出て、行動を始める時ではないのか

そうは思うのだが、体が動かない

瞑想の期間が長くなると、それでなくてもやりたくない仕事を益々やりたくなくなるという副作用が出る

バランスが重要であることはすべてに当て嵌まるのだろう

要注意である




mardi 27 mai 2014

北斎さん、再び

 描く晩年の北斎さん (江戸東京博物館)


 先日、歌麿(1753?-1806)と北斎(1760?-1849)を扱った番組を観た

こちらから

 もう8年半も前になる東京で観た北斎さんを思い出す


その時初めて北斎さんの全貌を目にして、活動の長さと幅と深さに圧倒されたのである

人生の相に合わせて名前を変えていることも印象に残った

北斎さんを昔の人とするのではなく、現代に生きる人として見直すと多くの示唆を得る

モンテーニュ(1533-1592)を評してニーチェ(1844-1900)が語ったという言葉を自分でも使ってみたくなる

「このような男が書(描)いたという事実を知ると、本当にこの地上に生きることに益々の悦びを感じる」





dimanche 25 mai 2014

夕暮れに虹を観た


 夕方、空を眺めていた

鳥が家に帰るところなのか、いつものように舞っている

 遠くを飛ぶ何機かの機体が夕日を浴びて赤みを帯びている

なかなかいい眺めだ


そんな景色を眺めている時、金曜の夕方、素晴らしい虹を観たことを思い出した

最初は目の前に垂直に見えただけだった

それが次第に弓なりになり、最後は完全な橋になってくれた

夕日に映える雲をバックに見事な虹だった 

これは何を意味しているのだろうか

今はわからない


 わたしのカメラの限界か、虹は肉眼の方が素晴らしいことに変わりはない





jeudi 22 mai 2014

映画 "D'Une Vie à l'Autre" を観る


"D'Une Vie à l'Autre" という映画を観に出る

直訳すれば、「一つの人生からもうひとつの人生へ」 となる

観終わった後の印象では、原題の "Zwei Leben"("Two Lives") の方がしっくりくるように感じた


第二次大戦中にドイツ兵とノルウェイ人女性との間に生まれたカトリーヌが主人公

生まれてすぐにヒムラーが造ったアーリア人のための孤児院に入れられる

後に母親に会うために脱走を図る

その時にシュタージ(Stasi)との関係ができていた

20歳からノルウェーで生活し、映画が始まる1990年には家庭も持っている

再会を果たしたことになっている母親と夫と子供と孫との生活である

しかし、自分の過去と現在は誰にも話していない

真実を語ることが如何に難しいことか

そして、大きな嘘により家族の信頼関係は完全に崩れてしまう

幾重にも重なっている秘密が一枚一枚剥がされ、悲劇的な最後を迎える


大雑把に、これは戦争の悲劇だ、と括ることもあるだろう
 
そうではあるのだが、その中でも選択の余地が残されていたことが分かる

シュタージのどこまでも冷酷なやり方も見えてくる

最後まで緊張感を失わない映画で、久し振りにリヴ・ウルマンさんを観た 

そして、ノルウェイの景色が美しかった


そう言えば、カトリーヌさんがカヌーで戻ってきた時、"J'ai réfléchi" (わたし考えていたの) と言っていた

外気に触れながら海の上でひとり隔離されている状況

それは考えるためにはうってつけではないか、と思いながらその言葉を受け止めていた










mardi 20 mai 2014

キャンバスの大きさが思考の広がりを決める?


こちらに来て以来、ノートは大学の講義から個人のメモに至るまでB5版に近いものに変わった

先日のコロックでのこと

その日ノートを忘れたため、手持ちの印刷した紙の裏にメモしていた

お昼休み、リブレリーで別の目的のためにこちらに来て初めてになるA4版のノートを手に入れた

午後のセッションが始まり、メモ用紙がなくなっていることに気付き、このノートを使ってみることにした 

暫くして、これまでより話を大きく捉えられるようになっていることに気付き、驚く

ノートのサイズがこれ程の影響を与えているとは・・・

誤謬は豊穣の母

当たり前のように見えることだが、7年という歳月がその違いを際立たせてくれたのだろう

いずれにせよ、もう少し試しながらこの観察の普遍性を確かめることにしたい






dimanche 18 mai 2014

医学教育における人文・社会科学について考える (3)

 Dr. Vinh-Kim Nguyen (Paris & Montréal) & Dr. François Villa (Paris)


 まとめの最後に、お二人のお話を簡単に紹介したい

一人目は、フランスと北米、特にカナダの経験をお持ちのヴァン・キム・グエンさん

大西洋を挟んだ相違点と類似点を紹介していた

まず、フランスの医療が民間保険によるのに対し、カナダは公的負担で賄われている

医学部の学生は、フランスが均質であるのに対し、北米は大学を終えてから入るので多様性がある

北米の学生は普通22歳で医学部に入るので、それまでの経歴に幅が出てくる

さらに、人種的にも多様であり、社会の構成に対応するためには望ましいと考えられている

教育にかかるお金は、フランスではないのに対し、北米では年に5万ドルくらいかかる


SHSの視点から見ると、これまでに次のような変化があったという

80年代から技術的に高度な医療が盛んになり、人間が蔑にされる傾向が出てきた

エイズや社会の辺縁に生きる患者への対応が問題になってきた

それから、疲労、悲しみ、痛みなどの科学的には曖昧な問題が扱われ始めた

最近では、学部の1年目から生身の患者さんに触れる機会が増えている

 そのため、これまでの科学としての医学に留まらない学際化が始まるようになってきた

そこにSHSが関与できる余地が現れた


MD-PhDプログラムにおいて、最初からSHSを教えるべきという考えが出ている

90年代からは cultural competency として、どのように他者を扱うのかについて教えるようになった

他者の中には、異なる宗教に属する人、ベジタリアン、同性愛者などなど

その過程で、人類学や文学が積極的に取り入れられるようになっている

昨年取り上げたコロンビア大学のリタ・シャロンさんによる narrative medicine もこの中に入るだろう


教育におけるパラダイムを大きく分けると、次の三つになるという

「意味」を扱う人文科学、政治・経済学的見方(マルクスとフーコーの流れがある)、そして社会学的視点である


これはメモになるが、アメリカでは疫学は教えるが、公衆衛生は医学部の対象外になっているという

それから卒後レジデントをする病院を決めるための The Match と言われるシステムがある

これは医者と病院側が希望を出し、それをコンピュータ処理でマッチングをするというもの

プロセスがブラインドなので、3月の第3金曜日のMatch Dayを緊張して待つという

相当のストレスで、これが終わるとヴァカンスのような気分になるとのお話であった


Dr. Orkideh Behrouzan (Londres)


二人目は、テヘラン大学医学部を卒業した後、人類学を修めているオーキデー・ベルーザンさん

テキサス大学で教えた後、現在はロンドンのキングス・カレッジで教鞭を取っている

問題意識は、医学と医学の外、患者と医者の間にある緊張関係にどう対処するのかということ

特に、語りに焦点を合わせてこの問題を考えてきたようだ


すべての語りは社会的・政治的状況の影響下にある

イランではイラン革命を経験しているので、それが生の形で顔を出していたという

彼女が22歳の時、白血病の少女が骨髄移植、化学療法を受けた後、脳転移で亡くなるという経験をした

大きな衝撃を受けた彼女が上司に相談したところ、患者に近すぎると言われたという

詩人になるか、医者になるかを決断しなければならないというわけである

語りにおいて、人類学は何を教えることができるのか

narrative medicine の具体的なやり方が見えないとも言っていた


そして、誰のための語りなのかと問う

最後に登壇したフランソワ・ヴィラさんも言っていた

医療の側は、どのように患者さんに接するのかという問いを出す

しかし、患者の側から見れば、どのように医者に接するのかということである

つまり、対象は患者の側だと思っている自分は、実は対象になっているということ

この双方向性を忘れがちになる

医療の側が自分たちこそ対象になっているという視点を得ることにより、全く違う景色が見えてくるだろう

語りにおいて重要になるのは、まさにこの点ではないか

そんなところに落ち着きそうである





samedi 17 mai 2014

医学教育における人文・社会科学について考える (2)

Dr. Céline Lefève (Paris) & Dr. Orkideh Behrouzan (Londres)


ディドロ大学、ジョルジュ・カンギレムセンター責任者のセリーヌ・ルフェーヴさんのお話から

まず、なぜ SHS を教えなければならないのかという問いとともに、フランスの状況を説明していた

 医学教育が記憶中心になるのは世界共通で、フランスでも考え、省察する時間がないことに変わりはない

科学に基づく技術と実践が中心になる医療においては、暴力的なことも行われている

しかし、その場から離れた視点がなければそのことに気付かない

その意味でも、歴史的、倫理的、哲学的、科学的な省察の時間が必須になる


そのために映画を用いたコースを持っているという

学部3年目で20時間

患者さんを手当することの意味と難しさ、する方とされる側の体験、両者の関係とその限界など

定義し、記載し、検討する

そこでの最終目的は、「患者を聴く」 ということになる


そのためになぜ映画やフィクションが必要になるのか

それは病人が生きているということの複雑さを再現していること

そのため、病気を前にした病人の生と価値観の特殊性を掴むのに向いていること

 患者を取り巻く倫理的な問題を具体的に扱うことができることなどの理由が挙げられる

それらすべてが、視点の中心を医療の側から患者の側へ移すことに繋がる

治療という行為が双方向のものであり、そこでの選択が社会の規範や倫理に叶うものであることを学ぶことになる


 用いている映画の紹介があったが、その中に黒澤明監督の 『生きる』と『赤ひげ』 が入っていた

それぞれ、死の宣告と苦しみの経験と治療することを学ぶということの意味を描いた作品として

その他には、以下の映画が取り上げられていた

People Will TalkBringing out the DeadN'oublie que tu vas mourirGattacaLes maîtres fou 











vendredi 16 mai 2014

医学教育における人文・社会科学について考える

(左から) Vinh-Kim Nguyen (Paris & Montréal)、 François Villa (Paris)、
Céline Lefève (Paris)、Orkideh Behrouzan (Londres)の各氏


 昨日は朝から国立東洋言語文化研究所INALCO) へ

 Institut national des langues et civilisations orientales

初めての場所で医学教育における人文・社会科学(SHS)をどう考えるかの一日とするために

Sicneces Humaines et Sociales

現代医学は統計学に基づく「真理」に寄りかかり、集団に当て嵌まる真理を基に個人に対処する

しかし、病気が一つひとつ違うように、病人も一人一人違う

医療の現場は、科学としての医学と社会の中にある人間が交わる場所であることは今でも変わらない

 それを統計的な知を基に対処して良いのか


Former les professionnels de santé à la responsabilité et à la décision

このコロックの問題意識は、そこにSHSの役割があるのではないか

もしあるとすれば、それはどのようなものなのか、ということになるだろうか


今日は、アムステルダム大学で医学倫理について研究されているDick Willems さんのお話を紹介したい


Dr. Dick Willems (Amsterdam) & Dr. Carine Vassy (Paris)


Dick さんのテーマは、証拠に基づいた医療の時代における人文科学教育について

EBM:  Evidence-based Medicine

まず、オランダにおけるSHS教育の内容を4つに分けて紹介していた

一つは、医学が置かれている哲学的コンテクスト

その中には、意味を与える主体としての個人、個人差、自律とアイデンティティ、因果性、診断、予防などがある

二つ目は医学倫理の基礎で、安楽死、遺伝子治療、移植、新技術の導入などに関わる問題が扱われる:

三つ目は、科学と非科学の知について

そこでは、量的科学と質的科学、代替医療とその評価、実証的哲学と科学の社会学などが論じられる

特に、盲目の実証主義の危険性について注意を促しているという

そして第四は、医学、科学の歴史で、重要な発見や健康と病気の定義の変遷などが扱われる


その上で、医学にSHSを導入することにより良い医者が生まれるのかという問いを出し、検討していた

結論から言うと、次のような理解を助けるのでイエスであった

人間という存在の状況、文化的、社会的な相違や多様性、医学知を補完する知を理解するようになる

そのことにより、医療に携わる者としての責任を理解できるようになるという理由であった


こんなことを言った人がいるという

「科学に凝り固まった医者は、想像力を欠く詰まらない人間になる

一方、科学を無視して芸術家を気取る医者は、無駄におしゃべりをする人間にしかならない」

 つまり、良い医者になるためには、科学と芸術の両方が必要になる


SHSでは「意味」に重点が置かれるので、物語、映画、芸術作品などを教育に採用する

小グループでのディスカッションも有効になる

現象の背後にある意味やコンテクストについての洞察、理解が求められる

それは科学では避けられる曖昧さや複雑さを伴うものである

EBMの優れた点は認めた上で、Dickさんは価値に基づく医療(VBM: Value-based Medicine)への変換を訴えていた


ところで、Dickさんは何語で話しますか、オランダ語でもいいですよ、と冗談を言ってから話し始めていた

結局、何の不自由さも感じさせないフランス語でやっていた

羨ましい限りだが、もう驚かなくなっている








lundi 12 mai 2014

連載エッセイ第16回 「修道僧にして哲学者、科学者のジョルダーノ・ブルーノ、その壮大な宇宙」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第16回エッセイを紹介いたします

ご一読、ご批判いただければ幸いです

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ (2013.5.11) 245 (6): 541-545, 2013







dimanche 11 mai 2014

メモが過去の遺物に見え始めている


最近、ある変化に気付いている

こちらに来て半年くらいからメモを書いている

200ページのノートがひと月で新しくなっていたので、今ではかなりの量になっている

これまではそのメモを貴重なものとして、読み直す時間が取れないことを残念に思っていた

その中にはこれまでの精神的、肉体的生活の貴重な跡が詰まっているからだ

それが、最近メモから離れつつある

そのあたりに転がっているメモの塊が過去の遺物のように見え始めているのである

7年という年月がそうさせているのだろう

しかし、その背後にどのような変化があるのだろうか

その中身は今はわからないが、大きな変化として注目している




vendredi 9 mai 2014

今のヨーロッパ、昔のヨーロッパ


輝かしき祝日が明け、街に出た

メトロでこの写真を撮っている時、ホームの椅子に座ったご婦人から「ムッシュー」と呼び掛けられた

「あなたはヨーロッパを支持しますか」 というのである

丁度、欧州議会議員選挙が迫っているようだ

 「ヨーロッパ的なものは好きですが、、」 と答えると、「わたしは支持しません」 と言う

どうも話が噛み合わないと思っていたら、今のEUというシステムについての問いだったようだ

その後にこんな話が出てきて、それがわかった

何で仕事もしないギリシャのために、われわれの金を注ぎ込まなければならないの?

移民の受け入れもほどほどにしないと、失業率が高くなる一方でしょう

昔のヨーロッパは本当に良かった、、、


わたしの立場は、こちらに来た時から一貫している

今のフランスやヨーロッパを見てやろうというよりは、その奥に潜んでいるものを知りたいとい方が強かった

現実のフランスにはあまり目を向けることなく、過去に遊んでいたのはそのせいだろう

社会で働く立場にいなかったからこそ、それが可能だっだのかもしれない

街に出ると何かが起こるパリ、というところだろうか





mercredi 7 mai 2014

鈴木孝夫博士の講演を聴く

Pouch  (1944-)


曇ったかと思えば雨になり、雨になったかと思えば青空が見える

忙しい一日だ

夜はどうなるのだろうか


言語社会学者に鈴木孝夫(1926-)という方がいる

お名前は存じ上げているが、どのような仕事をされたどのような人なのかは知らなかった

昨日、昨年京大で行われた講演の様子をネットで観ることになり、どのような人なのかを垣間見ることができた

いつものことだが、どのようにしてそこに辿り着いたのか思い出さない

まさに蜘蛛の巣のようになっているのが、この世界





80代後半であるが、お元気である

いろいろなことに興味を持っている様子が伝わってくる

官僚的なありきたりの言葉ではなく、個人の生々しい言葉で語っている


主張は、日本語があくまでも基本であること

日本人のすべてに英語を課すというやり方は馬鹿げているとの考えをお持ちだ

今よりレベルの高いところで少数の人が外国に対する役を担えばよいという点も同感である

 他にも興味深い話が詰まっていた


大きなポイントだと思ったのは、これからの世界を牽引できるような日本製の思想を発信していくこと

これにも賛成せざるを得ない

大変な仕事だろうが、日本の存在感を示すにはこれしかないような気がするからだ

仲間内だけで議論しているような状況から抜け出すことが、第一段階になるのだろうか

この方向性で多くの人が出てくることを期待したいものである





samedi 3 mai 2014

ハンス・ヨナスさんの哲学に触れる


どうしても気分転換が必要なようである

今日は午後からハンス・ヨナス(1903-1993)さんのコロックを聴きにソルボンヌまで出掛けた

最近書いたエッセイとも関連するテーマが出ていた

生の倫理

滅びるものとしての生

生の終わりの問題

医学による生の無意味な延長

そこから出てくる死ぬ権利などなど

 最後の話に何とか間に合った



街は観光シーズン真っ盛り

人で溢れていた

気持ちの良い季節が始まっている





jeudi 1 mai 2014

締った一日


今日は5月1日で祝日であった

昨日・今日と久しぶりに集中

それにしても自分が以前に書いたものを書き直すだけで、これほどの時間が掛かることに驚いた

すべてが遅くなってきたのだろうか

50ページでこの調子だと、先が思いやられる

いつも三つ、四つは抱えているが、そのどれもが気になり、どれもできないというのがこれまでであった

しかし、一時にはどれか一つしかできないという当たり前の諦めを覚えつつある


今日は夕方、外に出た

ぱらぱらだった雨がカフェに落ち着いてから激しさを増した

隣には、早口で捲し立て合っている若者二人

何を言っているのかわからない

その音楽をバックに、ゆっくり二時間ほど読み、小降りになった頃を見計らって帰ってきた

締った一日だった