今日は午前中、大阪大学微生物病研究所で講演する。主な対象は大学院生だが、オープンな講演会であった。会場に詰めかけた方が予想以上に多く、追加の椅子を準備するため開始時間が遅れる。話し始めて会場を見回すと、昨年よりも多く、嬉しい驚きであった。
話は1時間ほどで終え、質疑に入る。出足は悪かったが、予定の30分に達する。終わった後にも何人かの方が話を聞くために来られた。個人的な質問としてよくあるのは、なぜ科学から哲学だったのか。そして、英米ではなく、なぜフランスだったのかだが、今回これになぜ日本でなかったのかが加わった。この説明には最近書いた 「医学のあゆみ」 2月11日号がよいのだが、紹介するのを忘れていた。
もう一つ印象に残った質問があった。それはオーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)の3段階法則について。コントの唱える三段階とは、幼児期ともいえる虚構的な神学的段階、それから青年期の抽象的な形而上学的段階を経て、最終的に成熟期に当たる科学的な実証的段階に至るというもの。科学的な段階をその前段階のネガティブな状態に対してポジティブと称し、形而上学的な省察や直感から得られる知を拒否する実証主義 positivisme である。
質問は、わたしの立場はこの実証主義に前段階の形而上学的要素を加えているように見えるので、実証的段階の先に成熟期の上に当たる融合の段階とでも言うべきものがあるのではないか、あるいはそうわたしが考えているのではないか、という鋭いものであった。話を聞いていてそう理解していたとすれば、わたしの意図はよく伝わっている。その問いを聞きながら、実は神学的段階までも含めて、コントの言う3段階をひとつの平面に置くように意識しているのではないかと考えていた。
この質問に関連して、現代科学の状況を憂うるコメントが続いた。それは、実証主義が行き過ぎて、論文のディスカッション・セクションにおいてさえ、想像を含んだ議論を許さない窮屈な空気があり、中堅の研究者に見えたコメントの主は、この状態を変えるように働きかけてほしいというニュアンスのことまで言われた。現状に息苦しさを感じているのである。
現代科学はアングロ・サクソンのどこかから出される「世界基準」に従う形で行われている(と想像される)。日本は他の国と同じように、その基準に従い、そこをクリアすることで満足しているように見える。基準そのものに自分の考えを向け、議論するということをしない。哲学的ではないのである。ひょっとすると、例の最初から諦めて考えないという無意識の選択をしているのかもしれない。
現状を変えるひとつの方向性として、日本が考える科学としてあるべき内容、公表の様式などについて、アングロ・サクソンとは違う哲学の確立があるだろう。それは固定化されたものではなく、常に検証し、変容するダイナミックなものであることが求められる。そして、日本の科学のやり方を現実のものにするために、それぞれの学会が持っているジャーナルを新しい科学の発信基地にするのである。その実現を生存に追われている現場の科学者だけに委ねるのは相当に難しそうである。その成功は、このような営みを支えるエネルギーと意志がどれだけあるかにかかっている。コメントを聞きながら、そんな妄想が浮かんでいた。
科学と哲学などというテーマにこれほど興味を示す人がいることは驚きである。
現代科学の中にどこか満たされないものを感じている証なのだろうか。
出された発言から見えてくるものは、それを否定できるものではない。
今の科学が完全な姿であるはずはない。
もしそうだとすれば、これからも検証し、改良し続けていかなければならないだろう。
その過程で、わたしの言う哲学的な視点が有効なものになると確認していた。
このような思索の機会を与えていただいたホストの菊谷仁氏に改めて感謝したい。
午後からは、2月の発見の検証に大阪医科大学歴史資料館に出かける。
その詳細は以下の記事にある。
想像羽ばたく発見、たとえ悪戯だとしても (2012.2.6)
わたしの持っている本に書かれてある志賀貴洋史という署名が、赤痢菌発見者の志賀潔博士(1871-1957) のものであるのか。資料館に入り、係の方に2階の資料室に案内していただく。そこに至るまでの雰囲気が実に素晴らしいのだ。写真でその雰囲気が出ているかどうかわからないが、清楚な佇まいと懐かしさがそこにある。伺うと、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)というアメリカ人建築家の作だという。日本人女性と結婚し、1961年には帰化している。
そして、目的の資料室に入ると、この額が現れた。持参した本と見比べる。係の方に見ていただいたが、専門ではないとのことで言を濁される。わたしには酷似して見えた。いずれどなたかに鑑定をしていただきたいものである。
わたしがこの建物を気に入っていることを知った係の方は、さらに案内を続けてくれた。ひとつは講堂。ただ、高いドーム状の天井はエアコンと蛍光灯が付けられた低い天井で隠されていた。係の方は、時代ですかね、とのことだったが、わたしはオリジナルの天井を見てみたいと思っていた。
それから階段教室が現れた。
我が学生時代を思い出させる実に懐かしい空間だ。
暫し教室内を歩き回り、過去を現在に引き戻しながら想像を羽ばたかせていた。
想像さえしていなかった空想の時間と空間が隠れている資料館であった。
突然の訪問にも拘らず、案内の労をとっていただいた係の方に感謝したい。
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jeudi 26 avril 2012
本日、大阪大学の講演会でお世話になった事務局の堀田様からメールが届いた。
いつも丁寧に対応していただいているが、今回も当日の様子が書かれてあった。
今回の会場は定員が50名。
そこに立ち見を入れて90名以上の方が聴講され、内2/3が学生だったという。
多くの方が参加されているとは思っていたが、これ程だとは思わなかった。
しかも、若い方が多かったことは何かを物語っているのかもしれない。
ホストの菊谷氏からは、もし次回があればディスカッションの時間を増やしたいとのこと。
そうなれば、パリの哲学セミナーの雰囲気にも近くなる.。
哲学の再興は、科学の現場からになるのかもしれない。
哲学の再興は、科学の現場からになるのかもしれない。
いずれにせよ、多くのことを考えさせてくれる時間であった。
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