Jacques Cujas (1520–1590)
3日間に亘り朝から晩まで英語とフランス語の世界にいた
そのためか、今朝は欧米の精神世界の中にどっぷりと浸っているという感覚とともに目覚めた
あの異界の中にいるという感覚でもある
その感覚は庵の中で日本語とともに暮らしているところから引き出す力を持っているように感じる
フランス語と英語の世界の中にこの身を投げ出し、そこで生きるという感覚が戻ってきたようでもある
そうすることにより、新しい姿勢で自らの中に還ることができれば、面白い展開になりそうだという予感が生まれている
昨日感じたことを思い出していたが、もう少し違う表現ができそうである
それは昨日聞いたお話から見えてくるアメリカとフランスの文化の違いについてである
より正確には、言葉と思考との関係になるだろうか
アメリカとカナダには、考えたことを淀みなく話すことをよしとする文化がある
わたし自身もその哲学の下にやってきた
この場合、話している時には考えていないのである
一応考えた結果を虚空に発するだけなのである
そのことに気付いたのは、フランスの若手の話す様を見た時である
彼の話振りは、思考の過程をなぞるように話しているというものであった
話すその時に考えていることがわかるのである
言葉と思考が寄り添っているとでも言うべき風情なのである
言葉が単なる記号に堕していないとでも言えばよいのだろうか
ひょっとすると、この密な関係をフランスのものを読む時にも感じていたのではないか
それをよいものとして感じ、考えるようになったため、その関係の薄いものには感じなくなったのではないか
そんな想いが湧く
思考と言葉の関係をどれだけ深くできるのか
そこにすべては掛かっているのではないか
一夜明けての感想である
ところで、昨日のメトロでは孔子のこの言葉に出遭っていた
「人生には二つある。二つ目というのは人生が一つしかないことに気付いたその日に始まるのである」
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