mercredi 5 juin 2013

ニコラ・グリマルディさんによる表象と生命


先日、ボルドーの旧市街散策中、リブレリーに入る

行きの車内で発見したニコラ・グリマルディ(NIcolas Grimaldi, 1933-)さんの本が目に付いた


「わたし」 とは何かについて論じている本らしい

  帰りの車内で目を通す
 
目次を見ると、最近耳にすることのなくなったスノビズムダンディズムの言葉が見える

この二つは 「わたし」 とどう関係してくるのだろうか

読むことができたところから見えてきたことをいくつか


グリマルディさんは、 この問題を表象(La représentation)と生命(La vie)との対比で論じている

表象に頼って生きるのがスノッブであり、ダンディだというのである

彼らの現実とは表象だけなのである

それでは表象の元々の意味は何か

表象とは、他人の目の前で位置付ける行動のことである

スノッブは他人がどう見るかにしか興味を示さない

ダンディはもっと複雑で、他人にどのようなイメージを与えるのかに注意を払う

俳優のように、他人を驚かすことを一つの挑戦として自らに課すのである

彼らは他人に完全に依存している存在である

そこでは、主体としてどのように感じているかが完全に欠落している

自らの内を覗くことがない、主観がないのである

主観を可能にする孤独を受け入れることができないのである

他人に依存し、孤独に耐えることができないところに主体性も自律も生まれない


その生き方の対極に、内なる生命の迸りを持ち出している

生きるということは自らで溢れることである、とはグリマルディさん

(Vivre, c'est déborder de soi.)

生命から迸り出る何かが他者に浸透することにも繋がる

外に食み出すダイナミズムである

しかし、そこには孤独が付き纏っている

ある意味では、生命が内なる表象の中に隠れていることになる


孤独に別れを告げ、外に表れる表象の中だけに生きるのか

 孤独とともに、自らの内なる表象としての生命を活性化させて生きるのか

あるいは、この両者のバランスをどのように取って生きるのか

われわれに突き付けられているはずの問いである





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