昨夜ニューアークを発ち、今朝オルリーに着いた
ニューヨークでは何かに追われるような緊張の中、常に動き、前に進むことを強いられる
声が大きく、会話のテンポは速く、決然としていて、即断が求められるように感じる
こちらにはそれがない
そのためだろうか、少し引いてゆっくり思いを巡らすことができるようだ
医学哲学においても、テーマとその扱い方がアメリカとフランスでは明らかに違う
実証的で科学的に対象に迫るのがアメリカのやり方で、主観の関与をなくし対象を突き放してしまう
そのため、科学の発表と変わらず、出てくる冗談も科学者のものと変わらない
リタ・シャロンさんの "narrative medicine" などは、この中にあって異質に見える
フランスの場合には、実証的な研究もあるが、抽象的な思索に入る場合が稀ではない
観念論や形而上学的思索が許されている
これがアメリカでは興味の対象から外れ、フランスではよく知られている哲学者は読まれていないようだ
アメリカにいた時の感受性を思い出しながら、形而上学の含みのある発表を聴いてみた
そうすると、アングロ・サクソンの反応がよくわかるのだ
フランスの中に閉じ籠っているように感じさせるのは、フランスの哲学にとっても得策ではないだろう
アングロ・サクソンの枠組みの中で、如何にフランスの特徴を発信することができるのか
この発想がなければ、例外的な研究、マージナルな研究ということになりかねない
フランス語がわからなければ、その思想に触れることができないからだ
それほど英語的発想には圧倒的な力があり、それゆえフランス的な思考が重要になるはずである
アングロ・サクソン的やり方には欠けているものがそこにあるからである
これまでの発想を大きく変える必要があると感じた
6月にパリで同様の医学哲学の会議があった
その時はベースがヨーロッパだったので、このような現実的な切迫感はなかった
今回はほとんどがアングロ・サクソン的背景の中で行われた
そのためだと思うが、両者の落差が想像以上に大きいことを改めて感じる旅となった
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