jeudi 30 avril 2015

映画 『沈黙の迷宮』 を観る


ドイツ映画 『沈黙の迷宮』 "Im Labyrinth des Schweigens" を観る

第二次大戦直後にニュルンベルク裁判 (1945.11.20-1946.10.1)が行われた

これは戦勝国側が行ったものだが、そこで裁かれたのは極一部の人間だった


戦後10数年が経過、人々はアウシュビッツの記憶を失っていた

忌まわしい過去は忘れて、前に進みましょうという機運が優勢だったようだ

若い人にアウシュヴィッツのことを訊いても答えが返ってこない

図書館にも関連した本がない

その時点では、アウシュビッツで行われたことの全貌もまだ明らかにされていなかったようだ


そんな中、1958年にフリッツ・バウアー(Fritz Bauer, 1903–1968)がジャーナリストから情報を得る

それから証人と証拠を集める作業が始まる

その成果がフランクフルト・アウシュビッツ裁判 (1963.12.20~1965.8.10) であった

戦後20年にして、初めてドイツの市民が自らの過去に向き合い、裁きを下したことになる

これ以来、戦後ドイツは変わったと言われている


バウアー氏は大戦中からスウェーデン、デンマークに亡命後、1949年にドイツに戻る

1956年から亡くなるまでフランクフルトにあるヘッセン州検事総長の職にあった

彼はまた、アドルフ・アイヒマン(1906-1962)の逮捕にも重要な役割を果たした

この映画ではバウアー氏のチームで活躍するラドマンという若手検事を主役として登場させている


 映画から何を引き出すのかは、人によっていろいろだろう

わたしが気になったのは、次のことだ

官僚制の軍隊にあって上の命令には逆らえなかったという理屈がしばしば使われる

わたしもその考え方を持っていた

しかし、それが普遍的に通用するものかどうかは考え直さなければならないと思うようになった

また、実際には上の命令なしに個人の意思で行動することもあり得たはずである

一つ一つの例を、証拠に照らして詳しく見なければならないのだろう


ナチス関連の資料は、アメリカ側に山のように眠っていた

抵抗を受けながらも、その資料に当たり、証人を探し、戦時の犯罪を明らかにしていく

彼らはそれでも不十分だと考えていたのだろうが、ドイツ人自身が自らに向き合ったことになる

それを可能にしたものは何なのだろうか

中に、正義とか真理という言葉が出てくる

その背後に激しい感情があることは見えてきた

ただ、それを超えて、普遍的な価値をどこまでも追求しようとする執拗さを持った理性があるように感じた

感情を抑えるのではなく、「それでもなお」 理性を発揮・維持できるのかどうか

そこが問われているような気がした


この問題に関連したことは、2年前にロスコフであった会議のディネの席でも話題になった

ロスコフ3日目、充実の日が続く (2013.10.7)



以下に、トレーラーを




4年をかけて史実に忠実に脚本を書いたというエリザベート・バルテルさんのインタビューもあった

浮かれたところが全くない静かな語りである





もう6年前になるが、アウシュヴィッツを訪問したことがある

その時の貴重な記録が前ブログに残っている

クラクフ五日目、オシフィエンチム (アウシュヴィッツ) を訪ねる Visiter Oświęcim (2009.4.17)

その記事にある写真がどれも異常な青みを帯びていることに後で気付き、驚いたことを思い出した







mercredi 29 avril 2015

トランペットのロルフ・スメドヴィックさん亡くなる



トランペット奏者のロルフ・スメドヴィックさんが今週月曜に亡くなっていたことを知る

享年63

Dazzling Trumpeter Rolf Smedvig Dies Suddenly

ボストン交響楽団のトランペット奏者で、後にエンパイア・ブラスを始めた方

その演奏をよく楽しんだことを思い出す



いくつかの曲を味わってみたい











samedi 25 avril 2015

今朝のカフェから


今朝、雨の降った跡があった

アパルトマンを出る時、小雨が降り出した

庭の世話をしている方と軽く言葉を交わして街に向かった

行くべきカフェを頭に思い描いてはいたが、メトロで読んでいるうちに乗り過ぎてしまった

誤謬は発明の母

その後をどうするのか考えるのを楽しみと思えるようになったのも、こちらに来てからだろうか

お陰様で、何度目かになる気持ちの良いカフェに辿り着くことができた


 こちらのカフェにいるとなぜ心地よくなるのか

その一つに、そこで交わされている言葉の活力とでもいうべきものがある

人間が一つの境界を持ってしっかりそこにいるという景色である

ここはアメリカ人も少なくないので、それが際立つ

辺りに漂っているそれらの音は、わたしにとってほとんど音楽である

やはり、こちらはロゴスの文化

いつも感じることだが、自分の周りに境界があるからこそ成り立つ会話の文化なのだろう

 
今日はカフェからのアップとなった





vendredi 24 avril 2015

終えるためには、変わらなければ・・・



今日の午後、レアール界隈に出た

金曜ということもあるのか、もう夏のバカンス真っ只中といった風情である


今日、今年の1月以来になる指導教授とのランデブーがあった

このような間隔になっていること自体が、現状を雄弁に物語っている

大学は今年度から?方針を変え、長く大学にいる院生を好まなくなっているようだ

新しく入った院生には、3年で論文を書き上げるよう強く勧めている

 わたしとしては、丁度良い時期に院生生活を送ることができたのかもしれない


これまでは今の生活が永遠に続くような気分でいたが、これからは時間との競争である

体力には限界があるので、それに耐えることができるのか

そして、締め切りこそ想像(創造)力の源泉とも言われるが、本当にそうなのか

いずれにせよ、自らが変わることが求められているようだ

未だにこんなことを呟いているようでは・・・





jeudi 23 avril 2015

パリのカフェからアメリカ時代の音楽が


 昨日の朝のカフェのこと

これから始めようと思ったその時、ゆったりと流れる Just the way you are が聞えてきた

Barry White だろうか

下のバージョンよりさらにソフトでゆったりしているように感じた

その音楽には、やる気を失わせる力があった

やる気を出させる?若き日の原作者の歌と併せて味わってみたい

最初、ビリー・ジョエルの声があまりにも細く、高く聞こえて驚く






それからこの曲が続いた

アメリカ時代の曲が、思いも掛けない時にパリで流れてくる

それは何とも言えず、良い

こちらの曲ももっと柔らかく歌われていて、全身の力が抜けてくる

暫くの間身を任せているうちに、完全に集中力を失ってしまった

「こと」 が進まないわけである




この中の双子のお二人はもうこの世にいない






mercredi 22 avril 2015

今日の朝空


このところ気持ちの良い日が続いている

今日も朝日が眩しい

ほぼ毎日のようにこのような雲が見られるのは、パリの特典だろうか

これに慣れると、他の町ではなかなか満足できなくなる


もう8年前になるが、こちらに渡る数か月前にパリを訪れた

その時、異常な昂揚感の中で5・7・5が次々に浮かんできた

その中の一つに、これがある


いつ来てもパリの空切る飛行機雲

Chaque fois à Paris
les traînées des avions
coupent son ciel

(2007.5.20)


この時の観察は、その後裏切られることはなかったのではないだろうか

8年前を思い出させる朝であった





samedi 18 avril 2015

カルティエ・ラタンで週末の夜を味わう


今夜はカルティエ・ラタンで日本からのお客様とのディネとなった

昨年11月に帰国した折にもお話をしているので半年振りということになる

デジュネで8年前と繋がる (2014-11-26)

渡辺様とのお付き合いは2006年に遡るので、気が付くと10年にならんとする長いものとなっている

今回は日本パスツール協会と笹川日仏財団のお仕事での訪問とのこと

日仏の架け橋としてのライフワークになる

今日はストラスブールから戻ったところだという

明日はブルターニュのレンヌに向かうというから80歳の身にはハードスケジュールではないだろうか

体が動く間にできるだけ見ておきたいというお考えが強いようだ


 いつもながらいろいろなお話が出たが、常に新しい道を模索されているところには頭が下がる

今年も大きな計画を構想されているようであった

話の中に、日本でのパスツールの認知度が意外に低いことが出ていた

それから、フランスに来ると時の流れが急に緩やかになることを感じているという

日本で仕事を持っていると、その印象が益々強いものになるのではないだろうか

週末の夜にこの界隈を歩いていると、その感想も良く理解できるように思った






mercredi 15 avril 2015

連載エッセイ第27回 「生命か自由か、あるいは尊厳ある生の終わり方」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第27回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »

医学のあゆみ (2014.4.12) 249(2): 202-206, 2014

  
ご一読、ご批判いただければ幸いです






lundi 13 avril 2015

「愛の賛歌」 と 「わたしには何の悔いもない」 がBNFから飛び出す


今日のBNFには長い人の列ができていた

外の階段の上で人を待たせていたためだ

これまでに経験がない

ただ、中はそれほど混んでいなかった

驚きは帰りに待っていた

荷物を取り、ホールを見ると真ん丸い人だかりができている

その時、Hymne à l'amour 「愛の賛歌」 の合唱が始まった

円の半分に合唱団が肩を寄せ合って並び、残りの半分には観客がびっしり詰まっている

こういう時に限ってカメラを忘れてくる

アマチュアの合唱だが、それがなかなか良い

心を震わす力があった




それが終わると、すぐに Non, je ne regrette rien が続いた

日本語訳は 「水に流して」 のようだが、なぜかピンと来ない

弱々しいのだ

この曲でエディット・ピアフという歌手を発見したことは、最初のブログで触れている

エディット・ピアフ Edith Piaf (2005-04-08)

フランス語を始めた2001年のことであった

その時飛び出した歌声は、下の2番目のバージョンであったように思う

もう14年も前になることに、改めて驚く

合唱団の皆さんも機関車が動いているようなリズムで力強く歌っていたので、心が奮い立つのを感じた

 聴き手も盛り上がり、この曲を二度もアンコールしていた





ホールを行き来する人、椅子に座って何かを読んでいる人、言葉を交わしている人・・・

皆さん、どこか楽しそうであった

一日の終わりに待っていた思わぬプレゼントと言えるだろう










------------------------------
lundi 20 avril 2015

現在、BNFではピアフの展覧会をやっていることを知る

上の催し物?は、その前夜祭的な意味合いがあったことが分かった





vendredi 10 avril 2015

空は朝から動いている、そしてダイナミックなアメリカ


久し振りに朝の空を眺める

空は朝早くから活発に動いている

それを眺めるのはやはり気持ちが良い

この感覚もこちらに来てからのものだろう

日が昇り、部屋に戻ると上の景色

これは今までに見たことがないものだった



こちらも久しぶりにニューヨークのクラシックチャネルWQXRに行ってみた

ニューヨーク・フィルの新しいコンサートマスターが決まったとのニュースがある

現在ヒューストンのコンサートマスターをしている北京生まれのアメリカ人Frank Huangさん

7歳でアメリカに渡った36歳

34年間コンサートマスターだったGlenn Dicterowさんの辞任発表を受けてのものである

彼はわたしが通っていた時のコンサートマスターでもある

このニュースでは、時の流れとともにアメリカの人の動きのダイナミックさを感じる

今回だけではなく、時々訪れるアメリカの今に触れる時にも感じていることである





jeudi 9 avril 2015

カフェの至福、しかし遅々とした歩み


肌寒さはあるが、春が確実に全開になりつつある

今日は朝からまだ2回目のカフェで比較的長い時を過ごした

青空の下、町行く人たちの流れを眺めていると、それは音楽である

これまで全くの偶然の流れだと思っていたが、今日は譜面に書かれたように動いているように見えた

いずれにしても、久し振りにカフェの至福を味わった


今更だが、文章を書きながら次のことに気付いた

一つは、これまでの科学の成果の跡を辿り、理解して纏めるためのもの

理解力が減退していることもあるのか、これが意外にしんどい

 この歩みを見ていると、気が滅入ってくる


もう一つは、これらの成果を纏めた後、何か言えることはないのかを探ることである

そして、その何かが見つかった時から始まる自らの思索の跡を纏める作業が続く

こちらは資料への依存度が少なく、自らの記憶を頼りに考えを進めるので裸一貫という感じだ

 この感覚はこちらに来てから次第に身に付いてきたものである

その苦しみと愉しみの味を覚えたのも一つの収穫と言えるのだろうか


それにしても、遅々とした歩みではある






vendredi 3 avril 2015

トロカデロにて


今日は午後から雨になった

間食が増え、座ることが多くなっているので体重が急増中

久しぶりにいろいろと歩き回る

トロカデロの駅では、少しだけ悲しげだが元気が出る音楽が流れていた