dimanche 29 novembre 2015

作家の作法



7年前のブログを読んでみる

その中にあった1968年10月18日放送の「川端康成氏を囲んで」という放送を観直してみた






まず、最近では見かけることのない個人の間の礼儀正しく端正な距離感に打たれる

このような姿勢はいつの間にか失われ、個人の間がだらしなくなっているように見える

アメリカの影響なのかどうかわからないが、砕けすぎているように見えることが多い

幼くなり、個人として相手に対する真剣さや敬意が薄れているように見える

恰もそれが良いことのように


7年前はマスター2年目のミニメモワールを書かなければならないと意識していた時期に当たる

7年後は学生生活の総仕上げとも言えるスートゥナンスが迫っている

これがどうように終わるのか、全く分からない

上の鼎談で、川端氏の仕事振りについて三島由紀夫氏が解説している

それを聞き、一つの考えが巡っていた


それは、何かに向かう時、やたらと騒ぎ立てるのは余り美しいことではないというものである

やれ大変だとか、やる気にならないとか、苦しみの結果終えることができたなどという類のことである

孤独の中で苦しんで書いているだろう川端氏も、それは当然と言わんばかりに飄々としている

書くことを仕事にしている人にとって、これは一つの美学になるのだろうか

最近の自らを振り返ると、まだまだ修行が足りないようである





samedi 28 novembre 2015

これは不治の病か



今日も快晴の朝である

Le Grand Jour が迫っていると言われるが、困ったことに未だピンと来ていない

なかなか手を付ける気にならないのだ

外は素晴らしいが、 また最後まで苦しむことになるのだろうか

この病、どうも治りそうになさそうである






jeudi 26 novembre 2015

事務処理未だ終わらず



昨日は雨の一日だったが、今朝は雲一つない快晴となった

本日、新年度の事務処理を終えるため、大学に出かける

しかし、担当の方が1週間の病欠とのことで来週以降になりそうである

なかなかぴしっと決まらない


大学に寄ったついでに、スートゥナンスの部屋を覗いてきた

それなりの広さがある

スートゥナンスはソーシャルイベントとのこと

社会性を断ち切って庵暮らしをしてきた身なので、突然世の中に放り出されるような感じだ

 ご都合のよろしい方のご参加をお待ちしております





vendredi 20 novembre 2015

スートゥナンスのご案内



スートゥナンスの詳細が決まりましたのでお知らせいたします

(フランス語版はこちらです)


日時: 12月7日(月)、9:30~

場所: 264 E 号室, Halle aux Farines

Université Paris Diderot 

16 rue Françoise Dolto 75013 Paris 

大学の地図はこちらです

アクセス: Métro 14, Bibliothèque François-Mitterrand


テーマ

 「免疫学が問い掛ける哲学的・形而上学的諸問題」

Philosophical and Metaphysical Problems Posed by Immunology
Problématiques philosophiques et métaphysiques posées par l’immunologie


MEMBRES DU JURY 

Pr Alain Leplège, Directeur de thèse, Professeur, Université Paris Diderot  
Pr Geoffrey Butcher, Chef de groupe, Institut Babraham, Cambridge, U.K.  
Pr Anne Marie Moulin, Directeur de recherche CNRS, UMR SPHERE CNRS/Université de Paris   
Pr Anne Fagot-Largeault, Professeur, Collège de France 
Dr Thomas Pradeu, Chargé de recherche au CNRS, UMRD5164



終了後に簡単な懇親会(pot)が予定されています

興味をお持ちの方のご参加をお待ちしております






mercredi 18 novembre 2015

自らの産物を直視できるのか

Paysage


10月初めに論文を書き終えた

殆ど奇跡的としか言いようのない展開で、形だけは作ることができたと言い換えることもできる

ということで、恥部に触れるような感じがあるためか、これまで読み返す気分にならなかった

しかし、そうも言っていられない時期に入って来た

読み返した時、どのような感想が湧いてくるのだろうか

興味津々である

大切なことは、目の前にあるものこそが今の自分の姿であると理解すること

こうもできたのでは、と考えても仕方がない

それをできなかったのが、今の姿なのだから




mardi 17 novembre 2015

ゆっくりしたフェードアウトか

Vue de Flandre en hiver (partie)
anonyme, Holland, 1653


再登録のため本日も大学へ

しかし、「こと」はすんなり進まない

その前にやることがあることが判明

必要書類を揃えてから再び出向くことになった



振り返ってみると、不思議なものである

今の状況は、元はと言えば正月の悲劇的な出来事の一つの帰結である

本来であれば、論文の如何に関わらず学生生活はバカンス前に終わっていたはずだからである

出来事にはいろいろなものを生み出す力がある

すぐに結論を出さず、その出来事を抱きしめて過ごすことが重要なのだろうか

その波紋を観察し味わうことで、この生を楽しむことができるからだ 

プラスとマイナスを受け入れながら


まだ手続きは終わっていないのだが、ある気分の変化に気が付いた

このところ終わりを迎える時に感じるセンチメンタルな気分が漂っていた

しかし、それが少し薄らいできたようなのだ

 急激な終わりではなく、ゆっくりとしたフェードアウトになりそうだと感じたからだろうか

実際どうなるのか、暫く様子を観察したい





lundi 16 novembre 2015

パリ市内を動き回り、無垢の欲求が蘇る



本日は朝からパリ市内を動き回った

まずソルボンヌ前にある論文製本所へ

こちらに来てから何度もその前を通っているが、わたしにとって何の意味もないところであった

ほんのひと月ほど前までは

不思議なものである


今日のソルボンヌ界隈は人が溢れて、すんなり歩けない

大学の入り口が厳しくなっているのとお昼の沈黙の時間を持つためだろう

「広場」が哀悼の意を表するために集まった人で溢れている

如何にもパリらしい景色だ

報道陣も目に付く

残念ながら、今日もカメラを忘れた


この製本所は朝出すとお昼までに作ってくれるので、そこで注文してから大学へ

大学に出す書類の確認のためだ

入口は一か所になり、荷物検査も行われていた

早速秘書のSさんに尋ねると、想像とは違い論文の内容に関する書類だけでよいとのこと

お昼に製本所に戻り、出来上がったものを審査員に発送

 結構時間がかかった

ポストで静かにしてくださいと言われる

丁度沈黙の時間だった


それから論文を提出するため、再び大学へ

残念ながら担当者が不在だったが、通りかかった人が棚に置いていくように言ってくれる

今回は少し遅れてのスートゥナンスになるので、再度学生として登録しなければならない

今朝そう教えてくれたSさん

もう一年、学生でいられるんですね、と言ってにっこり

何と登録の担当者も不在で出直すことになった

 いずれにせよ、形だけは何とかなりそうな様子である

行ったり来たりを繰り返したせいか、ぐったりした感じがある

この感じ、久し振りである


ところで、今朝マスターを過ごした辺りに足を運んだ時、8年前の新鮮な感覚が蘇って来た

おそらく、朝早かったせいだろう

これから大学に向かって行くという昔の感じと重なったものと思われる

無垢の好奇心、あるいは純な学びの欲求とでも言うべきものが湧き上がってきて止まらなくなった

なぜそんなことになるのか、未だに分からない

苦しみに溢れたマスターを支えたのは、ひょっとするとこの欲求(デジール)だったのかもしれない








samedi 14 novembre 2015

とんだ早とちり



この辺りはいつも静かなので、外の世界を推し量ることができない

そんな風には全然見えないが、都会の中の庵となっている

この静かな環境にかくも長きに亘って生活していたものである

昨日の出来事に対する反応なのか、夜、若者たちの大きな声が響く


ところで、学生生活も終わりが近づいている

昨日、論文審査に当たったイギリス人とフランス人のコメントが大学から転送されてきた

つまり、この判定が来るまではスートゥナンスがあるかどうかは未定だったことになる

ない可能性もあったのである

そのレポートには、未熟な論文に対する建設的なクリティークが書かれてあった

そして、スートゥナンスは開かれることになった


大体30分のプレゼンテーションをした後、3時間の質疑応答が予定されているようだ

当日、どんなことになるのか予想もできない

 これからの3週間、その準備をしなければならない

本当の最後だと思って、諦めるしかなさそうである





これからの世界をどう生きるのか

Près de nous
 Wolf Bröll (2010)


今朝、メールボックスを開けると日本からのメールが目に付いた

無事確認のお見舞いメールであった

日本のテレビ画面を見ていると、ショッキングなものに映ったのではないかと想像している


こちらに来てからは、テレビ・新聞のない庵暮らしである

世の中の動きには疎くなり、日本からこちらの状況を知ることが稀ではない

昨夜の事件も大使館からの連絡で知った

思い返せば、今年も同様の事件で幕を開けた

そして、今回の事件である

ひょっとすると、これは21世紀に特徴的な戦争の一形態になるのかもしれない


このような状況をどう生きるのか

政治には政治の役割があるだろう

それをわたしが考えても知的営みだけ、お題目だけに終わる可能性がある

寧ろ、日々何を考えて生きるべきなのか、という問いに向かう方が実効性があるのではないか

今回の事件の後では、いつ死が訪れるかもしれない世界にどう生きるのか、という問いに変容する

こう問いを立てることができれば、その答えは自ずと決まってくるのではないだろうか

いつ死んでも良いように生きること、とならざるを得ない

しかし、忘れがちなわれわれの生の本質とは、そもそもそういうものではなかったのか

そう気付く時、哲学の遺産が視野に入ってくる






dimanche 8 novembre 2015

パリから見えるこの世界 (34) ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼



雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』を紹介いたします

第34回 ジョルジュ・カンギレムの考えた治癒、あるいはこの生への信頼

医学のあゆみ (2014.11.8) 251 (6): 525-529, 2014

ご一読いただければ幸いです





mercredi 4 novembre 2015

クリスティーヌ・レヴィさんから 「日本人は何を考えてきたのか」 へ



どうしたことか、「21世紀のマルクス」というセミナー・シリーズの案内が届いた

今回はクリスティーヌ・レヴィさんが 「日本におけるマルクス主義とフェミニズム」について話すという

Christine Lévy さんはボルドー第3大学モンテーニュの日本文化の専門家

特に、フェミニズムと社会主義、平和主義に興味がおありの様である


活動の中に、NHKへの出演が紹介されていたので彼女との繋がりが蘇った

その番組を以前に観たことがあったからである
 
シリーズ「日本人は何を考えてきたのか」の第4回、「非戦と平等を求めて」~幸徳秋水と堺利彦~

セミナーには参加できないので、この番組を観ることにした







以前にも観た番組だが、内容は新鮮であった

これからは観たことは覚えているが、その内容は?という状況が続くのだろうか

特に印象に残ったのは、レヴィさんの「体制の外から発言するのがインテリ」というニュアンスの言葉

日本人の教授が、戦争という状況ではそのような発言は難しいと言っていたのとは対照的であった

「枠の中の思考」と「枠の外からの思考」という問題は、わたしのテーマにもなっている

つまり、枠の外に出てものを観み、考えることができるのか、という問題になる

それは哲学という営みとも深く関連している






lundi 2 novembre 2015

カミュの言葉からフランス生活を総括する



カミュの言葉に「思考が止んだところ、そこから表現が始まる」というのがあるという

この言葉をわたし流に解釈すると、フランス生活の全体が見えてくるように思った

例えば、先日纏めたテーズである

この場で何度も触れてきたが、最後まで筆が進まず苦しんでいた

そして、最後で最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行った

自分でも信じられないような異次元の世界に入っていた

これはひょっとすると最後の数時間まで考えていたことになるのではないか

カミュの言葉を読み、そんな考えが浮かんできた


さらに時間軸を長く取ると、フランス生活の流れが理解できたように思った

全体で8年に亘る時間の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒していた

カミュの言葉で言えば、思考していた

そこではどんなに努力しても表現には至らなかった

まだ体験すべきもの、思考すべきものがあると感じていたからだろう

そして、最後の1年で体験あるいは思考が一つの閾値に達した

この段階でやっと表現に向かって行くことができたのではないか

こう理解すると、これまでの生活がよく見えてくる

これ以外にはあり得なかったのではないかと思えてくる






dimanche 1 novembre 2015

8年を超えてループ状に繋がる



今日はToutsaint (万聖節

今年も知らないうちにあと2か月となった

本日、日本にいる時の仏版ブログにコメントをよく頂いたASHITA様からコメントが入り、驚く

最近ナントに行った時の記事に対するもので、嬉しい驚きであった

ご本人はブルターニュ在住で、日本文化にも造詣が深いことはブログでも分かる


一つの終わりを控えて、その始まりにあったものとループ状に繋がったという感じがする

昔と繋がったことで益々「こと」の終わりを意識させる