先日読んだル・ポワンにマルク・フュマロリ(1932- )さんのインタビューが出ていた
最初のブログで取り上げたことがある方になる
もう9年前になろうかという記事だが、こんな観察をしていたのかという思いで実に興味深い
その一つが、「わたしを惹き付けて離さないのは、長い読書に照らされた現在」 という一節
これは、8年程になるこちらでの生活でわたしが感得したものと極めて近い
わたしの言葉で言えば、次のようになるだろう
「人類の遺産と共に現在を考える」
フュマロリさんと同じように、未来のことを心配しない、未来のことなど考えない
今回のインタビューでは、フュマロリさんの新刊が出たのを機に文学について語っている
タイトルになっている言葉は、西欧文化では特別の意味を持っている
開かれた精神が出遭い、文書を交換する国を超えたバーチャルな空間を指している
その始まりは、14世紀のルネサンス
フュマロリさんは、この空間が持っていた礼儀、ユマニスム、文化などにオマージュを捧げてきた
その創始者は、
フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304-1374)
最初のステップは、教会による知と教育の独占に終止符を打つことであった
宗教からの独立(ライシテ、セキュラリザシオン)の始まりである
これは、宗教には依らない
renovatio すなわち、
ルネサンスというプログラムに基づいていた
ルネサンスの熱狂はイタリアからヨーロッパに広がる
文学、文献学、考古学、教育学、博学の人、すべての旅行者、書簡を好んだ人が織り成す世界
それは、11世紀にできた神学者による神学者のための大学の辺縁にあるもの
それ故、聖職者による検閲、異端審問から守られた空間でもあった
ペトラルカの弟子たちは、
ユマニストと呼ばれてきた
そのプロジェは、非常に野心的なものであった
精神の自由は、忍耐、策略、外交なくしては得られないものであった
ヴォルテール(1694-1778)の出現まで4世紀、
ユーゴー(1802-1885)に至るには5世紀を要した
この流れの源にいるのがペトラルカだが、あまり知られていない一面がある
古代ローマの廃墟について瞑想し、僧院の図書館に埋もれていた古代の作品を研究、出版したことである
そして、全イタリア、ヨーロッパの知識人と膨大な文通を止めることはなかった
彼の死後(1417年)、この「社会的なネットワーク」に
Respublica litterarum の名が与えられる
現今の出来事は、このネットワークがわれわれの町を異物が住む家にしていることを教えている
若者がわれわれの法律に従おうとせず、野蛮な神学者に彼らの人生の意味を求める
求められた方は、われわれの世界を破壊するために神の暴力の手先となることを説く
ジャン・ドルムソン(Jean d'Ormesson, 1925- )は多くの人に愛されている
彼は軽く見られているが、彼の本を読み直してみて、実は執拗に考える哲学者であることに気付いた
彼が考えていること
それは、基盤が捉えどころがなく、構成員から確かな指針を奪っている豊かな社会から生まれるもの
人間はその人生に意味を与える確かな地平を歩む必要がある
もし現代の世界が確かな地平を提供していないとすれば、最悪の場合は殺人ジハードにそれを求める
このような前例が歴史には存在する
それはキリスト教の異端であるフランスの
ジャンセニスムだ
この派は、何世紀もの間に腐敗した信仰を見て、
初代教会への回帰を狂信的に唱えた
ジャンセニストだった
パスカルは次のような主張を繰り返した
「生死の意味は、科学・技術の進歩の中ではなく、
原始キリスト教の中にある
理性ではなく心の中に、啓蒙ではなく神秘の中にあるのである」
ジャンセニスムに対して
イエズス会は、最新のものを信条に取り込むことを常に認めていた
もちろん、わたしはイエズス会の陣営にいる
現代性に狼狽している精神にとってのイスラムの魅力とは何だろうか
敢えて言えば、神の不動性ではないだろうか
すべてが余りにも急激に進行している時に超越的な不動性ほど望ましいものはないからである
教育の破綻は、われわれフランス人すべてにとって中心的な課題である
フランスはかつて模範的な教育システムを誇っていたが、悪化するに任せ、今は廃墟である
わたしが唯一つだけ助言を許されるとすれば、それは
ユマニテ(西洋古典学)の重要性である
ユマニテだけが、求めている意味を若者に与えることができるだろう